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カテゴリ:雑感
戦時下の日本のような情報が極端に制限されていたような時代にも、中江丑吉(兆民の息子)のように日本の敗戦を予測していた人はいた。そんなことは、具体的な戦況に関する知識がなくとも、そもそも日本とアメリカの文明と経済力の差を承知していた人にとってはそれこそ論理的必然的に導かれる結論だと言える。
「勝った!勝った!」という「大本営発表」のおかしさを見抜くのは、世界についての多少の常識と冷えた頭脳を持っていた人にとっては、たぶんそう難しいことではなかったと思う(というよりも、醒めた頭脳を持つということが当時は一番難しかったんでしょうけどね) だから、論理や理性の力を否定するつもりは全然ない。逆に、今のように情報が溢れている時代になると、今度は膨大な情報を取捨選択する必要も出てくる。いずれにしたって、自分の目や耳で直接確認できる情報なんてものの範囲はいつの時代にも限られているのだから、情報の真偽を判断するためには、最低限の論理的判断力は必要だ。 しかし、中江丑吉が日本の敗戦を予測できたのも、あらかじめ日本とアメリカの国力の絶対的な差という情報を前提として持っていたからだろう。前提となる情報すらなければ、いくら論理を振り回したって「真理」など手にはいるはずもない。 論理的な判断力は、「事実」と称する怪しげな情報をふるい落とすことはできる。 しかし、当たり前のことだが論理で事実を確定することなどはできない。 論理と経験的な事実とは全然次元が違う話である(これも当たり前のことですが)。 とりあえずは基本的な情報をできる限り集め、知識を収集すること。 「論理」を持ち出すのは、そのあとの話だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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前のコメント中、小林秀雄を「秀樹」としましたが、「その人」を知らない自分が証明されました。
かつさん怒っていますよね。なぜだろうと、いくつかのブログをのぞいてみましたが。やっぱり。 ひとつひとつの事実を取り上げないで、社会や歴史を論理で考えようとするのは、まったく馬鹿な行為だと同感します。いまさら形而上学を直接に志向する中世的な性癖が残存していることに驚きます。知的レベルが低すぎる。 それはとにかく。 事実を棚上げして社会や歴史を考えるというのは、社会と歴史に形而上的な「法則」があると仮定することですよね。武道の型だけ覚えるのと同じで。「資本主義⇒社会主義⇒共産主義」は歴史の必然だとマルクス主義ではいうらしいですが。かつさんがおっしゃっていることに照らせば、その理論はなにかの形而上学から得られた理論ではないでしょう。 どちらにしても、形而上学的な試みには、できあいの理論を無批判に応用しようとする小学生ていどの幼児性をもっていると思っています。知能指数が低いんですね。そんな人ですから一時期、あれは三流、これは一流と、現代の著作家たちを差別的に分類していたのでしょう。自分がよりどころとする経典を探していたのですね。知性の点でかわいそうな人です。 とはいえ、自分のリテラシーを疑わない知性が低いスノッブなど信じられません。間違っても、経典のせいにするからです。自分が悪いわけじゃないと。あの戦火を逃げまどう中国人の女性を拉致して強姦し、母子を撃ち殺した日本兵のいいわけと同じです。わたしが悪いんじゃない、命令した上官や戦争や歴史が悪かったのだと。 最後、ドメスティックな意見につきしがうだけ。ですから、そのブログの人は、目標をそこに置いているんだと思っています。すりよりですね。すこしでも出世して「勝ち組」の甘さを味わいたいのでしょう。教育委員会のメンバーになるとか。気持ち悪い! (2007.03.18 10:52:47)
わどさん
まあ、分かる人にだけ分かればいいと思って書いたので。 分からない人が読んだら、なにを言っているのかさっぱり?でしょうね。 あの人は、どうして宮台の言うことを無批判に受け入れちゃうのでしょう。 「一枚岩の左翼」なんてものはとうの昔に存在していないということを知らないのでしょうか。 「幻影」を相手に1人相撲を取っているようにしか思えません。 (2007.03.18 11:10:45)
katsuさん、こんにちは
> 「論理」を持ち出すのは、そのあとの話だろう。 「論理」を開陳した後に幾ら事実を持ち出してきても「持論に都合の良いものだけをみつくろってきたんだろ」と邪推されがちなことを考えてみれば、まずは「事実」「情報」を丹念に拾い上げる方が結果的には「自説」のためかもしれません。 非論理的・情緒的な主張を「論理的に」なす事が出来ること自体が、「論理」というものの性質を如実に示していますよね。 それでは。 (2007.03.18 11:18:49)
おや、こんにちは
歴史には、簡単には証明できないことはいくらでもあります。史実を追求する人達は、みんなその程度のことは承知の上で事実の追求に務めているのだろうと思います。 中途半端なところで、これはありうるとか、あれはありえないとか論じるのは一番やってはいけないことだと思います。 (2007.03.18 11:53:02)
古田博司サンという東洋思想氏の人が、『世界』に一時連載してました。その1つで、兵糧を確保しない旧日本軍は、軍人ではなく、儒者だと憤る軍事研究家の言を紹介してました。「食を去らん、古より皆死あり。」を地で行っていたのが皇軍やったからや、と。まあ、徳と軍と食のどれを捨てるかの順位付けで、まず軍を捨てたのは措いといて、この話を出しているのは奇妙なレトリックのような気がしますけど、エエカッコしいの「精神主義者」を、「まやかしの儒者」つまり儒教のつまみ食いをした悲しい日本の精神風土として描いているという点では、面白い論理展開やと思いました。
こなれないまま、まやかしの思想や技術が現実を踏み潰してしてしまう悲劇。色んな場面でフィードバックして正す仕組みをこしらえていく以外ないのでしょうね。ただ、社会が世界規模でこうややこしくなってくると、少々勉強しても、さっぱり分からんことが多すぎて、虚無感に襲われっぱなしですけど・・。 (2007.03.18 19:21:08)
三介 さん
お元気でしたか。心配しておりました。 分からんことはいっぱいありますよ。 とりあえず、分からんことを分かったふりしないことが大事だろうと思います。1人で天下国家をしょってもしかたないですからね。 (2007.03.19 06:01:22)
かつさん、こんにちは。
コメントするのは初めてですが、ときどき寄らせてもらってます。かつさんのこの記事は私のブログでかつさんからいただいたコメントとも関係があるのではと私は思っています。というのは、私も同じような苛立ちというか批判的感想をポストモダンと総称される現代思想に感じているからであり、あの記事(「シニフィエについて」)はその象徴のようなものだからです。 私のように現実の事象やそこから得られる表象を通してでなければ思想や理論を理解できない頭の悪い人間にはフランス流の現代思想はむずかしすぎます。 『ことば・その周辺』 http://okrchicagob.blog4.fc2.com/ (2007.03.20 12:17:30)
シカゴ・ブルースさん
苛立ち、あるいはあきれとでも言いましょうか。 論理だけで完結することの無意味さということですね。 実はわたし、滝村信者の佐佐木晃彦さんともかなり激烈にやりあったことがありまして。 あの中で読者からの意見として紹介されているのは、ほとんど私なのであります。 (2007.03.20 12:31:18)
かつ7416さん
おひさしぶりです。佐佐木晃彦です。 >実はわたし、滝村信者の佐佐木晃彦さんともかなり激烈にやりあったことがありまして。 わたしを「滝村信者」としかお読みいただけなかったのはとても残念ですね。「信者」などという言葉は、軽々に使うべき言葉ではありませんね。 >あの中で読者からの意見として紹介されているのは、ほとんど私なのであります。 野口さんのご意見は「意志の観念的対象化」の件と、「真理は汝らに自由を得さすべし」ですね。 「Nさん」とイニシャルで紹介しております。 HPを改定するごとにご案内は通知しておりますが近々「読者からの反応に寄せて」6と7をアップいたしますので、ご感想を頂戴いただければ幸いです。 (2007.03.20 13:03:59)
かつ7416さん
佐佐木です。HP改定のお知らせです。 【真理は全体である(ヘーゲル) ― 読者の方からの感想に寄せて6 ―】 【哲学は数学からその方法を借りてくる事は出来ない(ヘーゲル) ― 読者の方からの感想に寄せて7 ―】 「論理だけで完結することの無意味さ」というのが日本の左翼の一番ダメなところだと思います。マルクス読んで、頭の中に「論理」を詰め込み、それで現実を裁断する。思想イデオロギー的レベルで現れたものを、わたしは「イマジンの論理」と呼んでいます。 国境も宗教もないイマジン的世界をまずアプリオリに設定し、それでもって現実を見る。すなわち、現実の中から思想を紡ぎだす努力をしない。 自分の頭の中の論理が現実的に成り立つのかどうか、現実と正面から向き合い、徹底的に考えて考え抜くシビアな作業をしない。 わたしがHPで狙っているのは、そういう不毛さを無化しえる立場を、とりあえず理論的レベルで追求しようということです。 >佐佐木晃彦さん > >おや、失礼しました。 >数学屋のメガネさんのところへの書き込み、拝見しました。相変わらずのご様子ですね。 ----- (2007.03.20 20:35:26)
佐佐木さま、横レスで申しわけありません。
>「論理だけで完結することの無意味さ」 そうですそうです、そんな感じです。論理といっても幼児的なもので、文章だって読めたものではないですが。かわいそうな人ですけど、自分を「えらい」と思いこんでる低俗スノッブは大きらいなんです。おれの周りでも、あそこのブログのファンは見当たらなくなりました。まして論理の結果はどうでもいいとか、事実=真理だとか。 「真実」は「物語」を経由してしか主題歌されえない。 (『ためらいの倫理学』内田樹) にくらべると、思想的な次元の高低があきらかです。 どこで迷子になったのか・・・。どこかで多分、カッコよさげに見える宮台氏をうらやましく思いだしたんじゃないのかな。お金の問題もあるし。自分も真似してみたいものだと。 ところで、佐々木さまはご自分のHPを公開されないんでしょうか。URLが記載されていませんけど。 (2007.03.21 13:57:29)
わどさん
私もいささか頭を冷やして考えてみたのですが、あちらが変わったわけではなく、われわれのほうがもともと思い違いをしていたのではないかと思います。 ですから、あちらに対して怒りをぶつけるのは筋違いのような気がしてきました。人はそれぞれですから、それは仕方がないのではないかと思います。 ところで、佐々木さんのHPはTBをもらっているシカゴブルースさんのページのBookmarkで探せば見つかると思います。 (2007.03.21 16:39:15)
わどさん
佐佐木です。 アドレスを忘れておりました。 http://galo2.hp.infoseek.co.jp/index.html >佐佐木さま、横レスで申しわけありません。 > >>「論理だけで完結することの無意味さ」 > >そうですそうです、そんな感じです。論理といっても幼児的なもので、文章だって読めたものではないですが。かわいそうな人ですけど、自分を「えらい」と思いこんでる低俗スノッブは大きらいなんです。おれの周りでも、あそこのブログのファンは見当たらなくなりました。まして論理の結果はどうでもいいとか、事実=真理だとか。 > >「真実」は「物語」を経由してしか主題歌されえない。 (『ためらいの倫理学』内田樹) > >にくらべると、思想的な次元の高低があきらかです。 >どこで迷子になったのか・・・。どこかで多分、カッコよさげに見える宮台氏をうらやましく思いだしたんじゃないのかな。お金の問題もあるし。自分も真似してみたいものだと。 > >ところで、佐々木さまはご自分のHPを公開されないんでしょうか。URLが記載されていませんけど。 ----- (2007.03.22 18:53:37)
佐佐木さま、URLをありがとうございます。この場をお借りしてお礼いたします。と申しましても、かつさんに紹介していただいたので、シカゴブルースさん経由でお伺いさせていただいています。
こんなところに感想を書いちゃっていいのかな? かつさん、一回くらいは目をつぶってくれそうですが(笑)。すぐお手軽にコメントできるのがブログのよさかと。佐佐木さまも、もう一度、ブログの使用をご検討されてはと・・・。 むずかしかった! ← これが感想です(笑)。ただ不思議に、ひとつひとつの佐佐木さまのお考えに胸をうつものが感じられました。かつさんの言葉に感じるものと、よく似ています。これ多分、おれに欠けてるなにかを訴えてくる、そんな事情ではないかと思っています。またお伺いします。よろしく! かつさま、ごめんなさい(笑)。 (2007.03.22 22:08:56) |