2013/07/29(月)15:13
耳障りな「させていただく」の乱用
「させていただく」は今や、謙譲語の常套句となっており、特に選挙に敏感な、人気商売の政治家に乱用が目立つ。
ひどいのは「申し上げさしていただいた」という言い回しだ。「申し上げる」「させていただく」と、二重にへりくだっており、卑屈な感じが漂う。大磯正美氏がブログ「よむ地球きる世界」(7月23日付け)で、その点を指摘している。
<岸田文雄外相は今月、来日した韓国の第一外務次官と会談した後、記者団に対し、「、、、と申し上げさしていただいた」と述べた。
これでは、日本の大臣が韓国の次官より格下だと認識していることになる。「申し上げる」「させていただく」と、二重にへりくだっていることに気がついていないらしい>
大磯氏は「させていただく」の乱用が急増したのは民主党政権時代で、とりわけ鳩山由紀夫・元首相がひどかった、という。
<尖閣沖の中国漁船体当たり事件のとき、「抗議させていただいた」という民主党政権に、「抗議はさせていただくものではない」と噛みついた識者もいた>
何も居丈高になる必要はない。私も会合の案内などが来ると、出欠欄に「参加させていただきます」と書く。
しかし、必要以上に乱用すると卑屈になる。聞き苦しく見苦しい。外交ではそれが日本の弱さになり、相手の居丈高な態度を誘発する。
ビジネス、商売の世界でも「させていただく」の多い人は、形だけ敬語を使っていながら誠意を感じられないことが多い。相手にスキを与えないように用心しているだけなのだ。
小売店や飲食店で何かを注文したとき、「(○○で)よろしかったでしょうか?」といわれた時も同じ感じだ。客を客と思わない、高飛車な態度をとる板前や高級ブティックの店員よりはいいが、親しみや誠意は感じ取れない。
かくいう自分自身の言葉も最近は若いころより「させていただく」が増えているように感ずる。社会的な圧力がそれだけ強いのかも知れない。極力、「させていただく」を止めるようにしたい。卑屈にならず、その反動で居丈高にもならず。