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カテゴリ:歴史
前回のブログ「なぜ日本人は震災時に礼儀正しいのか」(9月30日付け)で、最後にこう書いた。
<礼儀正しさや協調心の源泉はまず同じコミュニティーにあるということ。さらに地震、津波などの被害にあって、同じ厳しい状況にいるということがポイントのようだ。 「乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」という。貧富の差を越えて等しく厳しい天災を受けたこと。それが諦念を生み、お互いを慮る親切心、礼儀心を強めるのではないだろうか> この逆を言えば、「貧富の差」が生じると礼儀や親切心は失われ、むしろ妬みや嫉み、憎しみが強まる。昭和20年代前半、戦後直後の貧しさの中で、それは陰鬱な形で人々の心の中に沈殿し、しばしばトラブル、事件となって表面化した。 鴨下信一著「誰も『戦後』を覚えていない」(文春新書)の中の「間借り」の項を読むと、その辺の事情が浮かび上がる。 <(戦災で家が焼かれ、住宅が絶対的に不足する中で)焼け残った家は人でいっぱいだった。縁故を頼って親戚が、伝手を頼って知人が押し寄せた。……ほとんどの場合、同居させる家族とする家族の間に懐疑と憎悪が生じた> <間借りの悲劇はたいていここ(台所――引用者注)から起った。人間いやしいもので、あの食糧難の時代、他人が何を食べているかぐらい関心をひくものはなかった。……あの家ではあんなにたくさんのイモを食べている。わけてもくれない。これが深刻な恨みを買った。……ましてや白米を……食べていれば、ことは陰口・悪口では済まされない> 満足に食べられない間借り人がつまみ食いを叱られて爆発、惨殺される事件が発生したのだ。 <一つ屋根の下で差があれば、その恨みは骨髄に達する。間借り、というのはそうした状況なのだ。出てくるゴミ、洗い物の食器についているカス(食べ残しなんてそんなもったいないものはなかった)、そうしたものをおたがいの家族が監視して何を食べているかをヒソヒソ囁き合う。これが日常だった> そして、鴨下氏はこう結んでいる。 <間借りが何をもたらしたか。人間不信と狂気だ。いくら話してもわからないだろう。皆が語らなくなるのも無理はない。これもやはり忘れられてゆく戦後なのだろうか> 嫌な思い出は忘れたい。だから、だれも「戦後」を覚えていない。これが本書の基底にある。本書を取り上げたのも、この点にある。 震災時の日本人の礼儀正しさや美徳が賞賛されるのは心地よい。だが、あまり持ち上げられると、居心地の悪さを感じる。少なくとも60代以上では、そう感ずる人は多いのではないだろうか。その理由のいったんが本書にあるのだ。 貧富の違いなく、全員が震災に襲われたときは我々は妬みも嫉みも憎しみも感ずることなく、お互いをいたわり、協力しあうことができる。 大半の家庭で衣食が足りている現代はなおさらのことだ。「衣食足りて礼節を知る」のが人間の自然だからだ。 絶対的な食糧難の時に、礼節を保つのは容易ではない。むしろ人間のもつ醜悪な一面が露出してしまう。そんなことは思い出したくもない。覚えていたくない。本書はそこを抉り出している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.10.03 19:14:18
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