遠方からの手紙

2009/11/11(水)15:47

ヴォネガットさん、さようなら

文学その他(40)

 ヴォネガットが亡くなったそうである。誕生日は1922年11月11日だから、84歳での死去ということになる。年齢的に言えば、十分に生きたうえでの大往生ということになるだろう。ご苦労さまでしたと、とりあえずは言っておこうか。 たぶん、日本語で最初に読んだのは 『チャンピオンたちの朝食』 か 『スラップスティック』 のどちらかだと思う。というのも、実はそれ以前にあるところの翻訳講座の教本で、当時まだ紹介されていなかった彼の短編(鹿が出てくる話)を原文で読まされたことがあったからなのだが。いずれにしても20年近く前の話なのであるが、それからしばらく彼のSF(?)を読み漁った記憶がある。 彼の小説は、むろん通常のSF小説とはずいぶんと異なる。タイムスリップや瞬間的な星間移動などSF小説によくある道具立てはそろっているのだが、それをなにやら科学的に聞こえる理屈で飾るようなことにはいっさい興味がなかったようだ。 そういうわけで、一時期はSF作家と呼ばれることを嫌ったこともあるそうだが、ディックのように、SFではない普通の小説をことさら書くこともなかったようだ。要するに、彼には 「現実」 をただありのままに書くことでは表現しきれないなにかがあったということなのだろう。だから、SF小説というよりも、むしろ一種の 「反リアリズム」 小説と言ったほうがいいのかもしれない。 ただ残念なことは、手元にあった彼の文庫のほとんどを愚息が持っていってしまって、今すぐには読み返せないことである。  わたしは大急ぎでこの原稿を書き上げた。読み返してみると、ビアフラ国民の哀れさよりも偉大さについて語るという最初の約束を裏切ってしまったようだ。わたしは子供たちの死を心の底から悲しんだ。わたしはガソリンを浴びせられた婦人の話をした。 国民としての偉大さについて言えば、死滅のときにあらゆる国民が偉大であり、神聖ですらあるという見方は、たぶん真実だろう。ビアフラ人は以前には一度も戦ったことがなかった。今回彼らは立派に戦った。もう二度戦うことはあるまい。彼らが古代マリンバで「フィンランディア」を演奏することは、もはや永遠にないだろう。平和 わたしの隣人たちは、もう遅いけれどもビアフラのためにできることはなにかないか、あるいは、もっと前にビアフラのためにすべきであったことはなにか、とたずねる。わたしは彼らに答える、「なにもないよ。それはかってもいまもナイジェリアの国内問題だった。きみたちはただそれを嘆くことしかできない」 ある人々は、せめてもの償いとして、これからナイジェリア人を憎むべきだろうかと問う。わたしは答える、「そうは思わない」 「ヴォネガット、大いに語る」    少数民族のイボ族を主体にしたビアフラ共和国が、ナイジェリアからの独立を宣言したのは、今からちょうど40年前の1967年5月、共和国が壊滅し降伏したのが1970年1月17日、そのわずか数日前までヴォネガットはビアフラを訪れていたのだという。これはそのときのことを記録したヴォネガットの文章である。この戦争では、戦闘と飢餓により数百万人の死者がでたということだ。  ちなみに、新谷のり子が歌ってヒットした 「フランシーヌの場合は」 のモデルになった1969年のパリでの女子学生の焼身自殺は、このビアフラ戦争の停戦を訴えての行動だったらしい。これは、今までまったく知らなかったことであった。不明を恥じなければならない。

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