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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2014.03.11
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カテゴリ:外交・歴史

池田信夫氏は経済や規制改革、原発再稼働の問題で鋭く問題点を指摘し、参考になることが多いのだが、歴史問題などで時におかしな論説を展開するので、首をかしげてしまう。以下は同氏の9日付けのブログ「大英帝国は史上最大の侵略国家」の抜粋である。


 <大英帝国のインド支配は300年以上にわたる史上最大の侵略だった。しかしイギリス政府はそれを侵略だと認めたことはなく、もちろん謝罪も賠償もしていない。彼らは当時、イギリスの「進歩的な制度」をインドの遅れた社会に移植して近代化したと考えていた。それを今の価値観で裁いてもしょうがない。

 <20世紀になってイギリスをまねて東アジアを支配しようとしたのが日本だったが、朝鮮や満州へのインフラ投資が収益を生む前に戦争に負けてしまった。それを英米が東京裁判で「侵略」として裁いたのは、戦勝国として当然の権利だ。サンフランシスコ条約を受け入れた日本が、それを指弾する権利はない。戦争とはそういうものである>


戦争に負けると、敗戦国は「侵略国家だった」とか、あることないこと批判され、それに抗弁しようとしても、戦勝国をはじめ海外では無視される。あるいは再反論の嵐にさらされる。国際メディアは戦勝国に握られ、自国の都合の良い論理を展開する。だから、敗戦国の言い分は世界で通りにくい、というのは確かである。戦争とはそういうものだ。

だが、敗戦国を裁判してその軍事行動を「侵略」だと裁くことを、戦勝国としての「権利」と断じるのは納得できない。戦勝国としての「利得」だというにすぎない。

サンフランシスコ条約で受け入れたのは東京裁判の「判決」であり、「裁判の内容」ではない。判決を受け入れねば占領から脱却できなかったから受け入れたまでである。

国内の裁判でも最高裁まで行って判決を下されたら、その判決は受け入れざるをえないが、その裁判の内容に納得する必要はない。判決を受け入れ、その結果、刑に服しても「私は無罪だ」と言い続けることはできる。

歴史を解釈する権利と自由は敗戦国にもある。東京裁判を指弾する権利もある。「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのは、支配権を握った方が自分の都合のいいように歴史を解釈する自由を得やすいというだけのことだ。

池田氏は「大英帝国のインド支配は300年以上にわたる史上最大の侵略だった。でも、それを侵略だったと今の価値観で裁いてもしょうがない」という。

ならば、「20世紀になってイギリスをまねて東アジアを支配しようとした日本」の行動を、「侵略だった」と戦後の価値観で裁いてもしょうがないというのがスジではないか。負けると侵略だと裁かれ、勝つと「今の価値観で裁いてもしょうがない」と放免されるというのは矛盾だろう。

少なくともインドは「英国の行為を侵略だった」と言うだろう。インドにその解釈を許し、日本には許さないというのでは歴史という学問の自由を否定するようなものだ。

然り、歴史は立場によって解釈が変わる。それが歴史という学問の特徴であり、限界とも言える。ただ、はっきりしているのは、敗戦国だから解釈の「権利」がないとか、戦勝国だからどんな解釈も許されるという判断は間違っているということだ。

 池田氏はブログで「従軍慰安婦の強制連行はなかった。朝日新聞は間違いを訂正せよ。河野談話を見直せ」という論陣を張り、間違った解釈を続ける米ニューヨーク・タイムスも批判している。

 私はその点を大いに評価している。だが、「敗戦国なら、何を言われても仕方がない」という立場に立つなら、ニューヨーク・タイムスの従軍慰安婦報道に文句をつける権利もないということにならないか。「何をいわれてもしょうがない、それを指弾する権利はない。戦争とはそういうものである」と。

 最近では、強制連行だったかどうだはどうでもいい。日本軍が慰安婦を戦地で活用したのは確かで、女性をそんなひどい状態に置いたことが問題なのだというすり替えが広がっている。

 私なら「当時の貧しい社会では売春は合法的な制度だった。どこの国にもあった。それを今の価値観で裁いてもしょうがない」と反論するが、池田氏はどうなのか。

 「イギリスなど戦勝国ならそういう言い分は通るが、敗戦国の日本が人権蹂躙の売春をしていたのはけしからん。素直に謝れ」。

 池田氏の論法だと、そうなる。実際、強制連行の事実がないことが判明した昨今は、そうした批判がまかり通っている。池田氏はこれにどう応えるのか。

 前回の当ブログで、会津人柴五郎は朝敵の汚名を着せられた憤怒を語り、汚名を着せた薩長を厳しく指弾、怒りの言葉を投げつけている。我々も簡単に「侵略」の汚名を着せられるわけにはいかないのだ。

 それ以上に重要なのは、いまは戦後の戦争が広がっているということだ。情報戦という戦いである。中国や韓国、そして米国、欧州、ロシアも今まさにそれをやっている。日本も情報戦に負けるわけにはいかないのである。池田氏はその認識が乏しいように思われる。

 日本は今、軍事的に米国に依存しなければならない体制にある。だから、米国が日本に「従軍慰安婦を認めよ、河野談話の見直しはするな」と言われると、反対しがたいという苦しい状況にある。

 だが、それでも、機会をとらえ、粘り強く日本の主張を展開しなければならない。それは、現在の国益を守ることに直結するからだ。







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Last updated  2014.03.12 09:10:32
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