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カテゴリ:旅行・文化
先日、アンコールワットで有名なカンボジアのアンコール遺跡群を2泊3日で訪れた。観光案内書によると、5、6月の雨季には摂氏40度を越える当地も、乾季を迎える11月は気温も下がり、最高の観光シーズンになる。という触れ込みだったのだが、それでも日中は摂氏33~34度に達し、少し歩くと汗が吹き出て来る。
それはさておき、おき都会を離れた古都とその周囲の自然のたたずまいは、また格別の味わいがあった。遺跡の周辺は、のんびりとした水田が広がり、水牛がゆっくりと草を食む。おだやかな時間の流れは久々の経験だった。 水牛は粗末な食べ物で成長して肉や乳を得られるだけでなく、革も強靭で靴やオートバイのヘルメットなどに利用されている。通常の牛よりも沼地での行動に適応しているため水田での労働力として有用だといわれる。 だが、案内してくれた地元の若い女性ガイドによると、少し気温が高くなると、水の中に大きな図体を隠し、顔だけ出して働かないのだそうだ。通常の牛に比べ怠け者で、いつも動きが鈍い。 そこで、ダラッとしている若い男は「水牛だ!」と軽蔑されているという。「カンボジアでは一般に女性の方が働き者で、水牛男が少なくない」とも。肉も固くてまずいそうだ。 「なんだか自分のことを言われているみたいで、水牛に親しみを感ずるなあ」 とツアーに同行していたOさんは苦笑する。 「怠け者でも、それなりに使っているんだからカンボジアの人は優しいんだ。簡単にクビにしないで雇用を守るんだ」と私が言うと、ガイド嬢は面白そうに笑った。 ネットで調べると、のんびりした水牛は平和の象徴とも言われる。 ガイド嬢は、植物にも長らく無用の長物と見られていたものがあるという。 水牛同様、カンボジアだけでなく東南アジアや日本の沖縄など熱帯・亜熱帯地方に広く分布するガジュマルだ。クワ科の常緑樹で、樹高は20メートル以上にもなる。実は鳥やコウモリのエサになるのだが、人間には葉も根も幹や枝も役に立つところがまるでなく、ウドの大木そのもの。サトウヤシなら樹液はサトウやジュースに、幹や葉は高床式の住居の大切な材料に、根からは薬の原料がとれる。 一方、ガジュマルには枝も幹も根っこも、何も役立てるところがない。ところが、数十年前から、有用な役割が見つかった。鳥がついばった実の種が遺跡の岩石とその周辺に落ちて根を生やし、すくすくと育って重要な観光植物となったのだ。 典型例がアンコール遺跡群の1つ、タ・プロームだ。12世紀に仏教寺院として建立され、その後ヒンドゥ教寺院に改修された遺跡だが、その後の経過でガジュマルが岩石でできた遺跡に太い枝や根がからみついて、ガジュマルの樹木に飲み込まれるばかりになっている。このため、遺跡が崩壊してしまう危険が指摘されてきた。 だが、よく見ると、あまりに複雑にからみついているので、むしろ遺跡を支え、遺跡を保存している面もあるのだ。それ以上に遺跡に巨大なガジュマルがからみつく様が独特の景観で、迫力があると、多くの観光客を魅了している。 この世に役立たないものなど何もない、無用と言われるものほど、味がある――。ガジュマルと水牛が、アンコール遺跡の仏教やヒンドゥー教の教えをわかりやすく説いているとも思える。 その風情は地元の人々の素朴なたたずまいと溶け合っている。と思ったのだが、1970年代を中心に起こったポルポト時代の陰惨な殺戮の話を聞くと、また、違った相貌が見えてきた。次回はその話を書くこととしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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