238106 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

これが瞬時に人を判断する方法だ!

PR

Category

言動から人のタイプ判断する

(14)

仕草から嘘を見抜く

(14)

見た目から性格を判断する

(1)

趣味から判断する

(0)

言動から知能指数を判断する

(0)

本音の真意を探る

(0)

Recent Posts

Archives

2019.09
2019.08
2019.07
2019.06
2019.05
2019.04
2019.03

Free Space

全14件 (14件中 1-10件目)

1 2 >

言動から人のタイプ判断する

2012.03.28
XML
机や部屋が散らかっている人は、頭のなかは整然としており、逆にきちんとしている人は、頭のなかは散らかっている・・・などという人もいます。

この場合の「頭のなかが散らかっている」というのは頭の回転が鈍いという意味ではありません。ひとつひとつ順序立てて考えをまとめていく思考法の人が「頭のなかが整然としている人」とすれば、「頭のなかが散らかっている」人は、いろいろな思いつきが頭のなかに脈絡なく浮かびあがり、それを「遊ばせておく」といつのまにか形になってゆく思考法の人ということでしょう。

その真偽はともかく、いかにも服装はだらしなく、ボタンをかけ違えたまま外出したりしている人が、実は天才的な学者だったという話はよく聞きます。思考に没頭するあまり、服装のことまで気が回らなくなっているのでしょうね。

服装に限らず、えてして天才というのは自分の研究や作品のこと以外にはまるで関心がないというタイプが少なくありません。サラリーマンの世界においても、仕事はバリバリとこなすけれども、仕事以外に趣味といえるほどのものはなく、世間の流行や事件にも興味を示さない人がいます。

そういう人は、なんの話題をふってもまともな反応がないので、最初の印象は「この人は頭が悪いのかもしれない」と思われがちです。しかし、いざ自分の得意分野に入ると、人が変わったように敏腕を振るい出し、周りの人も一目置く存在になります。

そういうこともありますから、最初の印象はぼんやりとして冴えないように見える人ほど、実は要注意なのです。「この人はたいしたことないな」と安易に判断すると、あとで恥ずかしい思いをしたり、「人を見る目がない」という評価を下されたりするかもしれません。

服装でも言動でも、いつもピシッとしてスキがないように見える人のほうが、他人の評価や外見を気にするタイプなのであり、そういうタイプの人を操縦するのは意外に難しくないことが多いようです。






Last updated  2012.03.29 01:52:30
2012.03.14
以前は、普段仕事で使っている机を見ると、その人の仕事(勉強)ぶりや能力がわかる、などと言われました。

だから、誰に見られても恥ずかしくないように、いつも机の上を綺麗に整頓しておけ、と。確かに、書類や文房具類がきちんと並べられている机を見ると、仕事のほうもてきぱきと段取りよくこなしているように思えます。

しかし、それは単に几帳面な性格から片づけずにはいられないというだけで、かえってその潔癖さが邪魔して社内外の人間関係に悩んでいる人も実際にいるでしょう。

逆に机がごちゃごちゃと散らかっている人の中には「他の人から見ると散らかっているように見えるかもしれないけれど、自分ではどこに何を置いているか覚えているから問題ない」と反論したくなる人もいるでしょう。

実際、部屋のなかが膨大な資料や本に埋もれている研究者や学者のなかには「その本は何段目の何番目に入っている」とすべて記憶している人もいるので、あながち負け惜しみとはいえないようです。

仕事ができるかどうかは別として、机の上がいつも雑然としている人は片づけるのが苦手だということは確かなようです。さて、片づけるのが苦手という人に共通するのは、「捨てるのが下手」ということです。

もう終わった仕事の資料なのに「まだ役に立つかもしれない」という考えから捨てられないのですね。あるいは、自分の足跡を残しておきたい、思い出の品を大切にしたいという気持ちが強いのでしょう。

こういうと、物を大事にする人というよりは、どちらかというと昔のことをつい引きずってしまう性格といったほうが近いでしょう。捨てられない昔の資料や使わなくなった品々は、その人の心に潜む過去へのこだわりの象徴です。

逆に昔は大事にしていたものでも、使えなくなったら潔く捨ててしまえる人は、過去にこだわるよりも未来のために生きようと、前向きに考えられる人です。

たまに部屋を整理しようとしたときに不意に昔書いた原稿や資料を見つけてしまい「なつかしいなあ」と感慨にふけってしまっているうちに時間が過ぎて今やっている原稿の締め切りが迫ってきた・・・などという経験が何回かあるので、あまり大きなことはいえませんが・・・

ときには過去を振り返るのも結構なことですが、それに囚われるのではなく、思い切って捨ててしまうと、気持ちまですっきりすることもあります。捨ててしまっても大丈夫、それでも心のなかでずっと生きているものが、本当の思い出です。






Last updated  2012.03.15 01:26:21
2012.03.08
「ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」と言った時「ああいいよ、何?」と気軽に応えてくれる人もいれば「お願いって、どういうこと・・・」と不安そうな顔をする人もいます。さて、どちらの人が信用できるのでしょう?

上司に「これをやって欲しいんだけど」と仕事を頼まれて、内容をよく確認することもなく「わかりました。やりましょう」と安請け合いしてしまう。せっかく上司が自分を見込んで仕事を振ってくれたのだから、それに応えたいという心意気はよくわかります。「ここで上手くやれば、オレの株も上がるに違いない」という思惑もあるかもしれません。

けれども、実際に取り組んでみると結構たいへんな仕事で、上司にいわれた通りの期日や目標数値ではできそうにないということもあります。

そこで「やっぱり無理でした」というのは、あまりにも無責任でカッコ悪いでしょう。こんなふうに「ああ、いいよ」と気軽に引き受けておきながら、あとになって「ダメだった」という人は少なからずいます。

プライベートの席でも「日曜日、みんなで日帰りの旅行に行くけど一緒に行く?」と誘われて「行く!行く!」と即答しておきながら、直前になって「ごめん。日曜日は予定が入っちゃった」とドタキャンする人・・・。頼んだ側、誘った側とすれば、てっきりその人がやってくれる、来てくれると思って、計算しているのですから、急に「ノー」といわれても困ってしまいます。

こちらがものを頼んだとき、「えーと、それはどういう内容で、いつまでにやればいいのかな?」と一見、乗り気ではなさそうに見える人のほうが、いざ引き受けてくれた時にはきちんとこなしてくれます。おそらく安請け合いのマイナス面をじゅうぶんに知っている人なのでしょう。






Last updated  2012.03.09 02:19:34
2012.02.25
遅れるといっても五分や十分程度なので、本人はそれほど気にしていないかもしれませんが、待ち合わせ時間に必ずといっていいくらい遅れてくる人というのは、性格や考え方がすっかりバレています。

もっとも、当人も最初から遅刻するつもりで準備しているわけではなく「支度で十五分。家から駅まで歩いて十分。目的の駅まで電車で三十分だから、待ち合わせの時間が五分あったとして、全部で一時間。約束は五時だから一時間前の四時に準備をはじめればいいな」などと計算しているはずです。

ところが出かける前に急な電話があったり、持ち物を探すのに時間がかかったりで、時間がよけいにかかることもあります。予定通りに家を出たとしても、電車が遅れたり、タイミングが悪くて結果的に遅れたりすることもあります。

だから、そういう人に限って「いやあ、出かけようとしたときにちょうど電話が入っちゃって」「電車が遅れたんだから仕方ないじゃないか」などと、さして悪びれたようすもなく答えます。

それが今回に限ってのことならば、「それは仕方ない」と思いますが、そんな人はほとんどいません。五分や十分遅れる人は「常習犯」で、その人は、どんな人とのどんな約束にも、必ず五分か十分は遅れるのです。

要は、最初の「一時間前に出ればいい」という計算自体が甘いのです。約束の時間にきちんと来る人は「まさかのトラブル」を見越して、計算上の時間よりもさらに十分早く準備しています。予期せぬトラブルで時間をくったとしても、その「余裕の十分」がきいて相手を待たせることはありません。

いつも時間に遅れてくる人は、ただ時間にだらしないというだけでなく「スケジュールの管理が甘い人」「危機管理のできない人」「いつも同じ過ちを犯してしまう人」というレッテルを貼られる危険性があるのです。






Last updated  2012.02.26 02:18:17
2012.02.23
流行り言葉や専門用語をやたらと使いたがる人は、周囲の人からは煙たがられているものです。流行り言葉は、句の時期を過ぎたら腐りやすいもの。テレビや週刊誌で見て「オレだって知っているんだぞ」と使う頃には、とっくに廃れて「ダサい」表現になっている場合が多いのです。もちろん本人は気づいていませんが。

また、若い人と打ち解けたいがために若者言葉を使いたがるオジサンもいますが、それもTPOを間違うと裏目に出ます。「気持ち悪い」を「キモい」と略したり、本来は頭にアクセントのある「クラブ」を平坦に発音したりする若者言葉は、現代日本に限らず、古今東西で見られる傾向です。

そこには若者たちが飲んだり、踊ったりする現代のクラブを、従来のホステスが接客する銀座などの「クラブ」と区別するためにあえて発音を変えていたり、自分たちだけにしかわからない暗号のような意味あいで使っていたりもするのです。だから、仲間ではないオジサンがわかったような口ぶりで若者言葉を使いだすと、白い目で見られるのも当然といえば当然です。

親しい人に、ジョークとして使うならいいでしょうが、「若い人との壁をなくしたい」などという崇高(?)な精神で臨み、それほど親密でもない人に向かって使うのが危険なのです。

逆にいえば、自分の若者言葉を若い部下や子どもたちが受け入れてくれるかどうかが、自分に対する親密度のバロメータにもなるかもしれません。

専門用語を多用する人については、基本的にNGです。「こんな難しい言葉を知っているオレって頭いいだろ?」というつもりなのでしょうが、いや、そういうつもりではなくても、周囲からは「わけのわからない言葉ばっかり並べて、この人頭が悪いんじゃないの?」と思われている可能性も大きいのです。






Last updated  2012.02.23 23:50:54
2012.02.19
前フリの言葉でも「そういえばさあ・・・」「っていうか・・・」と口癖のように使っている人は、ちょっとまたタイプが違います。

前の人の意見やそのときの話題を受けて「そういえば・・・」と切り出すのなら流れもスムーズなのですが、「そういえば・・・」と切り出して、まったく関係ない話をはじめる人に出会うと面喰らいます。

「つていうか・・・」というのもよく耳にしますが、これも本来は「この魚は鮮度がよくない、というか、はっきりいって美味しくない」というように、自分の表現を受けて「○○というより、××といったほうがより適切」という意味で使うものです。

ところが最近は、人の意見に反対するときや、まったく違う意見をいうときも使われているようで違和感を覚えます。

本人は相手の意見を全面否定するのではなく、少し柔らかい表現で「っていうか」と使っているつもりかもしれませんが、いわれたほうは「”っていうか”というより、オレとは全然違う意見じゃないの!」と怒りたくなるものです。確かに、話をブツリと切られたような不愉快な気分です。

相手の意見や話題に関係なく使われる「そういえば」や「っていうか」は「その意見(話題)はもういいよ。オレに話をさせろ」という意識がいわせているのでしょう。

さきほどのスマートなエクスキューズを使うのなら「ちょっと話は変わるんだけど・・・」「私か思うには・・・」などと明確にいったほうがイヤミもなく、聞いているほうも自然な感じがします。






Last updated  2012.02.20 01:11:51
2012.02.03
「こういう言い方をすると、誤解されるかもしれないんだけど・・・」

「あえて現実的には難しいことを承知でいうのですが・・・」

と、先にエクスキューズ(言い訳)されたときには「いいから早く本題に入れ」「言い訳するくらいなら最初からいうな」と思うでしょう。でも、本人は「これをいったら、相手は気を悪くするかもしれない」「どうせ現実的ではないと批判されるだろう」という懸念をもっているからこそ、わざわざ言い訳をしているのであり、そうしてでも言わねばならない立場に置かれているのです。

実際の会話を考えてみると、その「前フリの効果」は結構大きいのです。「誤解されるかもしれないけれど・・・」と言われると、聞いているほうも相手の言葉を直接的に捕らえようとせずに、裏の意味を読み取ろうとしてくれます。

現実的には難しい」ことを本人が承知しているなら、会議の参加者もその部分は差し引いて意見を聞くようになります。相手に「心の準備」を促すのです。

前フリがなくストレートに意見をいったら、どうでしょうか。「なんでこんなことをいうのかしら」と機嫌を損ねられたり「そんな現実的でない意見はダメだ」とケンもほろろに否定されたりすることを考えれば、前フリをすることは、よりスマートな会話術のひとつといえます。最初のエクスキューズがクッションの役目を果たし、その後の発言に対する反発を弱めているわけです。

これが後から「いや、だから誤解されると思ったんだよ」「現実的でないのは自分でもわかっていたのですが」といったのでは、効果は半減。むしろ「そんな言い訳は聞きたくない!」と、火に油を注ぐ結果になりかねません。

言いにくい内容、自分でも自信のない意見については、前フリとしてそのことを相手に伝えておいたほうが、自分のためにも、会話や会議をスムーズに進行させるうえでも得策なのです。エクスキューズをうまく使える人は「頭のよい」話し方ができる人であり、人づきあいもうまい人です。






Last updated  2012.02.03 23:30:19
2012.02.02
「あー、キミ。例のアレはどうなっているのかね?」

「あそこに置いておいたヤツどこへやった?」

最初の文は上司から部下への問いかけ、次のは夫から妻への質問です。上司や夫の立場からすれば何を話題にしているのかは明快です。しかし、いきなり「アレ」や「あそこのヤツ」といわれた部下や妻の方は何の事か分からずに怪計な顔をしたりすると「何もわかってない!」などと不機嫌になったりするのですから困ります。お互い周知の事柄、話題だからすぐに分かって欲しいという思いなのでしょうが、会話として全く不十分なことは、こうして文字にしてみるとよく分かりますね。

そもそも「あれ」「それ」「あそこ」などの指示代名詞は前段階の話があって、お互いの共通認識が出来て初めて使えるものです。何の前フリもなく「アレはどうなった?」「あそこにあったヤツ」などと言われても分からない方が当たり前です。にも関わらず、それを非難するような口ぶりの人は頭も悪ければ思いやりもない人と思われるのがオチです。歳をとってくると物や人の名前がパッと思い浮かばない時もあります。それでもそんな状況でどう言うかによってその人の「バカ度」が測れます。

「ほら!何とかさんって人居たじゃない。街でばったり会った人よ!」と言われても誰のことかさっぱり分かりません。けれども「2ヵ月ほど前、渋谷に映画を観に行った時、あなたに話しかけてきた女性がいたでしょう?」といわれると「ああ、○○さんのことか」と通じるでしょう。相手の名前が思い出せないならそれを連想させるような情報を少しでも入れて伝えようとするのが頭もよく、思いやりのある人の話し方です。








Last updated  2015.11.12 14:15:28
2012.01.30
口の早さと同じくらい、人の性格を表すのが声の大きさです。必要以上に大きな声を張り上げる人は、「自分の話を聞いてほしい」という主張がきついだけでなく「自分のことを認めてもらいたい」という願望も強いタイプの人です。裏を返せば、話す内容や自分に対する評価についてそれほど自信がないために、声の大きさでアピールしていると分析できます。

したがって、一見、強面の気の強い性格に見えながら、実は気の小さい人という場合も少なくありません。また、怒ったり驚いたりしたときについ大きな声が出てしまうように、声の大きさは感情の量にも比例します。そういう意味では、すぐに大声を出してしまう人は、感情をコントロールするのが苦手な子どもっぽい人ともいえます。

部下を叱るときは大声で怒鳴るのに、上の人間に対しては猫なで声を出す上司。あるいは仕事場ではどこにいるのか目立たないくらいおとなしいのに、家族の前では言葉づかいも乱暴になって、大きな声でしゃべる女の子。

いずれも気をつかわずにすむ場面で大声を出すことで、ストレスを発散しているのです。しかし、相手によって話し方だけでなく、声の大きさまで変わるとなると、ストレスをまき散らされている部下や身内は、たまったものではありません。

逆に声の小さい人はどうでしょうか。何をいっているのか聞き取れないくらい小さい声でボソボソと話されるのは困りものです。相手に聞き取れないくらい小さい声で話すこと自体、相手にきちんと伝えようとする意識が欠如している証拠。こういう人は、自分の話す内容に自信がないという以前に、できれば人と話をしたくない、話をすること自体が苦手なタイプなのでしょう。

そういえば、子どもを対象にした防犯教室を開いている人から、最近の子どもたちは大きな声を出せない、という話を聞いたことがあります。親や先生から「大声を出すな」「おとなしくしていなさい」としつけられたせいかもしれませんが、非常時に助けを呼びたいときでも大きな声が出ない子どもが驚くほど多いというのです。

少年犯罪が起こるたびに子どものコミュニケーション能力の低下が取りざたされますが、声を出すという基本的なところから出来なくなっているのかもしれません。

少し話がそれてしまいましたが、要するに話す内容が相手に気持ちよく伝わってこその会話なのです。時と場所をわきまえず、声が大きすぎたり、小さすぎたりするのも、相手に対する思いやりが欠けているわけですから、その場に応じた声量バランスを調整できない人は、「頭の悪い人」と判断されても仕方ないでしょう。








Last updated  2016.06.04 15:51:53
2012.01.29
面と向かい合っての会話より電話でのやりとりのほうが、話し方や声の大小などからその人の本性が見えやすいかもしれません。

電話が遠くて、相手の声がよく聞き取れないときは、相手も自分の声が聞こえていないのかと思って、ついこちらの声量もあがることがあります。これは、相手の姿が見えない分だけ、その声のトーンや間合いに敏感に反応したということで、直接の会話より相手のことが「よく見えてくる」のです。

「どうも、どうもお!久しぶりです!」などと、電話ではいつも元気よく威勢のよい人というのは、営業のサラリーマンや客商売の人などには結構いるタイプです。お客さまに対しては明るく、丁寧にというのが商売人のモットーですから当然といえば当然なのですが、必要以上にテンションが高い人は、本人も「商売人のモットー」を強く意識してやっているのでしょう。

お客さんに対して明るく接するために、自分を鼓舞し、あえて大きな声を出している。つまり、本当は話し下手でセールストークなどは自分には向いてないと思っていながら、仕事だからと自分を励ましているわけです。

あるいは、そうやって「頑張って営業していますよ」と、電話の相手にではなく、社内にいる上司にアピールしていることもあるでしょう。これはコンパなどで気になる異性が近くにいるのに直接話しかけられないため、他の人とわざと大きな声で話して関心を引こうという心理に通じるものがあります。

明るく威勢のよい話し口調の割に、世間話などは一切いわず、用件だけを伝えてさっさと切ってしまう人も、性格的には与えられた仕事は責任感をもってやろうとする頑張り屋だけれども、実は人づきあいはそれほど得意ではない人見知りな人、と分析できます。

逆に用件が終わっても、なかなか電話を切るきっかけが掴めずに世間話をしている人は、人づきあいはけっして苦手ではなく、人好きのするタイプなのですが、相手の気持ちを深く読み過ぎてしまうきらいがあるのかもしれません。

仲のよい相手とならばともかく、それほど親しくもない女性同士が長々と電話していることが男性にとっては不思議なことのひとつなのですが、その原因のひとつは「ここであっさり”では、また”と言ったら、相手は気を悪くするのでは」というお互いの気づかいが行き来しているのでしょう。

同じ長電話でも会話が延々と続くのではなく、沈黙の間合いが多い人からは、また違う性格が読み取れます。顔をつきあわせての会話なら多少相手が黙っていたとしても、その表情や仕草から「今、考えをまとめているのだな」と察することもできますが、電話で沈黙されるとコミュニケーションが完全に途絶えてしまいます。

それにもかかわらず電話口で沈黙してしまうというのは、マイペース型で相手の気持ちには無頓着な性格です。おそらく普段の言動でも、そういう独りよがりな面が見えるのではないでしょうか。






Last updated  2013.04.30 00:43:59

全14件 (14件中 1-10件目)

1 2 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.