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鎌倉橋残日録 ~井本省吾のOB記者日誌~

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政治

2016.10.01
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カテゴリ:政治


安倍晋三首相は9月26日の所信表明演説で自衛隊員らへ敬意を表し、その際自民党議員が立ち上がり拍手を送る「スタンディングオベーション」が起きた。安倍首相自身も自衛隊らに拍手したが、これについて民進党が批判、同党の細野豪志代表代行は9月30日に至っても、なお難詰している。

細野氏は「自民党議員は自衛隊ではなく、首相に拍手しているようにみえた。この国の国会でないような錯覚をおぼえた」とまでのたまう。

首相は「あまりにもこじつけで、うがった見方だ」と反発しているが、私に言わせれば「だから、どうだ」というのだ。

首相の言葉に共感したなら、拍手を送るのは自然で、野党党首の国会演説に賛同して野党議員が拍手することだってよくある。

一体、民進党は今、中国や北朝鮮が日本に向けて起こしている軍事攻勢をどう思っているのか。危機感を覚えないのか。危機感があるのなら、一触即発の事態さえありうる現状をにらんで、日夜努力している自衛隊や海上保安庁の隊員に対し「ご苦労様」と拍手を送っても不自然ではない。

それでなくとも日本は憲法9条2項によって日本は「陸海空軍その他の戦力は保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているからだ。一般的な日本人がこれを素直に読めば、自衛隊が憲法違反であることは明らかである。

自衛隊は憲法によって正規に認められていない「日陰の存在」なのだ。それなのに存在している。その居心地の悪さを、彼ら自衛隊員らに戦後60年以上も味わわせている。その責任は憲法改正をしない(あるいは逆に、違憲として自衛隊を廃止することもしない)国民、有権者にある。

自分で防衛責任をとらずに、米国に任せる居心地の良さを維持したい。でも、まったく軍備を持たないことも現実にはできない。で、憲法違反の疑いの濃い自衛隊を60年間も続けてきた。

ところが、昨今の中国、北朝鮮の軍事力拡張と米国の内向き志向で、自衛隊の存在がますます重要になってきた。震災などへの対処もあって、それでなくとも自衛隊の重要性は増している。その「ありがたさ」から違憲ながら自衛隊を存続させている後ろめたさが与党である自民党員にはある。それが安倍首相の演説に伴う自衛隊員らへの拍手、スタンディングオベーションを導き出したのである。

本来、自衛隊員を日本防衛の正規の職員として認める憲法改正を早急にしなければならないのである。

ところが、民進党はそれを理解せず、「平和の政党」であるかのようなイメージを維持するために安倍批判を繰り返している。

そのノー天気な姿勢を不安に思うから、国民の支持率が少しも上がらないのである。まともな大人の政党といえるだろうか。「いい加減にせよ」と言いたい。

そう言わずに、何度も民進党の安倍批判を掲載する大手メディアもどうかしている。






Last updated  2016.10.01 12:45:57
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2016.08.15
カテゴリ:政治
前回の本ブログのように「安倍晋三を孤立させるな」などと書くと、極右の典型のように思い、多くのリベラル派日本人は眉をひそめる。

「国家」を強化するような反動的なことを言わない。逆につねに「反権力」を標榜するのが知識人であり、柔軟な言論を尊ぶリベラルだ、と思う傾向が偏差値の高い学校の卒業生を中心に強い。それが戦後の日本を彩り、いまも根強い。

鳥越俊太郎氏のような粗雑で破綻した論理を振りかざして「戦後民主主義」を唱える人間を都知事にしようとする都民が135万人もいることが、それを物語っている。

彼らの特徴は、理想的なことを言い募り、自分で実務に手を下すことを毛嫌いすることだ。なぜか。実際の仕事に手を出せば、100点満点は在りえず、必ず問題点が発生し、批判にさらされる。

待機児童、女性の社会進出、年金、介護負担、金融緩和、財政出動、そして安全保障……何をやるにしても問題は発生する。問題を起こさず、批判にさらされないようにするには自分は何もせず、まさに批判する側に回っていた方が良い。

つねに旧社会党に典型的に見られる万年野党の立場に立ち、与党のやっている政策を批判する評論家的行動がベストである。

かつての社会党委員長にして総理大臣も努めた村山富一氏などはその代表だろう。阪神淡路大地震が発生し、その粗雑な処理で総理としての馬脚が表れた。急いで辞任したのは、「これ以上手が汚れるのを防ぐ」という意思の表れだったのではないか、と疑っている。

リベラル派は与党が日々行っている政治の問題点を批判し、自分は手を汚さずに済むのだから、これほど気楽なことはない。

大学や小中高校、役所の職員などがリベラル派の典型だ。これらの人々はよほどの事がない限り、クビになることがなく、定年を迎えるまで給料がもらえる。

また、新聞、放送などの大手メディアも様々な規制と行政の保護によって、新規参入の壁が高く積み上げられている。本来の競争にさらされたらつぶれても不思議のない企業が生き残り、リベラル派はその中でぬくぬくと生活できる。

大手メディアの職場を失ったら、気楽なことを書いたり言ったりして、十分な収入が得られるか心もとない人間が数多い。

その分、半永久的なモラトリアム人間で、人間的に成長、成熟することができない。いわば半人前である。

リベラル派の多くは旧ソ連の崩壊によって破綻が明らかとなった共産主義や社会主義にシンパシーを感じていたが、今もどこに問題があったか、自分は間違っていなかったか、という厳しい自問を課していない。自己欺瞞によって回避している。それでやっていけることもモラトリアム人間の半人前が維持されている理由だろう。
  
理想通りには行かなくても次善、三善の策を打ち出して何とかやる。うまく行かない分「手は汚れる」。それが実務に携わって苦労している、モラトリアムではない普通の人間の営みである。

だが、リベラル派はそうした営みを嫌う。主体性が欠如しているのだ。温情的に自分の立場が保護される世界にとどまることを望み、自ら行動しようとしない。

私は憲法9条や憲法前文を改正しなければならないと思っているが、前文の以下の点は概ね賛成している。

<われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ>

<いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、……(これは)自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ>

安倍首相は南シナ海、東シナ海で中国の無法、力の行使が通るような状態は打破しなければならないと考え、法の遵守を唱えている。集団的自衛権の行使は国際法の秩序を維持することを目的としている。

中国の「専制と圧迫」を除去しようとする国際社会で「名誉ある地位」を占めたいという主体的な意思の表れであろう。

それは戦争勃発の危険を伴う困難で緊張を強いられる営みである。だが、自分は手を汚さず、リスクの高まりそうなことは避けたいと「自分のことのみに専念して他国を無視する」リベラル派とは根本的に考えが違う。

そうした安倍首相を孤立させてはならない、と考えるのは自然であり、日本人としての責務ではないか。






Last updated  2016.08.16 10:49:07
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2016.07.01
カテゴリ:政治
英国が国民投票による僅差の結果でEU離脱を決めた。その後の混乱の大きさが連日、伝えられている。

直接選挙の怖さがまざまと知らされた。これは間接選挙の良さを教える教科書的な好例となった。

確かに英国民の52%は48%の残留派を押えてEU離脱に賛成した。しかし議会の国会議員の多数は残留派で占められている。野党の労働党は圧倒的に残留派議員が多く、与党の保守党さえ残留派が離脱派を上回る。

この矛盾こそ国民投票という直接選挙の欠陥を示しているのだ。一見、国民のすべての声を反映する直接選挙の方が民主的でいいようだが、今回の事件は間接選挙の良さを明快に示している。

安保法案を巡る日本の現状は、EU離脱を巡る英国と酷似しているので、余計それがわかる。

どのメディアのアンケート調査を見ても、昨年の安保関連法の国会成立を「評価しない」が、「評価する」を確実に上回っている。集団的自衛権の行使に「賛成」する国民は少数で、「反対」者を大きく下回る。このほか、米軍普天間基地の辺野古移設、原発再稼働などの重要政策でも賛成より反対が多い。この傾向は安倍政権誕生以来、変わっていない。一方、民進党などの野党は安保法案の廃棄を全面に打ち出し、安倍自民党政権を退陣に追い込む戦術をとっている。

アンケート調査の線に沿えば、今回の参院選で自民党は敗退する。だが、そう思っている有権者は極めて少ない。野党の支持率は伸びず、自民党の支持率が大きく上回るからだ。

これは何を意味するのか。多くの日本人が望んでいるのは、自分たちが危険にさらされず、米国のような強い国に守っていられる状態が半永久的に続くこと。自分は日米安保にタダ乗りし、サボっていい思いをするという手前勝手の欲望だ。だが、それは自然な感情であり、ソ連との冷戦状態の時は実現していた状況でもあった。その状態を破りそうな安保法制が不人気なのは当然なのだ。

だが、いや「だからこそ」というべきだろう、(今の)民進党や共産党には任せきれない。もっと日本を危うくしそうだからだ。

実際、旧・民主党が政権についていた2009-2012年に日本は中国のごり押しにキリキリ舞いさせられ、米オバマ政権との関係は冷却化した。鳩山由紀夫、管直人、小沢一郎、岡田卓也、仙石由人の各氏らが行った政治外交は、中国漁船体当たり事件、「米軍基地は最低でも県外」という鳩山首相の発言などに見るように、まさに日本の国益が犯され、「彼らが日本を滅ばす」(佐々淳行氏)と思わせたものだ。

国民はこういう経過を覚えている。国民の多くは「政権はだれでも良い。うまくやってくれればいいいい」と思っているのだ。表面的に安保法案に不安でも、安倍政権があれほど主張するのは「そうしないと、日本が危なくなると思っているからだろう」とにらんでいる。

実際、米国が軍事予算を削減し、内向き志向になっている一方、中国・北朝鮮の攻勢が強まっている。安保タダ乗りの時代は過ぎたのだ。

だから、アンケート調査では安保法案に反対しても、選挙では「我々の安全のために比較的うまくやってくれそうな方を選ぼう」と自民党支持者がふえるのだ。ここで、間接選挙の利点が機能する。

だが、安保法案を国民投票にしたらどうなるか。「うまくやってくれそうな政党」かどうかに関係なく、「安保法案反対」に○をつけてしまいがちだ。安保法廃棄が多数を占める恐れは十分ある。

まさに英国でそれが起こったのだ。国会議員の多数はEU残留派で、英国の有権者はそうした議員を「うまくやってくれそう」と選んだのに、直接投票で「離脱」を選んでしまった!

離脱派の英国人も、今の混乱を予想した人はそれほど多くなかったのではあるまいか。「こんなにポンドや株価が下落し、混乱が広がるなら残留で良かった」と反省している人も少なくないと思われる。 

離脱派を率いた前ロンドン市長、ボリス・ジョンソン氏は「本心は残留支持だったのではないか」といわれる。3年前のインタビューで「私は単一市場の支持者だ。国民投票が実現したら、残留に投じる」と答えたという。

ではなぜ離脱派に転じたのか。ライバルである英首相、デービッド・キャメロン氏への強烈な対抗心が原因だ。彼の目に今回の国民投票は権力奪取の好機に映った。たとえ国民投票で負けても、離脱派の保守党員の信任を確保できれば、次期党首選出の布石になる。「僅差で負けて存在感を高められるのがベストシナリオ」と考えていたフシすらある。

離脱が実現し、自らが開いた「パンドラの箱」の衝撃を思い知ったジョンソン氏の悩みは深い。「離脱後の英国」がたどるべきシナリオをほとんど考えていなかったといわれる。

民進党の岡田代表も同様ではないか。党勢拡張と安倍政権の追い落としだけが目標で、もしタナボタのように安保法案廃棄が決まったら、日米同盟の関係調整や中国への対抗をどうするか、などあまり考えていないのではないか。

そうした事態を回避する意味で、英国は貴重な実例を我々日本人に示してくれたのである。






Last updated  2016.07.02 10:05:28
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2016.05.06
カテゴリ:政治

石原慎太郎氏が文芸春秋5月号に「角さんと飲んだビール」というエッセイを載せている。石原氏は今年1月に田中角栄の生涯を一人称で描いた「天才」を上梓、たちまち45万部を超える大ベストセラーとなった。では、なぜ描いたのか。その経緯を記している。

石原氏は角栄絶頂期の74年、9月号の文芸春秋に「君、国売り給うことなかれ――金権政治の虚妄を排す――」という論文を寄稿、角栄の金権政治批判の突破口を開いた。

これが引き金となって同11月号に立花隆氏の「田中角栄研究――その金脈と人脈」、児玉孝也氏の「淋しき越山会の女王」が掲載され、12月に角栄は内閣総辞職に至る。

だが、角栄の没後23年、ロッキード事件逮捕後40年を経た今、角栄の政治を振り返ると、その偉大さがわかる。

<今の政界を見渡しても、角さんに匹敵するような政治家はいませんね。……今回、『天才』に大きな反響があったことで、改めて根強い角栄人気を実感しました。この作品を書いたことで、角さんにいい弔いができたな、と思っています。>

角栄人気の一端がタイトルの「角さんと飲んだビール」にある。

<私がスリーハンドレッドクラブ(神奈川県茅ヶ崎市)のテニスコートでテニスをしていた折、昼食をとりにクラブハウスに引き上げていくと、青嵐会で一緒に田仲角栄批判を繰り広げた玉置和郎が座っている。その向かいにいた人物が、角さんだった。驚いたけれど仕方なく一礼したら、角さんはいかにも懐かしげに「おお石原君、久し振りだな、ちょっとここへ来て座れよ!」と言って、自分から立っていき、窓際からイスを持ってきて自分の横に据えたのです。僕が「いろいろご迷惑をおかけしまして、すみません」と頭を下げたら、「ああ、お互い政治家だ。気にするな。ここへ来て座れよ」と言ってまた自ら立ち上がり、近くにいたウエイターに「おい、ビールをもう一つ」と頼んでくれたのです。この人はなんという人だろう、と思わずにはいられませんでした。僕にとって、あれは他人との関わりで生まれて初めての、恐らくはたった一度の経験でした>

考え方の違う人間を握手や酒によって巻き込み、自分の影響力をじわじわと広げるのは政治家の本能的な行動であり、上記の例は珍しいことではない。

だが、角栄は極く自然に自分から行動に出てイスを窓際から運び、ビールを勧める。それが徹底し、イヤミを感じさせないのだ。田中派などに典型的な「一致団結、ハコ弁当」の一体感を嫌う石原氏のような政治家さえ引き付けてしまう魅力を角栄は備えている。

私の極く小さな思い出話を添えよう。昔、日経ビジネスの記者をしていた時、当時の編集長(後に日本経済新聞社の社長、会長を経験した杉田亮毅氏)がロッキード事件後、マスコミがほとんど寄り付かなかった田中角栄氏に接近し、編集長インタビューを実現したことがあった。

その際、杉田編集長から聞いた話だが、昼食時に田中氏は自ら食事を用意、編集長に振舞った。中味はカツ丼だ。当時、日経側は速記を2人つけた。速記が遠慮して「それでは(昼食中)私たちは一時、引き上げます」と言って、腰を浮かしかけると、角栄氏は「ああ、君たちもそのまま」と制して、同じカツ丼を速記にも振舞った。

上等のカツ丼である。杉田氏は「うまかった。ああして、だれにも分け隔てなく対応するのが角さんの人気の秘密だ」と言っていた。

私も同感である。誰に対してもきめ細かくあれほどの行動力を示した政治家は
稀である。必要な事は夜を徹して勉強し、戦後、最も多くの法律を議員立法で成立させて通した。

だが、彼は金権政治と最も深く同居した。「君、国売り給うことなかれ」と言わざるを得ないほど。その角栄氏を石原氏は「あれほどの政治家は今いません」と指摘し、最も懐かしく想い出す。現在の政治の実情がそこにある。






Last updated  2016.05.06 19:27:13
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2015.09.21
カテゴリ:政治
日本経済新聞社が安全保障関連法の成立を受けて19-20日に実施した世論調査によると、安倍内閣の支持率は40%と、8月末の前回調査を6ポイント下回った。不支持率は47%で支持率を上回った。他のメディアも大同小異だろう。

安保関連法の今国会成立を「評価しない」は54%で、「評価する」は31%にとどまった。集団的自衛権の行使に「賛成」は28%で「反対」の53%を大きく下回る。このほか、米軍普天間基地の辺野古移設、原発再稼働などの重要政策でも賛成より反対が多い。この傾向は安倍政権誕生以来、変わっていない。

では、来年の参院選で自民党は敗退するのか、というと、少なくとも今のところその可能性は小さいだろう。なぜか。野党の支持率は伸びず、自民党の受け皿になっていないからだ。民主党の支持率は12%と前月比3ポイント上昇にとどまり、自民党支持率の35%を大きく下回る。最大なのは相変わらず無党派層の36%だ。

これは何を意味するのか。

安保法制の誕生直後に知り合いの60歳前後の男性が、不安そうに私に尋ねた。「新聞じゃ、あの法案は戦争法案と言っている。本当に大丈夫なんですか。安倍政権て、危ないんじゃないんですか」。私が元新聞記者だから、事情に詳しいだろうと思ってのことだ。

「今までの日米安保条約と自衛隊の存在で平和にやってこれたんだから、これを崩すことはないんじゃないか」というのが、彼の主張である。

「アメリカは軍事予算を削減しており、今までと違って日本も一緒に戦わないと、日本を守りきれないと言っています」と言うと、「そこを何とかするのが政治でしょう」と言う。

彼は「自衛隊は米軍の補助であって、日本はあくまでも安保条約で米国に守ってもらうのが望ましい」と考えている。

「米国の国民は日本が何もせずに、米軍の若い兵士だけが日本のために血を流すことを認めるでしょうか。それは虫がいいと思うんじゃないですか。怒ってそれなら安保条約は解消する、と言って来たら、どうします」

すると、「ですから、そこを何とかうまくやるのが政治の役割でしょう」と再説する。

「では、安保法案に反対した民主党を支持しますか」と聞くと、「わからない」と自信なさげ。民主党が政権をとっていた2012年までの3年間の危なっかしい状況を覚えているからだ。

彼の望みは自分たちが危険にさらされず、米国のような強い国に守っていられる状態が半永久的に続くこと。そうなるように、政治家は「うまくやってほしい」ということに尽きる。

誠に正直で、自然な感情である。安保法制への不人気とそんな不安な政治に突き進む安倍政権の支持率が下がるのも当然だ。無党派層が(久しい以前から)最大なのも、「政権はだれでも良い。うまくやってくれればいい」と思っている有権者が多いことを示している。

だが、いや「だからこそ」というべきだろう、(今の)民主党その他の政権には任せきれない。もっと日本を危うくしそうだからだ。

有権者は次善、三善の策として安倍・自民党政権に政治を託しているわけだ。「任せるけれど、危ない政策をしては困るよ」と、安保法案にも辺野古移設にも原発再稼働にも反対している。

だが、時間が経過して、その結果、不安な戦争が起こらず、原発被害も発生しなければ、徐々に反対者は減って行く。政治とは実行力、「うまくやれる」政権か否かが最大のポイントなのである。

有権者は支持率を下げることで「うまくやらないと承知しないぞ」と厳しい目を向けている。厳しい姿勢を怠らないのは国政を良くするのに望ましいことだ。同時に、任せるだけの実行力を伴った野党も必要だ。国民は自民党がダメなら、別の政党に任せることができる。

欧米はそうした政党が存在している。野党でも政権をとれば現実に即した政治をする実行力があるからだ。「安保法案は憲法違反」などと叫んでいるばかりで、東アジアの厳しい状況に無頓着な、危機感を持っていない政党に委ねる気にはならない。国民はそう考え(感じ)ている。






Last updated  2015.09.26 18:14:23
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2015.09.18
カテゴリ:政治
朝日新聞やテレビ朝日、TBSなどの報道番組を見ていると、まるで安倍政権が民主主義を破壊する悪魔的な行動をとっているような錯覚に襲われる。

論説委員やキャスター、コメンテーターの学識経験者が「審議を尽くさない強行採決」「少数意見を圧殺する専制政治」という言い方をする。その意見を増幅させるために、国会周辺の「安保法案反対デモ」をこれデモか、これデモかと長々と放送する。まるで日本中が反対しているか、のように。

これって、読者や視聴者を錯覚させるための振り込め詐欺ならぬ、「丸め込み詐欺」ではないか。

言論の自由と最大多数の欲求を実現させるために審議を尽くし、妥協点を探るのは重要なことだ。が、真っ向から主張が対立し、折り合うことができずに平行線をたどることはよくある。

永遠に審議を続ければ、国民の多数の付託を受けた与党政権は、望ましいと思う政策を実現できない。

それは多数の国民の要求に応えないことを意味する。安倍政権は昨年末の衆院選挙で安保法制の成立を訴え、その結果、選挙に勝利した。

だから、安保法制を成立させようと思うのは当然なのだ。むろん、審議の過程で野党の言い分に頷ける点があれば修正する。それが民主主義下の国会論議だが、政権側が納得できなければ、自分の法案を通す。それらの行為はすべて民主主義のルールに則ったものだ。


議長が論議は尽くされたと判断して審議を中止し、採決を宣言したら、その宣言に従うのがルールだろう。物理的に議長席を取り巻いて採決に入れないようにしたり、議長が議場に入れないようにピケを張ったりするなどは、およそ民主主義国の議員がとるべき道ではない。ルール違反である。

野党が「議論が尽くされないのに採決を強行した」「与党の政策、法案が望ましくない」と思うのなら、それを有権者に訴えて次の選挙で落選させればいい。それが民主主義の選挙、民主国家の基本中の基本である。


ところが、与党政権の強行採決が民主主義にもとるという識者がテレビの前で堂々と論陣を張る。どうかしているのではないか。

物理的阻止を敢行する議員はルール違反として、衛視が、議場からそれこそ物理的に退出させるべきものだろう。採決も簡単にできるように各議員の席に賛否を問うボタンを設置し、議長が賛否を問うたら、一斉にボタンを押し、一瞬のうちに採決が終了するようにすべきである。30秒以内にボタンを押さなければ、無効とするようにしても良い。

不信任決議案や問責決議案の提出はルールに即しているが、その際、長々と演説するフィリバスターなどは問題で、事前に30分以内とか規則で決めておくべきだろう。

以上、こんな常識的な内容のブログは「太陽は東から上る」という話を読むようなもので、わかっている人にとっては時間のムダだろう。

しかし、あえて、常識を書かざるをえない気分にさせる非常識が今、大手マスコミを覆っている。異常である。

評論家の福田恆存氏は60年反安保デモを「所詮烏合の集り」と厳しく批判して進歩的文化人(今でいうリベラル派)の偽善と非論理性を鋭く衝いた論考「常識に還れ」を書いたが、非常識はいつの時代も横行するものだ、と痛感する。

「いや60年安保の頃の方が反対派も、もう少し真剣味があった」と慨嘆する声も聞かれる。








Last updated  2015.09.18 20:17:26
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2015.09.13
カテゴリ:政治
安倍内閣は戦後70年談話で支持率が少し上がったものの、低下傾向にあり、不支持率が支持率を上回っている。

最大の原因は安保法案のいわゆる「強行採決」だ。同法案成立によって「今よりも戦争に近づく危険が大きくなるのではないか」という不安が、安倍政権の支持率を下げている。

戦後、日本は軍事行動をせずに済んできた。米国がそれを認めてきたからだ。憲法9条の武力放棄条項を押し付けたのは米国であり、朝鮮戦争勃発で、自衛隊を創設するよう、圧力をかけてはきた。だが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、いずれも自衛隊は最低限の参画でとどまっており、戦闘には一切、かかわっていない。

米国は日本全国に米軍基地を置かせることを条件に、戦闘参加をしない日本を認めてきたのである。その背景には、日本の軍事力復活への米国の警戒心、恐怖がある。

米国は戦前の日本軍の軍事力の強さを知っている。また、国際法を無視し、東京をはじめ無辜の非戦闘員の住む全国の都市に焼夷弾を絨毯爆撃し、あまつさえ原子爆弾を広島、長崎に投下した。日本人はその復讐心を心に抱いていると、ひそかに疑っている。

春秋の筆法を持ってすれば、戦前の日本軍の軍事力と祖父母の世代の爆撃被害という歴史が、現在の日本人を戦争参加から遠ざけ、日本人を守ってくれている、とも言える。

過去の遺産で戦闘行動をサボることができているわけで、現在の日本人は祖父母の世代に感謝しなければならない。

だが、戦後70年たって、この過去の遺産も効力が切れてきた。平和一辺倒に流され、米国に頼りきっている今の日本は、もはや軍事力が強化されてもタカが知れていると、恐れる存在ではない、と米国に見透かされてきた。

他方、米国は内向き志向になり、軍事予算を大幅削減しており、米国の世界戦略における日本の価値も下がっている。日本が戦闘に参加しないなら、日本を守る必要はない。最近は日本に自国を守る意思が希薄なら中国と日本列島を二分するような形で勢力圏を分け合ってもいい、とさえ思っているフシがある。

それではならじと、米国を日本に引き止めるために出てきたのが、日米新ガイドラインだろう。米国の世界戦略のための戦闘参加はしないまでも、日本を守るために米軍が動くときは、自衛隊は米軍と一緒に行動し、時に敵からの攻撃にさらされる米軍を自衛隊が守る。日本だけが米軍に守られていた片務的な同盟ではなく、相互に守りあう双務的な日米同盟にする。それが新ガイドラインであり、そのための集団的自衛権の行使容認だ。

今まではさぼっていた戦闘参加を余儀なくされる不安が増す--。集団的自衛権の行使容認やそれに基づく安保法案について、世論調査で反対意見が多いのは、そこに由来している。

背景にある国民の思惑、心理はこうだろう。日本がやらなくても米国は今まで通り、日本を守るだろう。日本列島は米国の世界戦略にとって必要なのだから。

中国の軍事力増強など日本を取り巻く環境や、米国の考え方が変わりつつあることを知らないのだ。あるいは、厳しい現実を受け入れたくないために、知らないそぶりをしている。砂の中に首を突っ込むダチョウのポーズである。

いや、うすうすわかっている人々は、こう考えている。日本が中国の要求を受け入れれば(つまり中国の支配を受け入れれば)、ひどいことはしないだろう。

米国だって日本が降伏した後、部分的な乱暴はあったが、基本的には日本人の安全と平和を保ち、サンフランシスコ条約後に独立を認めた。その後も米軍の軍事基地はあるが、沖縄などで不満はあっても、日本全体としてはむしろ安全保障が保たれ、プラスの方が多い。

同様に、中国も日本を厳しく扱うことはしないだろう。新疆ウィグル自治区やチベットで人民が抑圧されているが、それは彼の地の経済・技術水準が低いからで、日本のように経済力や技術力のある国をむげに扱うことはしないはずだ。金の卵を生むニワトリは大切にする。経済力のある香港がそうではないか。イギリス統治時代の自由はないが、それなりの自由は保障されている。

中国や北朝鮮、ロシアなど危険な隣国に軍事的に抵抗して多大の死傷者を出すよりは、抵抗せずに向こうの要求を受け入れた方がプラスだ。多少の自由が失われても命の方が大事だ--。

ざっと、こんなところではないか。冷戦期にもソ連の脅威に直面していたドイツなど西欧市民の間では「rot als tot(死ぬくらいなら共産主義の方がましだ)」という議論があった。

子供を抱える母親などは、戦争の危険に敏感である。命あってのものだね。この自然の感情は強く、安保法案への反対が過半を占めるのもうなづける。

しかし、征服者に対して、そんな甘い期待が持てるだろうか。抑圧、不自由、理不尽が日本社会を覆うだろう。さらに権力者に媚びる日本人が増え、彼らは媚びない日本人を告発し、弾圧の手先になる。降伏後に進駐してきたマッカーサーとGHQに対して、日本人の示した卑屈な態度と不服従の日本人を積極的に告発する姿。その無残な有様を克明に記した著書に鈴木敏明著「逆境に生きた日本人」(展転社)がある。


<日本民族の資質は極端に権力に弱く、権力者に徹底的に媚びることによって生存を図る。異国の支配者に対して団結して抵抗できず、変わり身早く権力にすり寄る。そうした日本民族が亡びることはないが、その代わり日本の文化伝統はめちゃめちゃになる。それを気にしないのが日本民族なのである>

以前のブログで記したが、本書を読むと、同じ民族の一員としてうんざりする。独裁国家である中国は民主国家の米国以上に酷薄な施政を貫くだろう。それでも「死ぬよりはましだ」と言うのだろうか。鈴木氏の「日本の文化伝統がめちゃめちゃになるのを気にしないのが日本民族である」という指摘を読むと、そうかも知れない、と思えてくる。

だが、めちゃめちゃになっては困ると感じている日本人も多い。過半数の日本人が安保法案に反対しながらも、対抗馬である民主党の支持率が6%前後で、一向に高まらないのはそのためではないか。

自民党に愛想をつかし、一度は民主党を選んだものの、尖閣領域に進出する中国や竹島、北方領土上陸を試みる韓国やロシアの首脳の動きになすすべなく右往左往。対米関係は冷え込み、東日本大震災時の対応も危なっかしかった。これでは国は任せられないと、民主党への期待は今もしぼんだままなのだ。

民主党以外の野党の政治力はそれ以下であり、ほかにいないから自民党、それも外交に強い安部政権に任せるしかない。有権者はそう思っている。再び春秋の筆法をもってすれば、民主党の体たらくが安倍政権を支えているのである。






Last updated  2015.09.13 23:57:06
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2015.07.01
カテゴリ:政治
評論家の加瀬英明氏が「日本国憲法の精神だけで国を守れるのか」と題し、日本の敗色濃厚となった第2次大戦末期の「高松宮日記」を紹介している。

「如何ニシテ戦ニ勝ツカ 精神力ヲ以テ物量ヲ圧倒スト云フ 無形ノ精神力デ例ヘバ敵ノ戦車ヲ破壊シ得ルカ 今ノ戦況ハ押シマクラレテヰルデハナイカ今後如何ナル精神力ガ蔵サレテヰルカ 精神力ヲ物ノ如ク扱フ考ヘ方デハ納得出来ヌ 信念デ現実ノ力ニ対抗出来ルモノナラバ 兵器ハイラヌ筈デアラウ」

大和魂があれば、米国の物量に負けないと言っている軍部を批判しているのである。これは今の憲法9条で平和が保てるというのと同じではないか、と加瀬氏は指摘する。

一方は精神力で勝てると言い、他方は「憲法9条の精神さえあれば、戦争に巻き込まれず平和が保てる、侵略されない」と言っている。一見違うようだが、確かに「信念デ現実ノ力(中国の軍事力など)ニ対抗出来ル」と言っている点では同じである。

他国の軍事力の増強ぶりなど現実の国際情勢を冷静に判断できず、精神論だけで議論するのは日本人の特性か。

さすがに、自衛隊を全否定する非現実的な9条論者は減ったが、憲法が認めるのは個別的自衛権までで集団的自衛権はダメだというのが昨今のリベラル左派の特徴だ。

だが、この中途半端は自衛隊を全否定できない「後ろめたさ」から来る自己欺瞞以外の何者でもない。自衛権に個別的と集団的の区別があろうはずがない。

自分ひとりで守れれば個別的だが、それでは無理な場面がありうる。敵国が強大な武力を持っていては、対抗できない。その時は同じ志、利害関係と持つ仲間を募って軍事同盟を結び、共通の敵に当る。これが国連憲章51条に書かれた自衛権で、個別的も集団的も両方、認めている。

問題は防衛的であるか、攻撃的、侵略的であるか、の違いだ。攻撃的、侵略的であってはならない。過剰防衛も慎む必要がある。

つまり線引きするのは適切な自衛か過剰防衛かであり、個別的か集団的かではない。安倍政権の「切れ目のない対応」とは個別的、集団的で分けずに、適切な防衛ができるかどうかで区分けしたいからだ。一国の運命を担った国家の最高責任者なら、当然の判断だ。

米国がアジアで圧倒的な武力を持っていた冷戦期はともかく、中国の軍事力の増強が著しい今、これまでの内閣法制局の「集団的自衛権は行使不可」の考え方では非現実的で対応できない。そう考え、行使容認の方向に舵を切ったのである。

だが、過剰防衛か否かの判断は容易ではない。それこそ内閣の判断力が問われる。自衛隊員が死傷するリスクが高まることもありうる。そこを国民に丁寧に説明するのに難しく、安倍内閣も今、悪戦苦闘している。

しかし、国難にどう対処するかはつねに難しい判断を要する。朝鮮戦争時、ベトナム戦争時や湾岸戦争時の米大統領、フォークランド紛争時のサッチャー英首相。いずれも戦うべきでないか、どこまで戦うか、どこで撤退すべきか、と悩んだに違いない。そして、100点満点の評価はありえない。当時の世論も、歴史の評価も。意見は分かれる。

それでも政治のリーダーは決断を下さなければならない。国民はその時、最適と思われる政治家に政権を委ね、その判断に待つしかない。判断が間違っていれば、選挙によってリーダーを替えるだけのことである。

話を元へ戻すと、精神力だけで国の防衛ができないこと、安全保障が得られないことだけは確かであり、物理的な軍事力を整備し、適切にそれを活用するしかない。適切かどうかの線引きをするのは時の政権であり、憲法で画一的に決めることはできない。









Last updated  2015.07.03 10:38:08
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2015.06.06
カテゴリ:政治
今週の週刊文春と同新潮はそろって安保法制の論議を進め方について、安倍首相を批判している。文春は「上から目線の『安保法制』 安倍首相よ、国民をバカにするな」、新潮は「心に響かない安保法制『国会論議』の不毛地帯」。

保守系の両週刊誌は集団的自衛権の行使については基本的に賛成なのだが、「論議の進め方がきわめて不十分。国民に丁寧に説明していない。国民の心に響かない」という。

野党の重箱の隅をつついたような質問にも問題があるが、最大の原因は本質に迫らない安倍首相の答弁姿勢にあるとの批判だ。

それは、両誌ともに取り上げた佐瀬昌盛・防衛大学校名誉教授の言葉に集約される。いわく「安倍政権は胆力が足らない」(文春)、「覚悟の問題だ」(新潮)。

佐瀬氏は永年、集団的自衛権の行使容認を訴え続けてきた安全保障政策の権威だが、次のように安倍政権を批判している。

<(集団的自衛権の行使によって自衛隊が米軍と共同で戦ったり、海外派遣されることが多くなり)自衛隊員のリスクが高まるのは当然だ。だが、安倍政権は国会論議でそこをはぐらかしている>

佐瀬氏はドイツの例を引き合いに、次のようにいう。

<1995年、それまで憲法解釈からNATO領域外に派遣できなかったドイツで、ボスニア紛争に派兵するかどうか、大激論になったことがあります。野党の女性議員が「もし兵士の棺が戻る事態になったらどうするか」と議会で質問したのですが、キンケル外相は「そういうケースはありうるでしょう。ただその時は、国防大臣とともに、棺の傍らに一晩立ち続け、殉死者を悼み続ける」と答えたのです。その結果、野党議員は黙り、野党から造反者が出て、派兵は可決された。今回、安倍首相や中谷大臣(元防衛相)は、「自衛隊のリスクは高まらない」などとのらりくらりとかわしています。キンケル外相のように、毅然と国民に自国の置かれた現実を語れる人材が安倍政権にいないのは残念です>


安倍首相が慎重に安保論議を進めたいという気持ちはわかる。与党が絶対多数を占める今は、集団的自衛権の行使容認という国家の安全にとって重要なテーマを解決する絶好の機会である。

だが、「自衛隊員の死ぬリスクが高まる」「日本が戦争に巻き込まれる危険が高まる」といった議論に足をすくわれ、安保法案が通らない、などという事態になっては大変だ。

ここは慎重に論議を進め、無難に国会論議をかわし、法案成立にこぎつけたい。当たり障りのないよう、危ない論議は極力避けよう……。

その気持ちが心に響かない抽象的な答弁となり、結果として国民の「戦争に巻き込まれる危険が増大する」という不安を高め、マスコミのアンケート調査で「説明不十分」という回答が過半数を超えるという事態を招いている。

「自衛隊員の危険が高まる」「戦争に巻き込まれる危険が高まる」としても、安倍首相がそのリスクを引き受ける「覚悟」「胆力」を示せば、国民は納得し、むしろ支持率が高まるというのが佐瀬氏の見立てである。

私もそう思う。安倍首相は中国や北朝鮮の脅威が高まっている現実について、両国をいたずらに刺激したくないという配慮からか、間接的、抽象的にしか語らない。国民はこの点も説明不足と感じている。もっと踏み込んで中国の脅威、東シナ海、南シナ海の現実を語るべきだろう。

次に米国の軍事予算削減などから、日米同盟を基軸にしながらも日本は今までよりも防衛力を高め、防衛の前線に出ざるを得ないと語る。その結果、自衛隊員のリスクが高まることはありうるがそれを極力減らすために、そのためにこそ安保法制を改正するのだと正直に語る。最後にそれでも自衛隊員が殉死することになったら、一晩死者に寄り添う気持ちだと述べて、自衛隊員の危険を引き受ける「覚悟」を語る。

そうすることが、結果として国民の支持を高めることになると思う。








Last updated  2015.06.07 16:34:24
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2015.06.02
カテゴリ:政治
政治評論家の杉浦正章氏は、ブログで「安保法制をめぐる発言では副総裁・高村正彦の発言が一番分かりやすい。平易な言葉で核心を突いている」と評価している。例えば、高村氏は「集団的自衛権の行使は伝家の宝刀だ」と説く。

<「抜くぞと見せかけて抜かないところに抑止力が生じる」。たしかに安保法制は攻撃的な性格のものではなく、受動的な性格が濃厚である>

<野党は「アメリカの肩代わりをすることになる」と追及するが、高村は「外形的には米国が(他国に)やられているのを、日本が守れば集団的自衛権の行使と言われざるを得ないが、あくまで自国防衛の目的を伴った限定的な行使だ」と述べる>


<高村は「アメリカは、かつては基地を提供してくれれば後は全部任せてくれという態度であった。今でも圧倒的に強いが、世界の警察官疲れをしている」と説明する>


民主党や共産党など野党がすぐに口にする「アメリカの戦争に巻き込まれる」論についても、高村氏はやんわりといなす。

<(1960年に日米安保条約の改定時にも)反対という人は「戦争に巻き込まれる」と言った。次に周辺事態立法の時も巻き込まれると言い、(国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させ、それに基づいて自衛隊を海外派遣する際も、戦争に巻き込まれると主張した。しかし、かえって抑止が利いて日本は70年間平和だ。巻き込まれる危険と抑止力で未然に防止する効果とどっちが大きいかは火を見るより明らか>

見事である。

自衛隊員のリスクについても高村氏は「まさに国民のリスクを減らすために安保法制を作った。有事の際に自衛官が一番のリスクを負うのが当然だが、そのリスクを減らすためにいろいろな工夫をしている。木を見て森をも見れば紛争を未然に防げる。そうすれば自衛官のリスクですら減る」と延べており、杉浦氏は「極めて妥当な発言だ」と拍手する。

私も異論はない。安保法制にまつわる国民の不安を払拭するのに、適切で明快な説明といえる。

だが、苦い薬を飲ませるためのシュガーコートが巧みだとも言える。前回の拙ブログに即して言えば、「安保論議に危機感が欠けている」のは、薄い幕(シュガーコート)を張って、国民の目を「厳しい現実」からそらす努力ばかりやっているからではないか、ということになる。

「厳しい現実」とは中国のあからさまな軍拡と周辺国への侵略である。半世紀前は中国の支援を受けて米国と戦ったベトナムが今や、その米国の軍事支援を受けて中国の侵攻に対峙する時代である。日本にとっては北朝鮮からの脅威もある。

政府はユーチューブなどの映像を交えて、そうした中国や北朝鮮の危険な動向を内外に向けて日々、発信すべきなのだ。大手メディアも同様である。

宮崎正弘氏の書評によると、廣池幹堂著『人生の名言 歴史の金言』(育鵬社)の中で、沖縄密約のときは佐藤栄作首相の密使として何回もアメリカへ飛んで、ニクソン、キッシンジャーなどと渡り合った若泉敬氏(京都産業大学教授)は、こう言っている。

<危機管理とは(防衛、核武装、戦争など)考えられないこと、或いは考えたくないことを考えることである>

<戦後の日本人は危機管理など考えたくないことには目をつむり、耳を塞いできた。そしてきれいごとをいって、耳に心地よいことばかりを追い求めている。まるで愚者の楽園であり、精神的文化的に根無し草に陥ったようなものである>
 
高村氏など自民党幹部の安保論議は(安保法制という)薬を国民に飲み込みやすくしていると評価できる反面、国民をいつまでも「愚者の楽園」に眠らせる副作用を生みやすい。時には「怖い現実」を知らせて冷水を浴びせ、楽園にいる錯覚から目を醒まさせる必要がある。
 






Last updated  2015.06.03 14:05:24
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