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カテゴリ:震災・行政
日下公人氏の著書や講演はアッと驚く、目からウロコの発想の連続で、学ぶことが多い。昨春来、東日本大震災の復興にからんで、関東大震災の時に後藤新平が行った大規模な復興計画を賞賛する声が政治家や官僚、マスコミの間から巻き起こった。後藤のような復興計画を東北地方でもやるべきだと。
だが、日下氏はこれに異議を唱える。「大規模な復興事業など必要ない。放っておいた方が日本のような民度の高い国はうまく行く」と。 今年2月に出した日下さんの著書「日本既成権力者の崩壊」(李白社)にその考え方が明快に書かれている。「お偉方(政治家や官僚)はカネを使いたいから後藤新平を持ち上げる」とバッサリ。 高度成長期が終わってからも公共事業をやりすぎて財政が悪化。このため、バブル崩壊後の1990年代に入ってからは公共投資は大幅に縮小された。だが、公共事業でカネを土建業者や地主など地元にばらまかねば地元の票が得られないし、官庁も権益を拡大できない。 それで困っていた政治家や官僚にとって東日本大震災は、復興に名を借りて堂々と公共事業を拡大する千載一遇のチャンスとなった。 実際、先ごろ復興予算に中に東日本大震災とは関係のない項目がズラリと並んでいるのが発覚し、問題になった。例えば、国土交通省は沖縄県の国道の耐震化に5億円(2012年度)を、国税庁は東京など被災地以外の税務署庁舎の耐震改修に6億円(12年度)を使っている。そのほか反捕鯨団体対策、国立競技場補修、刑務所の職業訓練、公安調査庁のテロ対策など、予算総額19兆円のうち流用は2兆円を超えたと言われる。 「ようやるよ」と思わされるが、実は震災に直接出しているような予算でも、過大だったり、直接復興に役立たないものがふんだんに盛り込まれている。 以前も本ブログで紹介したが、原田泰著「震災復興 欺瞞の構図」(新潮社)によると、東日本大震災によって壊れた資産を積み上げると最大でも6兆円。これに対して震災復興予算は19兆円以上を積み上げている。被災者を直接助けるだけの復興策なら6兆円で済むのに、余計な公共事業を積み上げるからだ。 だから、日下さんは政府の震災復興事業に異を唱えるのだ。自由経済システムを重んじ、民間活力にまかせた方がコストがかからず、しかも、地元も雇用拡大、雇用創出が進む。何よりもお上に頼らない経済、社会が維持、強化されるという。 失業手当や震災補助金ばかり出し、お上に頼った経済になると、被災地に新設のパチンコ屋が林立し、朝からパチンコに興ずる住民がふえ、やる気のある人々は東京、仙台など大都市に引っ越してしまう。実際、私が昨年から今年にかけて訪れた宮城県石巻市や岩手県陸前高田市でそうした光景が見た。これは不健全だし、そうした社会は長続きしない。衰退して行くばかりだ。 日下さんはこう書いている。 <(関東大震災当時、復興事業をせずに、放っておけば国民の多くは)関西に移動しただろう。そうなると関西が首都になる。……後藤が復興の基本方針で「遷都すべからず」とまず釘を刺したのは、裏を返せば、関西に遷都する可能性が十分にあったからである。……遷都しないで東京が首都のままだったから、大きな政府にぶら下がる人たちばかりが議論して貧乏くさい日本にしたのだと思う> 自由市場経済論者、日下氏の面目躍如たる、柔軟で新鮮な視点だ。後藤新平をここまで批判的に見る論者は初めてではないか。 <後藤はスケールの大きい人だったと関西人(言い換えれば商売人や自由市場経済論者――井本注)は思っていない。自分で働いて資本を作った人は資本がゼロのときを知っている。将来についても二倍増、三倍増の状態を想像できる> 自分で稼いだ経験のない偏差値秀才の官僚や選挙区のことしか知らない国会議員、商売の経験のない新聞記者やテレビ局の人間はそうした生きた経済、事業家の活力がわからず、計画経済の方がいいと思ってしまう。共産国家の失敗を十分に学んでいない。 震災復興でも神戸は失敗した。ピカピカの商店街を築いて、実際には人のいないシャッター商店街になってしまった長田地区などムダが累積した。また以前あった神戸の人間臭い魅力も大幅に減少してしまった。 もっとも、日下氏も復興計画や都市計画がすべて不要、何でも自由放任がいいと考えているわけではない。 <都市づくりについての私の考えの第一は、“計画地域と自由地域を並存させるのが良い”で、計画地域ばかりでは町が死ぬ。もしも後藤プランのように広い道路と大区画の土地ばかりになったら変化への対応力がない官庁街のような町になる(神戸も多くの部分でそうした町となった――井本注)。東京駅前の三菱村には隣接して銀座や新橋があったから共存共栄ができた> <第二は、“想定外の第二幕を考えよ”である。……(関東大震災後)日本に自然発生したのは馬車鉄道と市電と地下鉄である。その地下鉄は戦後、郊外電車と相互乗り入れをした。ヨーロッパにはない便利さで日本独自の発明だから大正時代には想定外だったと思う> 後藤プランでは自動車時代を想定して昭和通りなどの広幅道路を作った。それはそれで良かったが、地下鉄や郊外電車が縦横無尽に走れば、東京のような大都市の内部では、それほど自動車は必要なかったかも知れないと言っているのだ。実際、高齢化社会のもと、いま必要なのはきめ細かい地下鉄・市電網になってきている。想定外の地下鉄・郊外電車網こそ、お上の都市計画にはない民間活力の賜物なのだ。 <第三は、“巨額の投資をするときは、その捻出のために何が犠牲になるかを考えよ”である> 巨大計画で四国と本州間に三本も大規模架橋をし、東京湾岸にもアクアラインを作ったが、すべて赤字。その責任をとった政治家や役人は一人もいない。1000兆円もの政府の借金はそのツケである。ギリシャの金融危機や中国の不動産バブル指摘されるが、日本はギリシャや中国を笑えない。財政破綻や悪性インフレの不気味な危機は日本にも迫っている。 民間活力に任せず、お上主導の計画経済を乱発したツケである。日下さんの著書を読むと、改めて自由市場経済の大切さ、行政改革・既成緩和の重要性を痛感する。 今回の選挙語、首相になるのが確実と思われる安倍晋三・自民党総裁は大規模公共事業「国土強靭化計画」を実施すると言っているが、財政破綻の危険を考えると、まことに問題だ。何を考えているのか、と言いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.12.02 13:49:08
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