欧米の「反ファシズム」に助けられ、命脈を保つリベラル左翼
前回の当ブログで、中国は「中国脅威論」を薄めるためにも、中国が米英露仏などと同じ側にいるという「反ファシズム」史観を全面に打ち出し、自らの正統性を主張している、と書いた。今も閣僚が靖国参拝をする日本はファシズムという「絶対悪」の側にあり、自分たちは「正義」の側にいるのだ、と何度も唱え、「反ファシズム」路線の欧米を味方にしようという魂胆だ。前回紹介した福井義高・青山学院大学教授の「日本人が知らない最先端の世界史」(詳伝社)によれば、こうした中国の情報戦略に大きな力を与えたのがソ連のスターリンだった。スターリンはナチス・ドイツが台頭した戦前、それまでの「共産(社会)主義VS資本主義」という対立軸を引っ込め、「民主主義対ファシズム」という人民戦線路線を掲げ、英米仏との共闘に政治外交戦略を改めた。この結果、反共主義は反民主主義すなわちファシズムと同じとなった。対独勝利をめざす西欧はソ連の共産主義に懐疑的ながらも、その点に目をつむりソ連が味方になるスターリン路線を許容した。それは第2次大戦後の国連創設後も変わらず、西欧諸国は「スターリンの呪縛」にまんまとはまった。GHQが日本を占領した後、日本共産党や社会党が大きな自由を得て、共産・社会主義を全面に押し出す政策、宣伝を打ち出せたのはそのためだった。冷戦が本格化した後、東西陣営の対立へと構図は変わったが、今に至るも「絶対悪はナチス・ドイツであって、米国がソ連とともに戦ったことが否定的に評価されたわけではない」(福井教授著「最先端の世界史」)。ソ連が崩壊し、共産・社会主義の矛盾が露呈した冷戦後、「民主主義=反・反共主義=反ファシズム」という現代リベラルの公式は、むしろ純化されたといえる、と福井教授は喝破する。ファシズムとスターリニズムを並べた場合、共に巨悪であり、戦後もソ連、東欧、中国、北朝鮮で多数の人民を虐殺や飢餓、圧政に追いやり、貧困と言論の不自由を強制してきたという意味では共産スターリニズムの方が巨悪だと思われる。だが、ナチズムを倒したという正義の歴史を貫きたい欧米諸国は冷戦時はともかく、冷戦に勝利した今は共産主義を大目に見る風潮にあるようだ。絶対悪はナチズムであり、スターリニズムはそれよりマシだという歴史観である。戦前もナチ・ドイツという絶対悪を倒すために、より小さな悪である共産スターリニズムと協力することはやむを得なかったというわけだ。米国はそれほどに戦前のナチズム攻略、及びナチズムと結託した軍国日本打破の歴史を「栄光の歴史」「正義の歴史」として擁護したいのだ。これがリベラル左翼にとって好都合となっている。戦後、一貫してソ連、中国、北朝鮮の政治、外交を擁護し、自民党など保守派の資本主義の打倒に執念を燃やした共産・社会主義者とそのシンパ。シンパの方が多く、今はその大半がリベラル左翼だ。当ブログ「リベラル派日本人の自己欺瞞」で指摘したように、彼らはソ連崩壊後、マルキシズムに染まっていた自分のどこに間違いがあったかを反省(総括)する責任があるが、その動きはほとんど見られなかった。無責任と言っていい。その背景に「そうしなくてもいい」という空気が欧米で根強かったことが挙げられそうだ。その空気が日本にも伝播したのである。しかも、日本でも欧米でも「スターリニズムは悪かったが、純粋なマルキシズムそのものは悪くない。それを信じたリベラル左翼は真情においては純粋だった」という風潮が今も強い。「結果は悪かったが、同期は純粋だった」という甘えた論理。民進党(旧・民主党)の党員や支持者に典型的に見られる半人前の論理、居直りである。昔から「若いころ、マルキシズムに染まるのはむしろ純粋で望ましい。しかし、大人になってもそれを続けるのはバカだ。清濁併せ呑む世の中の論理をわからなければ一人前の人間としてやっていけない」と言われてきた。「若いころは左翼的な行動をしてもいいんだよ。オレもそうだった」という許容的な姿勢が「大人の社会」にはある。リベラル左翼の多くはこの論理の中に逃げ込んでいる。共産主義者、マルクス主義者と言う人間はいなくなり、「自分はリベラルだ」という言い方をすることで現在の自分を擁護している。そして、自分(たち)は「行き過ぎたスターリニズムの間違いは認めるが、今も憲法9条の改正、格差社会の拡大や女性差別、危ない原発再開など反対する一方、途上国支援、移民・難民の受け入れなどを促すよう求めている」と、エエカッコシーを続ける。責任ある立場にいないので、そうしたモラトリアム人間を続けられるのである。リベラル左翼は靖国参拝などにも反対する向きが多く、欧米の歴史修正主義への「圧力」を歓迎している。歴史修正主義や移民受け入れ反対の動きをする政党は欧米でも普通の「右翼」「保守派」ではなく、「極右」と言われる。欧米でその空気があるために、リベラルたちは自分たちを純粋な人間と位置づけ、いい気になって「汚れた極右」を指弾する。ナチズムを「絶対悪」とする歴史観が今も大きく影響している。日本のリベラル左翼はそれを歓迎し、多大な人民を抑圧していた共産スターリニズムに染まっていた自らの責任回避と、現在の勢力拡大に活用していると思われる。