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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2014.07.26
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カテゴリ:外交
 読売新聞に元外交官の岡崎久彦氏が自身の外交人生を振り返った「日本外交とともに」というインタビューが連載されている。その7月2日付けで、気になる事実が開陳されていた。

 1991年秋、天皇、皇后両陛下が即位後初めての海外訪問として、東南アジア諸国を歴訪されることが決まり、最初の訪問国がタイになったときのことだ。当時駐タイ大使だった岡崎氏が当時を振り返って、こう証言している。

 〈外務省本省から、バンコクで予定されていた天皇陛下のお言葉として、真っ先に先の戦争で日本のした行為を謝罪する案が来た。私は反対でした。タイには日本に謝罪を求める気持ちなどないことを知っていましたから。タイ外務省に確認し、何も謝ってもらう必要はない、とのタイ側の意思を本省に伝達しました。
 抵抗していたら小和田恒次官が、これで勘弁してくれって言ってきたのは、天皇陛下が、まず日本とタイがいかに仲がよかったかと、お言葉をずっと述べられる。そして最後に、全東南アジアに向けての発言として、「先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意」という言葉を述べていただくことにした、という。
 この箇所は、タイではなく全東南アジアに向かって言う部分なのだから、タイ大使としては反対しにくい。私は一時、辞表を書いて抵抗することも考えたけれど、それで黙っちゃった。最初の案を書き直させただけでも意味があったのかなあ〉

 このくだりについて、大磯正美氏がブログでこう書いている。

〈この記述はあまりにも重大なので、かえって大手メディアはどこも取りあげていない。……この発言を情報分析してみよう。まず第1に、外務省が天皇を、堂々と「政治利用」していることが明白になった。……憲法上、天皇は政治的機能を持たないとされているのに、こともあろうに外務省が天皇を謝罪特使として、親善訪問先の国に対し、いちいち謝罪のお言葉を言わせようとしたのである〉

〈第2に、その1年後、宮沢喜一首相の下で、歴史上初めての天皇訪中が強
行(!)されたが、これもやはり小和田外務次官の仕事であった。もっと
悪いことに、この数ヵ月前には中国が尖閣諸島を中国領土とした「領海法」を定めているのである。これで中国にしてみれば天皇の来訪は歴史の謝罪特使であるばかりか、「すべて仰せの通りです」と恭順に来たと受け取ることになった〉

〈その証拠に、親善どころか、翌年から江沢民主席による反日愛国主義教育が始まり、「偉大な中華」再興を刺激し、歴史認識を外交武器とする露骨な対日圧力に至っている〉

 「これは戦後日本の最大の外交失敗だ。このあとは推測になるが、日本外務省が『小和田外交方針』を受け継いで、韓国などに対しても、天皇を謝罪外交に使おうとずっと考えてきたのではないか」と大磯氏は見る。

で、岡崎氏は回想インタビューで「本省の訓令」と言えばいいところを、小和田次官を名指しした理由である。

〈岡崎氏は辞表を書いて抵抗することも考えたと付け加えている」が、外務省の主流がいかに日本を貶(おとし)め、外交的に失敗を重ねてきたかを告発しているのである〉

外務省きっての情報のプロである同氏が、守秘義務を無視してまでこの事実をバクロしたのは、次の2つの事実があると大磯氏は推測する。
 
〈小和田氏は事務次官のあと、現在まで事実上「現役」の最長老であること(国連大使等を経て国際司法裁判所判事)と、何年か後に新天皇陛下の岳父になることがほぼ確実だということである〉

小和田氏は次官時代、「東京裁判の判決」を受け入れてサンフランシスコ条約を受け入れたにもかかわらず、「東京裁判の歴史観」そのものを受け入れた、と国会などで証言している。岡崎氏は「それもおかしい」と自身の書籍で批判している。

歴史の解釈は人、国家によって自由であり、日本は敗戦国として連合国の裁判の判決だけを受けいれたにすぎない。悪法も法なり、判決に不満が残っても判決が出た以上、法を守る人間としては受け入れざるをえない。でも、その裁判の歴史観、考え方に不満を持ち、反対する自由はあるはずだ。

謝罪外交を繰り返し、日本を委縮した状態にとどめようとする小和田氏の発想の根はどこにあるのか、わからない。だが、そうしたネグラな考え方の持ち主が次の天皇の岳父であるという事実は、日本という国家の発展にとって、くびきとなる不安がある。

  





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Last updated  2014.07.27 09:06:32
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