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カテゴリ:原発
積丹路はすべてトンネルの中である――。先日レンタカーで北海道の積丹半島を旅したときの印象を、島崎藤村の小説「夜明け前」の有名な書き出し「木曽路はすべて山の中である」をもじって表現すると、こんな感じであった。
やっとトンネルを終えたと思ったら、またすぐ次のトンネルが待ち構えている。もちろん晴れた空のもと、日本海沿いに積丹ブルーといわれる青い海を臨む沿道の光景は息を呑む美しさだが、余市から積丹半島をすぎた後、江差にいたるまで出現するトンネルが、始終その眺めを中断させた。 ネットで調べたら、この判断は大げさではなさそうで、積丹街道は日本で最もトンネル数が多い229号という国道だということだった。229号は小樽市から日本海沿いに積丹半島を経て江差町に至る一般国道で、路線延長306キロメートルの間に76本ものトンネルがある。また、海に突き出た橋も多い。 断崖絶壁が続く沿道は落石や土砂崩れが頻発したといわれ、トンネルや橋がなければ道路としての用をなさなかったであろう。住民の生活の便と安全のために、戦前から計画され、戦後の高度成長期から平成にかけて、幾多の工事の末に完成させたようだ。 それは結果として、観光客には美しい景勝地を見せるルートにもなった。しかし、住民の生活と観光のためだけに、日本一トンネルの多い路線の建設工事が続けられたのだろうか。 国道229号沿いの地域はかつてはニシン漁に沸いたニシン街道でもあった。明治から大正、昭和初年にかけてニシンが押し寄せる季節は各地から出稼ぎが参集し、街道は活況を呈した。ニシンで財を成した網元は巨大なニシン御殿を建立し、隆盛を極めた。ニシン御殿は今でも各地に観光用に遺されており、今回の旅行でも見物に訪れた。 しかし、戦後ニシン漁は激減し、昭和30年代前半にほぼ消滅した。昨年訪れた夕張炭鉱もそうだが、産業が成り立たなくなった後の町の衰退は著しい。積丹街道沿いの町村も、こぎれいな住宅を目にするものの人口減少、高齢化が進み、過疎化も目立つ。 その象徴はニシン漁の基地の一つだった江差を基点とする江差線の廃止だろう。JR北海道江差線のうち、日本海沿岸の木古内―江差間(42・1キロ)がこの5月に営業運転を終了した。1936年(昭和11年)11月の全線開通から77年。以前は乗客が多かったものの、過疎化と車の普及で2011年度の1日1キロ当たりの平均輸送人員は41人と道内で最低。年間10億円にも上る赤字を抱えていたという。 目だった産業のない沿線で、経済と雇用を維持するにはどうするか。公共事業は有力な手段だろう。積丹路は交通量が少なく、クルマを走らせながら絶景を満喫したい観光客にとっては絶好だが、利用者が少ないのに、こんなにトンネルや橋の多くてはコスト倒れではないか、と感じさせられた。 切り立った断崖の続く積丹路は台風などの天災で崩れることも少なくなく、実際、トンネルが土砂で埋まったこともあった。そのため、今も始終、修復工事が行われているようだ。 よく北海道の高速道路は交通量が少なく、冗談半分に人よりもキタキツネの往来の方が多いといわれ、公共事業のムダ遣いが指摘されて久しい。が、地域経済と雇用を安定させる必要悪の面があることも否めない。積丹路はそれを実感させる。 しかし、地元経済を振興させる事業はムダが少なく、効果が多い方がいいに決まっている。その1つが原子力発電所だろう。 積丹半島の付け根に当たる北海道古宇郡泊村にさしかかると、北海道電力の泊発電所が見えた。1989年に1号機、91年に2号機、2009年に3号機が運転を開始した北電の大黒柱だ。原発があれば地域経済の振興援助や補償金が得られるし、原発関連の雇用も生まれる。そして、広大な地域に豊富な電力を供給する。過疎地の道路建設よりもはるかに乗数効果は大きい。 原発の大半は産業と雇用の乏しい人口過疎地にある。積丹半島を走った後に、泊原発を目にして、改めてその背景を理解した次第である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.04 23:45:47
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