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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2013.09.30
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カテゴリ:日本
 2011年春の東日本大震災の時、被災者の礼儀正しく、沈着冷静な様が、海外メディアでも話題となり、賞賛された。

 整然と列を作って並び、炊き出しのおにぎりや毛布を「ありがとうございます」と言って受け取る。惨禍を免れたコンビニやスーパーで食料を買うときに金の持ち合わせがないと、店員は「後でいいです」と言い、実際、客は必ず後に支払いに来たという。店員がいないと、カウンターに代金を置いて商品を持ち帰ったという話もある。

 これが外国の災害では悲鳴が絶えず、大騒ぎになる。商店の窓ガラスを破って商品を盗むなど無秩序な混乱が広がり、救援物資は奪い合い、刃傷沙汰に及ぶこともある。

 これに比べて「日本人はなんて秩序正しく、マナーを身につけた国民か」と「日本人の美徳、民度の高さ」が世界に発信された。

 しかし、本当にそうなのか、それは日本人の一面ではないか、と疑問も浮かぶ。ジャーナリストの徳岡孝夫氏は評論家、中野翠氏との共著「泣ける話、笑える話」(文春新書)でこう書いている。

 <昭和30年の春、駅前にヤミ市の残る大阪駅、長距離列車の切符を売る窓口は、56年後の震災の避難民と同じ日本人とは思えなかった。声の大きい、態度のデカいヤツが切符にありつく。順番も礼儀もない騒ぎだった。低いカウンターの前にひしめく戦後十年の日本人は、強いもの勝ちで争っていた>

 まだ戦後の貧しい時代だったからだろうか。そうとも言えない。すでに終戦から10年を経て、「もはや戦後は終わった」という経済白書が出る頃だった。

 それに、昭和30年当時よりは貧しかったと思われる1923年(大正12年)の関東大震災時でも、日本人は冷静だったという記録が残っている。吉村昭氏は講演録「災害と日本人」の中で、関東大震災時に横浜に住んでいたイギリス人脚本家が、近くの広場に行ったときのことを書いた手記を紹介している。

 <なんという、日本人は冷静沈着なんだろう。……女同士が、おひさしぶりでございますね、とあいさつしている。女の子はそばで泣きもしないで座っている>

 では、東北や関東の人間に比べて関西人は民度が低いのか? いや、そうではない。「阪神大震災時にも略奪行為がなく、みな落着いて泣きわめく人がいないということをイギリス人の女性記者が書いている」と吉村氏は紹介している。

 でも、震災に関する様々なルポルタージュを読んだり、人伝てに聞いた話では良い話ばかりではない。東日本大震災や阪神大震災でも盗難や略奪はあった。東北では津波に追われて車で逃げるとき、狭い道で歩いている人に車をぶつけたのに、そのまま走り去ったという話も聞く。

 
 そして、徳岡氏の紹介する大阪駅での無秩序状態。同じ日本人の、この違いをどう解釈するのか。

 日本人とて様々だ。平均的には礼儀正しい国民だが、悪いヤツ、礼儀知らずはどこにでもいる――。一応、そう理解できよう。

 また、車を人にぶつけたのは、津波に終われ、「今逃げるか否か、この十数秒が生死の分かれ目というときに、道を歩いている人に配慮している余裕はなかった」という言い訳が成り立つ。実際、人を車で轢いて置き去りにした罪を悩み、悔やみ、震災後に教会で懺悔する人もあるそうだ。


 盗難、略奪を働いたのは同じ市町村の人間ではなく、外部から来たよそ者が多いとも聞く。同じコミュニティーの人間に対しては盗難、略奪はしにくい。

 徳岡氏の書く「大阪駅の切符売り場」は、コミュニティーのない大都会。自分を守るのは自分の腕と度胸という状態だから、弱肉強食の無法状態となったのではないか。

 こう考えると、礼儀正しさや協調心の源泉はまず同じコミュニティーにあるということ。さらに地震、津波などの被害にあって、同じ厳しい状況にいるということがポイントのようだ。
 
 「乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」という。貧富の差を越えて等しく厳しい天災を受けたこと。それが諦念を生み、お互いを慮る親切心、礼儀心を強めるのではないだろうか。

 





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Last updated  2013.09.30 22:05:13
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