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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2014.08.15
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カテゴリ:歴史
 今日は8月15日。毎年この日になると、新聞もテレビも(全部ではないが)「無謀な戦争の結果、日本列島は焼け野原となり、国民は飢餓線上をさまよう塗炭の苦しみを味わった。二度とバカな戦争を起こしてははならない……」といった画一的な、陳腐な視点からの企画を組む。同じことの繰り返しで、正直、そうした新聞やテレビに付き合う気がしない。
 
 と思いつつ、10日に取り上げた福田恆存氏の「言論の自由といふ事」(新潮社)を再度、開いたら「乃木将軍と旅順攻略戦」が掲載されていた。第2次大戦に突入して後の昭和17年秋、福田氏は旅順の戦跡を訪れた。

 当時、読んで目が釘付けになり、感動した箇所を抜き出してみる。

 <私は爾霊山(二百三高地)の頂上に立ち、西に北に半身を隠すべき凹凸すら全くない急峻を見降した時、その攻略の任に当った乃木将軍の苦しい立場が何の説明もなく素直に納得でき、大仰と思はれるかも知れませんが、目頭の熱くなるのを覚えました>

 私は10年ほど前に大連に行った時、このくだりを思い出しつつ、すでに観光地化していた旅順を訪ねた。福田氏が赴いた昭和17年とは異なり、草木のなかった山肌は「半身を隠すことのできる」高さ2~3メートルの潅木に覆われてはいた。だが、急峻な崖の有様ははっきりとわかり、戦闘となった場合、当時の日本軍のように下から攻略するのはきわめて困難であることが、よく理解できた。

 <旅順を訪れた時の感慨は唯単に第三軍司令官たる乃木将軍に対する同情に尽きるものではなく、将軍を謂はば「象徴」とする当時の日本の国民と国家に対するものであ(った)>

 <何も識らなかったのは旅順攻略という悪い籤を引いた将兵だけではない、日本そのものがさういふ運命に遭遇していたのです。ベトン(コンクリート要塞)の強靭な防御力、敵の優秀な兵器や物質的な優越、さういふものを一切知る事無く、或は敢へて無視して、無謀にも等しい反撃を強行した、……それはそのまま当時のヨーロッパ列強に対し背伸びして力を競はうとする明治の日本の苦しい姿勢を物語るものです。乃木将軍が日本の「象徴」なり、旅順要塞はヨーロッパ列強の「象徴」と言へましょう>

 <当時、かうして私は日露戦争、旅順攻略戦を透して太平洋戦争を見、太平洋戦争を透して旅順攻略戦を見ていた。(太平洋戦争の初戦の)「戦勝」に酔っていた国民一般に、或は一途に戦争指導者を憎んでいた知識層に、私が最も言ひたかった事は近代日本の弱さであり、その弱さを「いとほしむ」気持ちを持てといふ事であった>

 これはナショナリズムそのものである。ナショナリズムは自陣が劣勢にある時、最も燃え上がるものだからだ。自分の属する学校や地域の、強いとは言えないスポーツチームが強敵に勝った時、しばしば全身を震わせて歓呼の声が上げ、涙を流す。自分の子供や兄弟がその試合に出ていれば、なおのことだ。

 日露戦争の勝利に対し、イランやトルコなど、ロシアの周辺国からも驚きと歓喜、賞賛の声が上がったと言われる。永年、強国ロシアの攻勢に圧迫を受け、忍従を強いられていた国々は、そのロシアを極東の小さな島国が破ったのは信じがたく、同時に「自分たちでも、やればできる」という勇気を得たのである。

 日下公人氏は「20世紀最大の事件を挙げよと言われれば、躊躇なく日露戦争を挙げる」と言っている。それはアジア・アフリカが植民地化される中で、後進国が列強の侵攻を防ぎ、逆転勝利したという最初の画期的な事件だったからである。

 そうした明治の祖父母の世代に比べると、「無謀な太平洋戦争に踏み込み、無残な敗戦を招いた大正・昭和の父母の世代はどうしようもない、特に戦争指導者たちは」という視点が、8月15日の新聞やテレビの特集には色濃い。

 だから、読む気、見る気がしないのだ。なるほど、当時の日本政府や日本軍幹部には批判すべき点が多い。しかし、欧米列強の攻勢、植民地化という状況は明治時代とそれほど変わってはいない。それにどう対抗しようか、という必死の思いは大正、昭和の指導者にもあったはずである。

 それでいて、うまく行かなかった。その弱さを「いとほしむ」気持ちが8月15日のマスコミの特集にはほとんど見られないのだ。他人事のように、当時の日本(の指導者)を糾弾し、自分とは無縁のような視点。そこに共感はない。

 偏頗なナショナリズム、対外的な攻撃心を持て、というのではない。同じ日本人として、その父母、祖父母の「弱さをいとほしむ」気持ちを大切にしたいと思うのだ。

 福田氏はその気持ちを齋藤茂吉の歌に託して語っている。

 <あが母の吾(あ)を生ましけむ うらわかき かなしき力をおもはざらめや>





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Last updated  2014.08.15 23:17:17
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