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鎌倉橋残日録 ~井本省吾のOB記者日誌~

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歴史

2016.09.04
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カテゴリ:歴史

前回の当ブログで、中国は「中国脅威論」を薄めるためにも、中国が米英露仏などと同じ側にいるという「反ファシズム」史観を全面に打ち出し、自らの正統性を主張している、と書いた。

今も閣僚が靖国参拝をする日本はファシズムという「絶対悪」の側にあり、自分たちは「正義」の側にいるのだ、と何度も唱え、「反ファシズム」路線の欧米を味方にしようという魂胆だ。

前回紹介した福井義高・青山学院大学教授の「日本人が知らない最先端の世界史」(詳伝社)によれば、こうした中国の情報戦略に大きな力を与えたのがソ連のスターリンだった。

スターリンはナチス・ドイツが台頭した戦前、それまでの「共産(社会)主義VS資本主義」という対立軸を引っ込め、「民主主義対ファシズム」という人民戦線路線を掲げ、英米仏との共闘に政治外交戦略を改めた。

この結果、反共主義は反民主主義すなわちファシズムと同じとなった。対独勝利をめざす西欧はソ連の共産主義に懐疑的ながらも、その点に目をつむりソ連が味方になるスターリン路線を許容した。それは第2次大戦後の国連創設後も変わらず、西欧諸国は「スターリンの呪縛」にまんまとはまった。


GHQが日本を占領した後、日本共産党や社会党が大きな自由を得て、共産・社会主義を全面に押し出す政策、宣伝を打ち出せたのはそのためだった。

冷戦が本格化した後、東西陣営の対立へと構図は変わったが、今に至るも「絶対悪はナチス・ドイツであって、米国がソ連とともに戦ったことが否定的に評価されたわけではない」(福井教授著「最先端の世界史」)。

ソ連が崩壊し、共産・社会主義の矛盾が露呈した冷戦後、「民主主義=反・反共主義=反ファシズム」という現代リベラルの公式は、むしろ純化されたといえる、と福井教授は喝破する。

ファシズムとスターリニズムを並べた場合、共に巨悪であり、戦後もソ連、東欧、中国、北朝鮮で多数の人民を虐殺や飢餓、圧政に追いやり、貧困と言論の不自由を強制してきたという意味では共産スターリニズムの方が巨悪だと思われる。

だが、ナチズムを倒したという正義の歴史を貫きたい欧米諸国は冷戦時はともかく、冷戦に勝利した今は共産主義を大目に見る風潮にあるようだ。絶対悪はナチズムであり、スターリニズムはそれよりマシだという歴史観である。

戦前もナチ・ドイツという絶対悪を倒すために、より小さな悪である共産スターリニズムと協力することはやむを得なかったというわけだ。

米国はそれほどに戦前のナチズム攻略、及びナチズムと結託した軍国日本打破の歴史を「栄光の歴史」「正義の歴史」として擁護したいのだ。

これがリベラル左翼にとって好都合となっている。戦後、一貫してソ連、中国、北朝鮮の政治、外交を擁護し、自民党など保守派の資本主義の打倒に執念を燃やした共産・社会主義者とそのシンパ。シンパの方が多く、今はその大半がリベラル左翼だ。

当ブログ「リベラル派日本人の自己欺瞞」で指摘したように、彼らはソ連崩壊後、マルキシズムに染まっていた自分のどこに間違いがあったかを反省(総括)する責任があるが、その動きはほとんど見られなかった。無責任と言っていい。

その背景に「そうしなくてもいい」という空気が欧米で根強かったことが挙げられそうだ。その空気が日本にも伝播したのである。

しかも、日本でも欧米でも「スターリニズムは悪かったが、純粋なマルキシズムそのものは悪くない。それを信じたリベラル左翼は真情においては純粋だった」という風潮が今も強い。

「結果は悪かったが、同期は純粋だった」という甘えた論理。民進党(旧・民主党)の党員や支持者に典型的に見られる半人前の論理、居直りである。

昔から「若いころ、マルキシズムに染まるのはむしろ純粋で望ましい。しかし、大人になってもそれを続けるのはバカだ。清濁併せ呑む世の中の論理をわからなければ一人前の人間としてやっていけない」と言われてきた。

「若いころは左翼的な行動をしてもいいんだよ。オレもそうだった」という許容的な姿勢が「大人の社会」にはある。

リベラル左翼の多くはこの論理の中に逃げ込んでいる。共産主義者、マルクス主義者と言う人間はいなくなり、「自分はリベラルだ」という言い方をすることで現在の自分を擁護している。

そして、自分(たち)は「行き過ぎたスターリニズムの間違いは認めるが、今も憲法9条の改正、格差社会の拡大や女性差別、危ない原発再開など反対する一方、途上国支援、移民・難民の受け入れなどを促すよう求めている」と、エエカッコシーを続ける。

責任ある立場にいないので、そうしたモラトリアム人間を続けられるのである。


リベラル左翼は靖国参拝などにも反対する向きが多く、欧米の歴史修正主義への「圧力」を歓迎している。歴史修正主義や移民受け入れ反対の動きをする政党は欧米でも普通の「右翼」「保守派」ではなく、「極右」と言われる。

欧米でその空気があるために、リベラルたちは自分たちを純粋な人間と位置づけ、いい気になって「汚れた極右」を指弾する。

ナチズムを「絶対悪」とする歴史観が今も大きく影響している。日本のリベラル左翼はそれを歓迎し、多大な人民を抑圧していた共産スターリニズムに染まっていた自らの責任回避と、現在の勢力拡大に活用していると思われる。









Last updated  2016.09.06 11:17:39
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2016.01.07
カテゴリ:歴史
オバマ米大統領が銃購入者の身元調査を厳格化する新たな銃規制強化策を発表した。このような試みは過去、何度も米国で行われているが、いずれも失敗している。今回も共和党の多数の議員が反対するなど、抵抗は強く、有効な規制にならないだろうという見方が強い。

米国民は自分で自分を守る権利を強く意識し、憲法でも保障している国家だからだ。

日本は豊臣秀吉の刀狩り以来、農民や町民は原則として銃刀を持たなかった。実際には所持を許された地方もあり、一揆の際などに活用された例もあるようだが、基本的には銃刀を持たない社会が当時から実現。江戸時代は「戦(いくさ)はお侍様のするもの」という考え方が徹底していた。

欧州でも日本ほどでないにせよ、銃刀は軍隊や警察が所有し、民間人は制限される社会となっており、米国とは異なる。

これには17世紀の思想家トマス.ホッブズ以来の考え方が背景にある。ホッブスは「自然状態においては人は(自分の欲望を満たすために、あるいは自分を守るために)他人に対して狼となる。自然状態は『万人の万人に対する戦い』の場にほかならない」と考えた。

この悲惨な争いを克服するために、社会契約によって各人が同時に自然権を放棄し,国家を形成し,この保護のもとに平和と安全を達成するしかないとの社会契約説が展開された。これが各国の政治、行政に反映され、欧州では曲りなりに銃刀規制が普及した。

ところが、欧州から移住した清教徒集団が作ったアメリカでは、この考え方が浸透しなかった。「国家の保護のもと」に置かれるのはまっぴら御免、自分の身は自分で守ると、「万人との戦い」に備える人々が今もたくさんいるのだ。
米国は近代国家のような顔をしていて、ホッブスの言う社会契約も実現していない暴力の横行する野蛮な社会と言える。

清教徒が米国に渡ったていた17世紀に、早くも刀狩りで「万人による万人の戦い」を制限してしまった平和国家・日本とは対照的である。どっちの方が優れた社会か。日本であるのは自明だろう。

江戸時代、日本では島原の乱、農民一揆など一部に戦乱、闘争が見られたものの、大体においては平和だった。赤穂浪士の討ち入りがその後、繰り返し語り継がれたのも、極めて珍しい出来事だったからに違いない。

その太平の眠りを覚ましたのが、日本に開国を迫った米国の蒸気船だった。その時から日本は列強の侵略、植民地化を防ぐために富国強兵の道に進んだのだった。

戦前の日本は、平和国家ではなく、侵略的な軍事国家に変貌したといわれている。だが、それを断罪する東京裁判を主宰した連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥は、東京裁判の判決から2年半後の1951年5月、米上院軍事外交委員会で「日本は自衛のために戦わざるをえなかった」という趣旨の証言をした。

マッカーサー元帥は、無辜の非戦闘員が暮らす東京をはじめ全国の都市を空襲し、広島、長崎に原爆を投下した野蛮な行為を反省していたのかも知れない。







Last updated  2016.01.07 18:37:27
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2015.10.26
カテゴリ:歴史
林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)を読んだ。

本書の白眉は目からウロコの史実の発掘である。今日の近現代史は「日本軍、特に陸軍は無謀な戦争に走った」という見方が定着している。

だが、実は、陸軍は「陸軍省戦争経済研究班」のもと日米欧の経済力と軍事力を徹底的に調査、研究し合理的判断のもと「勝てる戦略」を準備して、開戦に臨んだという。著者の林氏はその歴史的史料を入手し、本書で詳細かつ具体的に検証している。

「無謀な戦争突入」という史観は左翼・リベラル系の学者やメディアによってのみ出されているのではなく、保守層の間でも幅広く定着している。その大きな要因の1つに、元都知事の猪瀬直樹氏が1883年に出版した「昭和16年夏の敗戦」がある。

安倍晋三首相の後継を狙う石破茂・地方創生担当大臣(元防衛庁長官)は同書を高く評価、「全日本人必読の書だ」と絶賛している。

猪瀬氏の著書は、昭和15年に開設された総理大臣直轄の「内閣総力戦研究所」の研究経過とその結論を綴ったものだ。同研究所は軍部・官庁・民間から選りすぐりの若手エリートを集め、「模擬内閣」を結成、豊富なデータを基に日米開戦を分析した。兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、机上の演習を繰り返した。

その結果、昭和16年8月に「日米が開戦すれば日本は必敗」という結論を導き出した。結論を聞いた東條英機陸軍大臣(当時、10月に首相就任)は、こう述べた。

<これはあくまでも机上の空論でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようにはいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。君たちの結論はその意外裡の要素を考慮したものではないのであります。>

「意外裡の要素」という言葉が科学的、合理的な分析を無視した「ヤマト魂に敵はない」につながる精神論を意味していると戦後、解釈された。猪瀬氏に言わせれば、総力戦研究所の「日本必敗」という結論を無視して無謀な戦争に突入したということになる。

私も「昭和16年夏の敗戦」の続編である「空気と戦争」(文春新書)を読み、猪瀬氏の見解に同意した。

だが、林氏によれば、陸軍省には戦争経済研究班があって、総力戦研究所とほぼ同時期に英米との戦争を徹底的に研究していた。

その結論は次のようなものだった。

1)極東の米英蘭根拠地を攻撃して自存自衛を確立。
2)東南アジア、インド洋からの英米による蒋介石政権への軍事物資補給ルート(援蒋ルート)を攻撃、支配し、蒋政権を屈服させる。
3)独伊と連携して英国の屈服を図る。
4)最強の敵となる米国とは極力戦わず、戦闘は日本近海に米国をひきつけて行う(戦争は本拠地からの距離の二乗に比例して自陣が有利である。だからハワイ攻撃などはしない)


陸軍省の研究では戦争の舞台は東南アジアとインド洋であり、当時の日本の海軍力と英国の海軍力を比較すれば十分に勝算があった。米海軍もフィリピン基地など日本近海の西太平洋側だけならば、当時は日本側の方が物量的に優れていた。

研究班のシナリオ通りに実行すれば、緒戦で英国軍を破って、東南アジアとインド洋の制空海権を奪取、日本はインドネシアの石油を確保。援蒋ルートも断ち切り、シナ大陸の戦闘を極めて有利に展開できる。

さらにインド、東南アジアが列強から独立し、日本に味方する。のみならずドイツと提携して米国によるインド洋、スエズ運河からの英ソへの援助ルートを断ち、独伊が欧州戦線で決定的な優位に立てる。

以上は、かなりの成功の可能性に富んだ合理的な戦略であった。

東條陸相は、この「陸軍省戦争経済研究班」の結論を知っていた。だが、昭和16年夏の段階で、極秘戦略の内容を民間人を含む総力戦研究所のメンバーに軽々しく開示することはできない。だから「意外裡の要素」と言ったのだ。

林氏によれば、そもそも総力戦研究所は研究所と銘打ってはいるものの、各省庁、大手民間企業のエリートを教育・訓練するのが主目的だった。

陸軍省の専門研究班は、エリートとは言え素人にすぎない若手集団の研究をはるかに超えた視野と戦略で日米英戦を考えていたというわけだ(ただ戦闘は英国を主敵とし、米国とは極力戦わないという点は総力戦研究所の結論と重なる面がある)。

むろん実際、陸軍省の研究班の通りに戦争していて、どうなったかはわからない。だが、陸軍省の計算がそれほど間違っていないという見方は米国にもある。「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」(ジェームズ・B・ウッド著、茂木弘道訳)などだ。

では、なぜ日本は敗戦したのか。「陸軍省研究班の通りに戦争を進めなかったからである。真珠湾攻撃をして米国を怒らせてしまったからだ。山本五十六連合艦隊司令長官の『暴走』が招いた敗戦だ、と本書は指摘している。






Last updated  2015.10.28 06:16:13
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2015.09.02
カテゴリ:歴史

西尾幹二著「同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた」(ビジネス社)の中に「防衛と侵略の概念」という項があり、こう記している。

<(戦前)日本は中国大陸を含め、アジアのどの国をも侵略していない。>

保守思想の持ち主でも、ここまではっきり言い切る人は少ない。

「日本は戦前に中国大陸で侵略行為を働き、現地人を殺傷し、多大の損害を与えた。ただ、欧米列強の攻勢から身を守るため、自存自衛のためにやむを得ず、アジア大陸に進出せざるを得なかったのだ。」

この程度の言い訳にとどまる保守派が多く、安倍首相の戦後70年談話もこの路線下にある。私も概ね、これに近い。だが、西尾氏の、冒頭の文章の後を読むと、この考え方がぐらついてくる。

<侵略の概念と防衛の概念は複雑に重なっていて、もしも日本が防衛しなかったら、中国の三分の一と朝鮮半島はロシア領になっていただろう。>

つまり、日本は日本列島のみならず、東アジアを列強の攻勢から守るために朝鮮、満州へと進出していった、というのである。この先の記述にハッとさせられる。

<戦争の時代には強国の国境線は自国の外に引かれるのが常である。アメリカの太平洋における現在の国境は日本列島から台湾へかけてのラインである。沖縄の基地がいまだに重要なのは、太平洋戦争が潜在的につづいている証拠である。だとしたら戦前戦中において中国大陸に日本の潜在的な国境線があったとして何の不思議があろう。>

米国は日本を占領した後、そのまま居座り、サンフランシスコ平和条約で日本の主権が回復された後も沖縄をはじめ日本列島にある多大な基地を返還せずに、今日まで居座っている。

それは日米安保条約と日米地位協定に基づいており、日本政府は基地の存在を認めている。だから、米国による日本の侵略、占領ではないとは言える。米軍は自らの安全保障、世界戦略のためだけでなく、日本の安全保障にも寄与しているからだ。

しかし、それなら戦前の日本も、いくつもの勢力が存在し国家として体をなしていなかった中国において中国政府の1つと条約を結び、自国の居留民を保護するために軍隊を駐留させていたのであって、侵略とは言いがかりだろう。駐留日本軍は満州の人民の安全と平和にも寄与していた。また、当時は英米仏独も軍隊を駐留させていた。

たとえ、条約で取り決めていたとしても、それは軍事的圧力の結果であって、「実態は侵略だ」と言うのなら、現在の米国も日本を侵略、占領していることになる。実際、そう見ている左翼・リベラル系の学者や政治家、ジャーナリストも存在する。

当時の中国にもそうした勢力が存在し、日本に盛んに攻撃を仕掛けた。それがシナ事変だ。西尾氏はこう書いている。

<日本の駐留基地は盧溝橋で中国兵から攻撃を受けた。それは在日米軍基地にわが自衛隊が攻撃をしかけたようなもので、その場合アメリカはこれを侵略行為とみて、日本への宣戦布告の理由にすることができる。(それと同様に当時の)日本が中国兵に応戦したのは当然である。それなのに戦争を拡大するのを望んだのは蒋介石のほうだった。コミンテルンの要請や英米の思惑が複雑に絡み合っていた結果である>

日本軍が中国大陸で多くの破壊と殺傷を繰り返したのは事実である。だが、それが日本の一方的な侵略行為ではなかったことは明らかだろう。日本の歴史を使って日本を貶める外交を展開する中国や韓国、そして米国に配慮するだけの歴史教育はここらで止めにすべきだろう。







Last updated  2015.09.02 13:03:39
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2015.06.03
カテゴリ:歴史

伊勢雅臣氏が、メルマガ「国際派日本人養成講座」で月尾嘉男・東京大学名誉教授の著書「日本が世界地図から消滅しないための戦略」(致知出版社)を取り上げている。

孫引きの形で、その内容の一部を紹介すると、月尾氏は古代海洋国家カルタゴが滅亡した要因を3つに分けて分析している。

その第1は傭兵依存だ。海軍は自国民中心で構成していたが、陸軍は大半が傭兵だった。金を目的にした傭兵はカルタゴのために命をかける気はない。これに対して、カルタゴを滅亡させたローマは当時共和国であり、市民は祖国のために、子孫のために、命をかけて戦うことを名誉と考えていた。この決定的な差が明暗を分けた。

第2は経済市場主義。カルタゴは経済優先、富の獲得に血道を上げ、政治的、文化的、倫理的な進歩をめざす努力をしなかった。青少年に防衛のため、国家のために尽くすことの重要性を説く教育もおろそかにしていた。

第3は、ローマの敵意に対する鈍感さ。並外れた経済力を持つカルタゴに対し、ローマは敵意を持っていたが、カルタゴはそれに気付かず、ために防衛の備えを怠っていた。

カルタゴの国情は、現在の日本と二重写しである。米国という軍事大国に依存して独自の防衛網を築く努力が弱い。自衛隊を保持しているが、その強化には消極的だ。集団的自衛権の行使は「戦争に巻き込まれる」危険が高いと反対する有権者が過半数を占める。

自衛隊も自分のもの、自分たちと密接にかかわる存在として考えるよりも、自分たちとは関係ないとする日本人が多い。つまり自衛隊も米軍同様、傭兵的なのだ。
また、できれば無くした方がいいと考える人々(憲法9条を守る会など)が根強く存在する。

これは、経済市場主義の考え方と裏腹で、青少年に安全保障や防衛の重要性を説く教育は希薄である。そして、中国や韓国に対しては「過去の歴史を反省、謝罪し、
友好第一で臨むことが正しい。そうすれば、平和が築ける」と甘く考え、彼らの敵意に対し鈍感である。

月尾氏はカルタゴのほか、ベネチアやオランダの衰亡の背景も研究し、日本が世界地図から消滅しない戦略を説いている。

その基本は祖国愛を蘇らせ、自国は自分で守る気概を国民の間に醸成することしかない。

安保法制の整備を急ぐ安倍首相に一貫しているのは、その気持ちだろう。

それは、第2次安倍内閣発足後の2013年2月の施政方針演説の冒頭に表れている。

<「強い日本」。それを創るのは、他のだれでもありません。私たち自身です。「一身独立して一国独立する」。私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません>

安倍政治にはいろいろ批判があるが(私も経済政策――アベノミクスには不満がある)が、中国や北朝鮮の脅威が強まる中で、独立心の重要性を説く姿勢には共感するし、安堵感を覚える。「世界地図から日本が消滅しない」ためには何が必要か、よくわかっていると思えるのだ。








Last updated  2015.06.03 15:22:04
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2015.05.24
カテゴリ:歴史
野党もリベラル系メディアも、中国や韓国の政府も、「歴史」問題で、安倍首相の足をすくおうとあの手この手で臨んでいるように見える。

中韓の場合、歴史問題で安倍首相を「謝罪」に追い込み、日本を半永久的に道徳的に劣位の位置に立たせ、外交を有利に展開しようという狙いがある。過去の軍国主義的行動を認めるような「歴史修正主義的」な発言をした場合も、「反省していない」「謝罪していない」と非難し続けることができる。

野党や野党もリベラル系メディアは、「歴史修正主義」発言を誘い出し、最大の後ろ盾である米国政府の反発を生み出し、安倍政権を窮地に追い込もうという戦略だ。

したがって「歴史」をどう扱うかは、安倍政権の維持、強化にとって、極めて大事なテーマだ。が、安倍首相は十分に心得ているようだ。

5月20日の党首討論で、共産党の志位和夫委員長から第二次世界大戦の終結につながったポツダム宣言の中身に関する見解を問われ、「つまびらかに読んでいない」と答弁した。

志位氏は「1945年に日本政府が受諾したポツダム宣言は『日本の戦争は間違った戦争だという認識を明確に示した』が、ポツダム宣言のこの認識を認めないのか」と迫った。

これに対して、 首相は「私はその部分をまだつまびらかに読んでいないので、今ここでそれに論評することは差し控えたい。いずれにせよ、(先の戦争への)痛切な反省によって今日の歩みがある。我々はこのことを忘れてはならない」と述べ、直接の評価を避けた。

志位氏は「(間違った戦争と)認めると言わない。非常に重大な発言だ」と問題視し、そんな首相が「集団的自衛権の行使で適切な判断ができるわけはない」と批判した。

志位氏の論法はなかなか鋭い。戦争は複雑な因果関係があり、日本が一方的に間違っていたなどということはできない。「侵略」の定義が難しいのもそのためだ。保守派の安倍首相には、そうした思いが強いし、安部氏を支持する有権者も同じ思いだ。

だが、そう発言すれば、「歴史修正主義」「極右政治家」と叩く格好の口実となる。米国もポツダム宣言を否定するような発言に反発するだろう。

しかし、安倍首相が「ポツダム宣言は正しい。日本は間違った戦争をした」と認めれば、ならば「謝罪せよ」と中韓を勢いづかせ、安倍氏の立場を弱める。

志位氏の「ポツダム宣言」質問にはそうした「地雷」を埋め込んであるのだ。地雷を踏まないためにはどうするか。

池田信夫氏はブログでこう書いている。

<正しい戦争なんかないのです。すべての戦争はまちがっているというのが1928年に結ばれた不戦条約の考え方で、憲法第9条の第1項はそれと同じです。だから安倍さんは「すべての戦争はまちがっています」と答えればよかったのです>

その通りだが、今の局面でそう答えると、「『みんな悪い』という議論に逃げて、自分の責任を棚上げしている」とか「それでは米国や英国、中国も悪かったと言いたいのですね。ポツダム宣言を否定している」などと突っ込まれる危険がある。

米国の反発をくらい、中国からは日米同盟にくさびを入れるチャンスを与えかねない。

したがって、「過去の戦争、歴史に対して痛切な反省している。その上で今日がある」という答弁は、地雷を踏まない適切ないなし方だったと言える。こう言われれば、志位氏としては「ポツダム宣言を認めないのか」と繰り返すのみで、それ以上どうしようもない。

安倍首相はアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議や米議会での演説でも同様に発言し、米国はじめ多くの国々の賛同、評価を得ている。

過去を反省しつつ、現在は積極的平和主義を標榜、「力による現状の変更は認めない」と発言して、海上覇権を拡大しようとする中国の動きを牽制、それが東南アジア諸国、そして米国から賛同を得、日本への信頼を醸成することに成功している。

もし「歴史修正主義だ!」「安倍首相は現在もその延長上で軍国主義化を目指している」という誤った認識が世界に広まった場合、中国はそれを口実に「南沙諸島の軍事施設建設は、日本の再軍備と軍事侵攻から地域を守るため」といったキャンペーンを張る危険性もある。

今も中韓は歴史認識で安倍首相に厳しい追究し続けるが、安倍首相は「痛切な反省」を繰り返すだけ。柳に風、糠に釘であり、中韓の攻勢は鈍るばかり。今では「政経分離」と言いつつ、経済交流で日本に歩むよりつつある。両国とも経済悪化で日本の力を借りざるを得なくなっているからだ。

辛抱強く「歴史」をいなしてきた成果だろう。「悪人」宰相として面目躍如たるものがある。






Last updated  2015.05.24 20:30:38
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2015.03.20
カテゴリ:歴史
 昨年10月に亡くなった元外交官の岡崎久彦氏はVoice2014年3月号に寄せた論文「歪められた戦後の『歴史問題』」で大要、次のように書いている。
 
 韓国、中国に広がる対日歴史問題に火をつけたのは日本の左翼勢力だった。70年安保後、反体制左翼は逼塞し、ソ連の崩壊に伴って共産主義・社会主義勢力は大きく退潮した。しかし、安保闘争の担い手は大学、ジャーナリズムに残り、日本の過去の歴史を断罪することに活路を見いだし、執念を燃やした。社会党、共産党の政治家もそれに同調した。

 国内だけでは支持がないので問題を海外に持ち出し、「日本の教科書が偏向している」「慰安婦を強制連行したのに謝罪していない」「首相、閣僚の靖国参拝は戦争犯罪を反省していない証拠」という議論を韓国、中国に吹き込んだ。

 かつて日本に併合された屈辱を胸に抱える韓国では、北朝鮮勢力の思想的浸透もあって、この呼びかけに応じる形で反日機運が盛り上がり、その後も強まる一方である。

 中国はソ連崩壊のもとに高まった自由民主化運動を弾圧、その不満をそらすために、日本を標的とした愛国運動の鼓吹を考え、日本の反日勢力の呼びかけに乗った。

 その結果、今では韓国、中国では広範な反日運動が広がった。韓国では、朴槿恵大統領の行動に表れているように、日本を非難し続けないと政権が危うくなるまでになってしまった。

 さらに日本や中韓の反日勢力は宣伝活動により、「日本はまだ中韓を中心にアジアに謝罪していない、反省していない」という誤った情報を世界に広めることに成功している--。

 以上が、一部私の考えも入れた岡崎氏の「歴史問題」の整理である。うんざりする話だが、岡崎氏は最後に、希望的観測風にこう書いている。

 <この(歴史)問題は、国際問題ではあるが、国際問題の機軸である、国家間のバランス・オブ・パワーの変遷に伴う問題でもない>

 <国際関係には……環境問題、人口問題、……生活水準の向上改善を維持する問題など国際協力を要する問題は多い。何時までも二十世紀前半の歴史の記憶にかかずらわっていられないはずである>


 これはその通りで、各種の難題解決に相互協力する中で歴史問題などは下火になることは考えられる。中国も環境問題や生活水準向上などで大いに日本の協力を得たいと考えているはずだ。ただ、問題は一番重要なのは平和、安全保障だということだ。

 「国家間のバランス・オブ・パワーの変化に伴う、国際平和の維持の問題がいったん表面に出れば、他の問題などは吹き飛んでしまう」と岡崎氏は書いている。

 しかし、そうとも言えない。米国陣営にいるはずの韓国は今急速に中国に傾いている。韓国を巡るバランス・オブ・パワーが揺らぐ中で歴史問題が取りざたされている。「歴史問題」は吹っ飛ぶどころか、国際権力闘争の一環に組み込まれているのだ。

 朴大統領は日本との関係改善を呼びかける米国に対し「日本が慰安婦問題で誠意を見せないから、日本と対話ができない」と日本のせいにする。だが、その実、米国につくか、台頭する中国につくかの迷いがそうさせている面も大きい。日本をダシに使って、コウモリ外交を繰り返し、結論を先延ばししているのだ。清国、露西亜、日本と強そうな国家になびく韓国伝来の外交姿勢である。

 岡崎氏は「中国の軍事力はまだとうていアメリカの優位を脅かす所までいっていない。アメリカはまだ、中国を甘やかすリベラルな態度をとる余裕をもっている」としている。

 しかし、国境を接している韓国は歴史的な経緯もあり、中国圏に吸い寄せられる可能性は十分にある。そこで岡崎氏は「国際的なバランス・オブ・パワーのラディカルな変化が生じるまでは、この歴史問題……も生き続けるのではないかと思う」と締めくくっている。

 中韓の日本への「歴史問題」攻勢は中国の実力の変遷に伴い、今後も続くということだ。岡崎氏の「遺言」が示しているのは、日本は歴史問題の宣伝戦に抗するため、正しい歴史情報を米欧などに発信する情報戦略を強化するとともに、軍事力・国防力を今以上に高める必要があるということだろう。






Last updated  2015.03.20 10:17:40
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2015.03.11
カテゴリ:歴史

3月10日は70年前、東京大空襲のあった日で、新聞ではこれを論じる社説やコラムが目立った。だが、その論調は久しい以前から変わらず、「戦争は悲惨だ、日本はこうした悲惨な戦争に無謀にも踏み込んだ。二度とこういう事は起こしてはならない」というものだ。空襲による無差別殺戮を繰り返した米国の行為を厳しく問う文章は皆無に近い。

たとえば、日本経済新聞の社説「東京大空襲70年が問うもの」。

<70年前のきょう、東京の下町一帯は米軍機による猛爆を受け、わずか一晩で10万人余の死者をだした。被災家屋約27万戸。太平洋戦争における民間人の犠牲のなかでも、沖縄戦や広島・長崎への原爆投下とならぶ最悪の被害だ>
 
 ここまでは事実を記載しただけのこと。問題はここから先だ。

<戦争というものは、最後には前線も銃後も隔てがなくなる。東京大空襲は当時の日本人に、そんな現実をまざまざと見せつける出来事であった。あの大戦末期の不条理の象徴といえる>

老人や子供など非戦闘員に対する国際法違反の無差別殺戮という米国の不条理な行動を具体的に示す記事はない。そして、当時の日本の政府、軍部の行動を非難する結論で終わる。
 

 <ことここに至る前に、なぜ戦争をやめられなかったか……(米軍が日本本土空襲への態勢を整えた時点で)日本の敗北はほぼ決定づけられたにもかかわらず、当時の戦争指導者たちは泥沼に突き進んだ。……本土への間断なき空襲や沖縄での地上戦は、こうした経緯によって必然的にもたらされた事態だった。終戦があと1年早ければどれだけ多くの人命が救えたか。その決断ができないまま本土決戦を叫んだ指導層の罪は深い>

「悪いのはあくまでも日本の軍国主義政権。米国の罪は問わない」というスタンスだ。

また、ドイツがドレスデンで空襲を受けたり、英国のロンドンがドイツ軍の空襲を受けたりするなど、日本だけが被害を受けたのではないと書いて、日本の空襲被害を相対化する記事も少なくない。日本は空襲では加害者でもあったということもしっかり書く。たとえば、朝日新聞の10日付けコラム「天声人語」。

<焼き尽くされた首都。その惨状をつぶさに収めた『決定版 東京空襲写真集』(勉誠出版)は、ページを繰るごとに胸が痛む。母親と赤ん坊が、炭化した塊となって重なり合うむごい写真もある▼思い出すのは、かつて小欄に引いた詩の一節だ。〈骨と肉とはコークスとなり、かたくくっついて引離(ひきはな)せない。ああ、やさしい母の心は、永久に灰にはできないのだ〉。しかしこれは東京ではない▼日本にもなじみ深い中国の文人、郭沫若(かくまつじゃく)が重慶の惨事を言葉にとどめた(上原淳道訳)。日本軍が空爆を繰り返した都市である。だから日本の空襲被害は仕方ないと言うのでは、無論ない。無差別爆撃という蛮行が、第2次大戦で大手を振った>

こうして話はドレスデンなどの空襲へと展開される。まるで、日本の空襲被害だけを見つめたり、その悪夢をもたらした米国を批判したりすることを恐れるかのようだ。当時の日本の政治指導者や軍部への批判を必ず書いておかねば安心できないかのようだ。このマスコミの姿勢はどこから来るのか。


江藤淳氏は著書「閉ざされた言語空間」の中で、こう記している。

<『軍国主義者』と『国民』の対立という架空の図式を導入することによって、『国民』に対する『罪』を犯したのも、『現在および将来の日本の苦難と窮乏』も、すべて『軍国主義者』の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の部差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、『軍国主義者』が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落とした米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである>

戦後の日本占領時代、米軍は米国はじめ連合国を少しでも批判するような記事を新聞や雑誌に書くことを許さなかった。徹底した言論弾圧があった。そのことを指摘することすら恐れる今のマスコミの風潮は、その言論弾圧のトラウマ、恐怖が今も続いているためと思える。まさに戦後の閉ざされた言語空間は今も続いている。

現在も米国政府は、日本が当時の米軍を批判することに敏感だ。そのため、大手メディアは当時の歴史について米国を批判したら、どんなしっぺ返しを受けるだろうか、江戸の仇を長崎で討たれないかと、恐れているのだろう。

安部首相の「戦後レジームからの脱却」はそのことをも含んでいる。だからこそ、米国は安部首相の「戦後70年談話」にあれこれと注文を出すのだろう。この問題の解決は容易ではないが、それでも、いや、だからこそ「戦後レジームからの脱却」は進める必要がある。











Last updated  2015.03.11 11:30:13
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2014.09.23
カテゴリ:歴史
 前回、取り上げた池田信夫氏の歴史観には違和感がある。 

 <大英帝国がアジアでやった戦争は、まぎれもなく侵略だった。インドやマレー半島を武力制圧し、そこから徹底的に搾取し、現地の経済が自立できないように産業を破壊したのだ。それに比べれば、日本の朝鮮や満州に対する植民地支配は慈善事業みたいなものだった>

 ところが、それを英国政府は侵略と認めず、むしろ進歩的な制度をインドの遅れた社会に移植して近代化したと考えていたという。そうした論法で押し通すのが国際社会で図太く勝ち残る外交の要諦でもあろう。自虐史観の日本人はもう少し英国を見習った方がいい。

 また、そうした英国の態度をインド人が図々しい居直りだと批判し、同じアジア人として日本人がインドを支持するのも、また自由だし、国益を考えた自然な行動だ。

 だが、池田氏は違う。妙に英国の肩を持つのだ。

 <(イギリス政府はそれをインド支配を侵略だと認めず、謝罪も賠償もせず、イギリスの「進歩的な制度」をインドの遅れた社会に移植したと考えることを)今の価値観で裁いてもしょうがない>

 
 一方で、日本の「東アジアを支配しようとした行為」には冷たく突き放す。

  <20世紀になってイギリスをまねて東アジアを支配しようとしたのが日本だったが、朝鮮や満州へのインフラ投資が収益を生む前に戦争に負けてしまった。それを英米が東京裁判で「侵略」として裁いたのは、戦勝国として当然の権利だ。サンフランシスコ条約を受け入れた日本が、それを指弾する権利はない。戦争とはそういうものである>

 日本はサンフランシスコ条約で、東京裁判の「判決」を受け入れたのであって、裁判そのものを受け入れたわけではない。「東アジア支配」の歴史を「侵略」とみるか、欧米列強への防衛線確保とみるか、さらには「列強からのアジア解放」と見るか。そういう自由が日本にはある。いや、どこの国にもある。

 池田氏は「勝てば官軍、負ければ賊軍」、どんな歴史解釈をされようと負けた側は「それを指弾する権利はない」と言っているのである。

 「それなら、もう1回、戦争して今度は勝とう」という議論になる。池田氏が「ネトウヨ」と軽侮する倉山満氏は自著「歴史問題は解決しない」(PHP)で「日本が歴史問題を解決しようと思うなら、もう一度戦争を行って勝つ覚悟が必要なのである」と書いている。

 確かに、そのくらいの覚悟を持たねば、敗戦国は自分に有利な歴史の押し付ける戦勝国の図々しい論理を抑えられないだろう。しかし「戦勝国の歴史観を押し付けられても負けた側は戦勝国を指弾する権利はない、黙って泣き寝入りしろ」と言われれば、冗談ではないと思う。

 戦勝国だろうと、敗戦国だろうと、内外で歴史を論じ合う自由が必要だし、極端な歴史解釈を戒めあうのが言論であり、学問だろう。池田氏がそんなことを理解しないとは思えないのだが、自分がネトウヨと誤解されるのを恐れてか、日本の「侵略」の歴史には厳しく、欧米の「侵略」の歴史は認めてしまう。

 「侵略」という点ではどちらも同じだし、池田氏も認めているように「(英国のインド侵略など欧米列強の侵略に比べれば)日本の朝鮮や満州に対する植民地支配は慈善事業みたいなものだった」のではないか。

 









Last updated  2014.09.23 08:03:17
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2014.08.15
カテゴリ:歴史
 今日は8月15日。毎年この日になると、新聞もテレビも(全部ではないが)「無謀な戦争の結果、日本列島は焼け野原となり、国民は飢餓線上をさまよう塗炭の苦しみを味わった。二度とバカな戦争を起こしてははならない……」といった画一的な、陳腐な視点からの企画を組む。同じことの繰り返しで、正直、そうした新聞やテレビに付き合う気がしない。
 
 と思いつつ、10日に取り上げた福田恆存氏の「言論の自由といふ事」(新潮社)を再度、開いたら「乃木将軍と旅順攻略戦」が掲載されていた。第2次大戦に突入して後の昭和17年秋、福田氏は旅順の戦跡を訪れた。

 当時、読んで目が釘付けになり、感動した箇所を抜き出してみる。

 <私は爾霊山(二百三高地)の頂上に立ち、西に北に半身を隠すべき凹凸すら全くない急峻を見降した時、その攻略の任に当った乃木将軍の苦しい立場が何の説明もなく素直に納得でき、大仰と思はれるかも知れませんが、目頭の熱くなるのを覚えました>

 私は10年ほど前に大連に行った時、このくだりを思い出しつつ、すでに観光地化していた旅順を訪ねた。福田氏が赴いた昭和17年とは異なり、草木のなかった山肌は「半身を隠すことのできる」高さ2~3メートルの潅木に覆われてはいた。だが、急峻な崖の有様ははっきりとわかり、戦闘となった場合、当時の日本軍のように下から攻略するのはきわめて困難であることが、よく理解できた。

 <旅順を訪れた時の感慨は唯単に第三軍司令官たる乃木将軍に対する同情に尽きるものではなく、将軍を謂はば「象徴」とする当時の日本の国民と国家に対するものであ(った)>

 <何も識らなかったのは旅順攻略という悪い籤を引いた将兵だけではない、日本そのものがさういふ運命に遭遇していたのです。ベトン(コンクリート要塞)の強靭な防御力、敵の優秀な兵器や物質的な優越、さういふものを一切知る事無く、或は敢へて無視して、無謀にも等しい反撃を強行した、……それはそのまま当時のヨーロッパ列強に対し背伸びして力を競はうとする明治の日本の苦しい姿勢を物語るものです。乃木将軍が日本の「象徴」なり、旅順要塞はヨーロッパ列強の「象徴」と言へましょう>

 <当時、かうして私は日露戦争、旅順攻略戦を透して太平洋戦争を見、太平洋戦争を透して旅順攻略戦を見ていた。(太平洋戦争の初戦の)「戦勝」に酔っていた国民一般に、或は一途に戦争指導者を憎んでいた知識層に、私が最も言ひたかった事は近代日本の弱さであり、その弱さを「いとほしむ」気持ちを持てといふ事であった>

 これはナショナリズムそのものである。ナショナリズムは自陣が劣勢にある時、最も燃え上がるものだからだ。自分の属する学校や地域の、強いとは言えないスポーツチームが強敵に勝った時、しばしば全身を震わせて歓呼の声が上げ、涙を流す。自分の子供や兄弟がその試合に出ていれば、なおのことだ。

 日露戦争の勝利に対し、イランやトルコなど、ロシアの周辺国からも驚きと歓喜、賞賛の声が上がったと言われる。永年、強国ロシアの攻勢に圧迫を受け、忍従を強いられていた国々は、そのロシアを極東の小さな島国が破ったのは信じがたく、同時に「自分たちでも、やればできる」という勇気を得たのである。

 日下公人氏は「20世紀最大の事件を挙げよと言われれば、躊躇なく日露戦争を挙げる」と言っている。それはアジア・アフリカが植民地化される中で、後進国が列強の侵攻を防ぎ、逆転勝利したという最初の画期的な事件だったからである。

 そうした明治の祖父母の世代に比べると、「無謀な太平洋戦争に踏み込み、無残な敗戦を招いた大正・昭和の父母の世代はどうしようもない、特に戦争指導者たちは」という視点が、8月15日の新聞やテレビの特集には色濃い。

 だから、読む気、見る気がしないのだ。なるほど、当時の日本政府や日本軍幹部には批判すべき点が多い。しかし、欧米列強の攻勢、植民地化という状況は明治時代とそれほど変わってはいない。それにどう対抗しようか、という必死の思いは大正、昭和の指導者にもあったはずである。

 それでいて、うまく行かなかった。その弱さを「いとほしむ」気持ちが8月15日のマスコミの特集にはほとんど見られないのだ。他人事のように、当時の日本(の指導者)を糾弾し、自分とは無縁のような視点。そこに共感はない。

 偏頗なナショナリズム、対外的な攻撃心を持て、というのではない。同じ日本人として、その父母、祖父母の「弱さをいとほしむ」気持ちを大切にしたいと思うのだ。

 福田氏はその気持ちを齋藤茂吉の歌に託して語っている。

 <あが母の吾(あ)を生ましけむ うらわかき かなしき力をおもはざらめや>






Last updated  2014.08.15 23:17:17
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