「GHQの慰安婦問題」を世界に発信せよ
池田信夫氏のブログによると、元外交官の東郷和彦氏は自著「歴史認識を問い直す」(角川oneテーマ21)の中で、慰安婦問題について大要、こう書いている。 <慰安婦問題で強制連行があったかないかを論じているのは日本だけでまったく無意味だ。アメリカ人をはじめ世界は女性の権利(尊厳)の問題としてとらえている。慰安婦の話を聞いた時彼らが考えるのは、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である> これは強制連行から「広義の強制性」「女性の尊厳」へと論点をすり替えた朝日新聞と同じ論理であり、誤報の責任から逃げようとしている朝日にとって、まことに都合がいい。 しかし、現在の価値観で過去を振り返って議論している「非歴史的」な議論であり、学問的には成立しないことは、東郷氏も認めている。だが、大衆レベルでは広く受け入れられており、「昔は、公娼制度は合法で仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、「女性の権利の否定者だ。日米同盟の担い手として受け入れられない」という態度だという。 「建国のころアメリカは奴隷制を受け入れられていた。当時は奴隷制は当然の制度ではなかったのか」といっても、今のアメリカでは受け入れられないそうだ。 大衆レベルの反発を沈めるのはまことに厄介だ。が、これについての池田氏は徹底的に突っぱねることを説いている。 <「国際社会」の性奴隷(人身売買)批判に対する答は簡単だ:日本政府はすでに道義的責任は認め、非公式の償いもした。韓国政府の「日本軍の強制連行」という宣伝の根拠となっていた朝日新聞の誤報は取り消されたので、政府には道義的責任はあるが法的責任はない。それはアメリカ政府の黒人奴隷に対する責任とまったく同じである> まったく賛成だが、米国の大衆レベルの反発はこれだけでは抑えられないだろう。では、どうするか。有効なのは、日本占領時、米国の軍人を中心とするGHQ(連合国軍総司令部)が戦後の日本や朝鮮戦争時の韓国でどれだけ日本人や韓国人を慰安婦として利用したかを、米国人に大量に発信することではないだろうか。 彼らの祖父や父や兄たちが日本や韓国で何をしてきたかを具体的に、生々しく伝え「自分の娘が慰安婦にされていたら」と考えさえ、ゾッとさせることである。 「日本の慰安婦」という膨大な史実を記した労作のウィキペデイアから、少し長いが、その一端を引用しよう。 <(米)占領軍による日本の一般女性に対するレイプ事件が予測された為、日本政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」を募集し、連合軍向けの慰安所(特殊慰安施設協会)を設立し、総計55,000人が集まった> <占領軍の性対策については警視庁が8月15日の敗戦直後から検討し、8月22日には連合軍の新聞記者から「日本にそういう施設があることと思い、大いに期待している」との情報が入った。また佐官級の兵士が東京丸の内警察署に来て、「女を世話しろ」ということもあった。8月17日に成立した東久邇内閣の国務大臣近衛文麿は警視庁総監坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画し、翌日の8月18日には橋下政実内務省警保局長による「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」との通達が出された。早川紀代によれば、当時の慰安所は東京、広島、静岡、兵庫県、山形県、秋田県、横浜、愛知県、大阪、岩手県などに設置された。また右翼団体の国粋同盟(総裁笹川良一)が連合軍慰安所アメリカン倶楽部を9月18日に開業している。こうした慰安所は公式には特殊慰安施設協会と称され、英語ではRecreation and Amusement Association(レクリエーション及び娯楽協会, RAA)と表された> 進駐軍の性犯罪(レイプ事件)も多かった。 <日本政府は進駐軍向けの特殊慰安施設協会を1945年8月22日に設置したが、8月30日に上陸した進駐軍は横須賀や横浜をはじめ、民家に侵入し日本人女性をレイプする事件が多発した。8月28日、9月2日開業予定の小町園慰安所にはマシンガンで武装したアメリカ軍兵士達が乗り込みすべての慰安婦たちをレイプした。横浜では、100名を超える武装したアメリカ兵が開業前日の慰安所に乗り込み慰安婦14名を犯した。9月1日には野毛山公園で日本女性が27人の米兵に集団レイプされた。……9月19日にGHQがプレスコードを発令して以後は連合軍を批判的に扱う記事は新聞で報道されなくなった。武蔵野市では小学生が集団レイプされ、大森では病院に2〜300人の米兵が侵入し、妊婦や看護婦らがレイプされた。これらのアメリカ軍による集団レイプ事件はダグラス・マッカーサー元帥やロバート・アイケルバーガー将軍も把握しており、アメリカ軍はレイプから女性を守ろうと設立された自警団に対しては戦闘車両で鎮圧し自警団幹部らを長期間にわたって刑務所に監禁した。進駐軍相手の日本人娼婦(街娼)は「パンパン」などと呼ばれていた。……藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている> <占領軍はRAAだけでは満足できずに、GHQの軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が9月28日に、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れながら、占領軍用の女性を世話してくれと要求した。また、与謝野光は将校、白人兵士、黒人兵士用の仕分けの相談も応じた[159][160]。またGHQは「都知事の責任において進駐軍の兵隊を性病にかからせてはいけない」と検診を命令し、与謝野はこれを受けて東京都令第一号と警視庁令第一号で性病予防規則を制定し、週一回の強制検診を実施した> 以上の記述はすべて出典が記されている。一日本人として読み進むにつれ怒りと屈辱を覚える。米国人にも読んでもらい「自分の娘だったら」と「ゾッと」してもらおうではないか。 私は米国人への復讐心からそう言っているのではない(実を言えば、多少そういう面もあるのだが)。どの国民、民族にも負の遺産があり、それをいつまでもあげつらっているのは不毛な行為だ、と言いたいのだ。 「水に流す」という知恵をこそ、国際化したい。