「友ではないが、敵でもない」日中関係の構築
4日間ほど北海道の道南地区を中心に家族旅行をして、ブログをお休みしていた。新聞も3日ぶりに目を通した。すると、日本経済新聞の1日付け「月曜観測」というインタビュー記事で、三菱重工業の宮永俊一社長が「ウクライナ情勢や日中関係など政治外交は緊張が高まっているが、各国間の経済は底堅くしっかりと結びつき、心配することはない」と楽観していた。 <――世界の政治的な緊張は経済にどんな影響を及ぼすでしょう。 「私はあまり悲観していない。政治と経済を分けて考えるという知恵を世界が身につけつつあるのではないか。ロシアと米国やEU(欧州連合)はウクライナを巡って対立しているが、西側の資源メジャーがロシアへの投資を全面的に見直すような事態にはなっていない。米中や日中間にも政治的な緊張はあるが、経済面の結びつきや相互依存は着実に深まっている」> そうなのだ。実利で動く経済関係は共存共栄の精神がないと長続きしない。当初は無理な要求をしても、いずれ双方が折り合える水準で妥協することが多い。 だから、実利を理解している政治家や外交当局が当れば、紛争も火種が大きくならないよう双方が努力を重ね、大規模な戦争に拡大することなく、沈静化して行くはずである。 現在、日中間や日韓間は外交的な反目から、以前よりも貿易が縮小し、人の往来、直接投資も減少しつつある。それでもいまも日中間、日韓間の経済交流は幅広く、奥深く、容易に崩れるものではない。 問題を抱えつつも、この太い経済関係を維持することが双方の平和と安定にも役立つ。 では、日本にとって今、一番の脅威となっている中国とはどうやって、平和と安定を築くのか。元外交官の宮家邦彦氏は「友でも敵でもない日中関係」を築くことだと説く。 <今考え得る日中の最も良好な関係は中国のいう米中「新型大国関係」と同様、相互に「友ではないが、敵でもない」「平和ではないが、戦争はしない」それなりに安定した関係を維持できることである> <こうした新たな日中関係を作り上げるには、戦略的互恵関係の本質である「戦略的曖昧さ」に今一度立ち戻る必要がある> <戦略的互恵関係」成功の秘訣はその戦略的曖昧さにあった。これを詳しく再定義しようとすれば逆に日中間の矛盾が露呈するだけだろう> 中国は戦略的互恵関係について、最近「日本は領土問題存在を確認し、靖国参拝自粛を明言せよ」と追加注文を出している。これはだれが首相になっても受け入できない。それを追求すると日中間の矛盾が露呈するだけだ。そのことを理解して、この問題に触れず、双方が呑める経済・環境問題について議論して行けばいい。中国にその点を理解させる努力が日本外交のキモだというわけだ。 無論、事はそう簡単ではない。第一次世界大戦前も、欧州各国の経済関係は複雑に絡み合い、パイプは幾重にも重なって太くなっていた。各国政府とも戦争などは愚かなことと考え、極力紛争の拡大を防ごうと努力していた。 ところが、今から100年前の1914年6月、サラエボでの銃声が第一次世界大戦が勃発するきっかけとなった。オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子夫妻が暗殺されたこの事件をきっかけに、欧州全域に戦火が拡大、推定1000万人が戦死したと言われる。 同じ危険は日中間のあちこちにある。日中だけではない、中東、ウクライナと火種は各所に見られる。だから、宮永三菱重工社長のように、あまり楽観することもできない。 国益を第一と考える国際社会にあって、100%の友情を期待できる国などない。だが、逆に100%の敵対関係もない。 大事なのは、友ではなくとも、共通の利益の確認をして、紛争の拡大を防ぐことである。中国相手には「友でも敵でもない」関係を大事にして行くこと、という宮家氏の意見は卓見である。 集団的自衛権の行使容認は、そのためにこそ必要なのだ。リベラル派の平和論者は集団的自衛権が中国や中東との戦争を招くと危険視するが、逆である。 日米が集団的自衛権のもとに同盟関係を強化すれば、中国も日本領海への進出は困難と諦め、日本とは経済関係のパイプをより太くする方向に動くだろう。