法治行政を軽視する「原発ホワイトアウト」
もう1回、現職官僚による匿名小説「原発ホワイトアウト」にお付き合い願いたい。本書の113―114ページにこうある。 <日本は法治行政ということになっているが、法律には規定されていない「知事の不同意」で法律上のプロセス(引用者注:原発再稼働)が止まるというのは、先進国とはいえないだろう> <知事の同意が得られずとも、原子力規制委員会から安全性の判断が下されたところで淡々と原発を再稼働してしまう手もある。知事がどんなに遠吠えしようが、法律上、再稼働のプロセスをとめる権限はない> 著者の若杉冽氏は東京大学法学部卒の官僚だけあって、さすがに原発稼働についての法律と、それが貫徹されない日本の法治行政のいい加減さを良く理解している。 ただ、より正確に言えば、原子力規制委員会にも再稼働を審査する権限はない。現在の法律上、原発の稼働と規制委員会の審査は並行して行えるのである。そして、多くの場合、原発を稼働しながら、規制委員会の基準に合うように原子炉を整備することは可能なのである。 その点を置けば、若杉氏の法治国家の理解は正確だ。が、彼は法治国家のルールを無視しても、原発は再稼働させるべきではないと考えている。法治国家の行政に携わる官僚の身でありながら。 私が著者の考え方を支持しないもう1つの理由がそこにある。若杉氏は同じ113ページにこう書いている。 <周辺住民の日常生活を一瞬にして破壊する原発事故のリスク……伊豆田知事(引用者注:小説での新崎県知事。原発再稼働に反対する泉田裕彦新潟県知事を指している)の支持率の高さは、原発に対する県民の漠然とした不安感を見事につかんでいる証左でもあった。知事の再稼働に懐疑的なマスコミも、知事の同意を無視して再稼働することに黙っていないはずだ> これに続けて、若杉氏はダメ押しのように、こう書く。 <そういう意味では日本に近代法が導入されて百数十年にもなるが、いまだに法治国家ではなく、人治国家なのだといえるだろう。人口13億人の隣の大国とそう違いはない> ここまで冷静に現在の超法規的状況を理解しているのなら、官僚として、それを正すのがスジだろう。住民やマスコミの不安定で、法を無視した動きに同意してしまうのはどういうことか。 言うまでもなく、若杉氏が「原発は危険だ、無くすべきだ」と考えているからだろう。しかし、そうならば、政府提案の形で、原発廃炉法といった法律を国会に上程し、多数の賛成を得て、法的に原発の稼働停止→廃炉に導くようにすべきだろう。 その際は現在の法律に基づいて設立した原子炉を持つすべての電力会社に対し、廃止による多額の損失を国家が補償しなければならない。 当然だろう。例えば、自動車は毎年、多数の交通事故死傷者を出しているから、以後、製造を中止させるという法律を成立させたら、現行法に基づいて設立した工場の補償をすることになる。 それが法治国家としての正当なプロセスというものだ。 ところが、現自民党は「将来は原発ゼロを目標にする」としながら、当面は「規制委員会の審査の通った原発は再稼働させる」とう方針を打ち出している。そして、参院選や都知事選などを見る限り、投票者の多数派はこの方針を打ち出した自民党を支持している。 有権者の多くは原発に不安を抱えながらも、当面、原発ゼロにした場合の経済、社会生活に与える悪影響も配慮し、「再稼働やむなし」と考えているのだ。 ムードに走る人治国家の危うさを承知しているはずの若杉氏は、以上の点をどう考えているのだろうか。