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カテゴリ:マルクス
 関曠野という人がいる。以前から名前だけは知っていたのだが、きちんと著書を読んだことはなかった。で、とりあえず 『歴史の学び方について』 という薄い本を読んでみたのだが、これはなんというか、問題意識は分からぬではないにしても・・・・・・ため息が出た。

 関のマルクス批判は、マルクスの思想は 「経済決定論」 であるということであり、さらにつきつめれば 「生物的決定論」 だということになるようだ。

 たとえば、彼はこんなことを書いている。

 類としての人間の物質代謝から説き起こして生産力の発展を歴史の唯一の推進力とするマルクスの理論の極度に生物学的な性格については、今さら指摘するまでもない。・・・

 コントとマルクスによれば、19世紀の政治的混乱は、人間があくまで社会的存在であることを科学の法則として認識し、この法則によって社会を再組織すれば完全に克服される。・・・

 こうして生物学的政治理論は、人間を生物に還元することによって、文明人のディレンマそのものを抹殺する。生物としての人間には集団形成の本能があるとし、ゆえに政治的秩序の問題はア・プリオリに解決されていると主張するコントとマルクスの理論は、本質的に全体主義的な教説である。
 『歴史の学び方について』P.144 および P.147      


 これはごく薄い本であるから詳しい論証がされていないのはしかたないとしても、フランス啓蒙思想とその生理学的唯物論の流れをくむコントと、ドイツ観念論からフォイエルバッハの感覚的唯物論にいたる流れの延長にあるマルクスを同列に並べるとは、思想史の常識を無視したずいぶん無茶な話である。

 とりあえず、まず指摘すれば、マルクスが指摘した人間と自然の物質代謝とは、単純な生物的欲求のレベルの話ではない。たしかに人間はなにも食わなければ死んでしまうわけだから、生物としての欲求が根底にあることは 「今さら指摘するまでもない。」

 しかし、人間の欲求はたとえ食欲のような生理的欲求に根ざす場合であっても、極度の飢餓状態にでもない限り、単なる生物的欲求に還元されはしない。もし、人間が牛や馬のように、そのへんにある草などを取って食べるだけで満足できるのであれば、絢爛豪華な北京料理やフランス料理など生れているはずもない (食べたことないけど)。いや、そもそも、生産力の発達も文明の発展もありえないことだ。

 マルクスがいう生産力というものは、けっして自動的に発展していく魔法のようなものではない。その根底にあるのは、人間の人間としての欲求である。だから唯物史観の基底をなしているのは、単なる生物としての人間ではなく、人間としての人間、言い換えればすでに人間となっている人間なのだ。

 たとえば 『経哲草稿』 には、次のような文がある。

 人間的本質が対象的に展開された富をとおしてはじめて、主体的人間的な感性の富、音楽的な耳や形態の美に対する目や、ようするに人間的享受を可能とするもろもろの感覚、すなわち人間的な本質的諸力として確証されるもろもろの感覚が、はじめて発達し、はじめて産出されるのである。

 これが、どうして 「人間を生物に還元する生物学的決定論」 などということになるのだろう。関の 「マルクス批判」 は的外れどころか、まったくあさっての方を向いている。初期マルクスの草稿の存在が知られていなかった時代ならばともかく、今の時代にこんなレベルでは全然話にならない。

 そもそも、人間は社会的存在であるというマルクスの規定での 「社会」 とは、高崎山のサルの群れのような、個体が直接に結合した実体的集団のことではない。いささか面倒だが、『経哲草稿』 からもう一箇所引用したい。

 社会的活動と社会的享受はけっして、もっぱらただ、ある直接的に共同的な活動と直接に共同的な享受という形態でのみ存在しているわけではない。・・・

 けれども、私が科学的等々の活動をしているときでも、この活動は私がめったに他の人々との直接的共同においては遂行しえないものだが、それでも私は人間として活動しているがゆえに社会的である。

 私の活動の材料が私にとって社会的生産物として与えられている ―― 思想家の活動が行われる言語でさえそうであるように ―― ばかりでなく、私自身の現存在が社会的活動なのである。

 人はたとえ社会への参加をすべて拒んで自分の部屋や家の中に引きこもっていても、他人が制作したテレビ番組を見、CDを聞き、ゲームやネットにふけり、コンビにだとかで売っている食品に依存している限り、やはり 「社会的存在」 なのである。マルクスが言っているのはそういう意味である。

 であるから、このマルクスの規定は、個人を抹殺する集団主義や全体主義とはなんの関係もありゃしないのである。マルクスは人間は社会的存在だから、すべての活動を直接に共同化=集団化すべしなどとは一言も言っていないのだ (もっとも、そのようなお馬鹿を言っていた 「マルクス主義者」 がいたこと自体は否定しないが)。

 ところで、関の処女作である 『プラトンと資本主義』 にはこんな一節がある。

 それでも、経済の面から見るならば、この時代はギリシアにおける鉄器時代の始まりを告げた。オリエントから伝来した鉄器の技術は徐々に普及し、ギリシア人の日常生活を変えていった。

 青銅に比べて安価で頑丈かつ大量生産に適するこの新しい金属が生み出した最初の経済的効果は、農具の改良と普及であり、農業生産性の向上であった。

 この農業の発展はおそらく土地の開墾だけでなく、麦のような滋養に富む穀類の生産をも促した。強化された農業の地盤はやがて前八世紀以降のポリスの形成を可能にすることになる。                      
                                (同書 P.12) 

 執筆の順序がいくら逆とはいえ、マルクスを 「経済決定論」 だなどとさんざん批判しておいて、これはないだろう。これは、どう見てもマルクスの唯物史観のパクリではないか。






Last updated  2009.01.02 16:15:33
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私は   まろ0301 さん
 マルクスが、「私はマルクス主義者ではない」とどこかで言ったという事が記憶に残っているのですが、『資本論』をはじめとする主著さえもきちんと読まずに批判されるというのは、有名になってしまった人の宿命とはいえ、悲しい話です。
 せめて、「『マルクス』をダシにした私の妄想」という題名くらいにして欲しかったですね。

 ま、この本の存在価値と言えば、「このように歴史を学んではいけない」という反面教師の役割は十分に果たしてくれそうですが。
  (2007.06.22 18:43:28)

相手を知りもしないで批判   南都隆幸 さん
まろ0301さん
>『資本論』・・・さえもきちんと読まずに・・・悲しい話です。

同感です。僕はマルクスを知りませんが、他の文学者や思想家や宗教を、その主な書物を読みもしないで、たくさんの人が大手を振って批判します。それだけでなく、人のことを、その人の本当の生き様を見もしないで、みんなが平気で批判します。

しかも、相手は顔や著作などを公にして正々堂々と発言しているのに、批判する側は、藪に隠れて匿名で批判し、いざ自分が危なくなると、さっさと大衆の中の匿名性という居心地のよさの中に隠れます。

自分の身を削って命がけで本を書いたりしゃべったりしてくれた人のことを、自分では何もしないで安易に批判する人たちを僕は心の底から憎悪します。 (2007.06.22 19:48:49)

Re:相手を知りもしないで批判(06/16)   かつ7416 さん
まろさん、南都さん
この本は、マルクス批判を主にしているわけではわけではないんですけどね。
ただ、そのほかにも?と思うところはいろいろあります。 (2007.06.22 21:25:04)

関曠野   海上のアテネ さん
はじめまして!

関って、たしかソ連東欧崩壊以降に続出した転向組み知識人の一人ですよね。転向前の著作を読んだことありますよ(実は、それ以上の関係だったりして ^△^)。

件の「自然と人間との物質代謝」だって、マルクスはその「媒介、制御、管理」としての労働のこと、それも「最初の動物的、本能的諸形態」を脱した特殊人間的活動としての労働のことを言っていたんですから、「人間を生物に還元」なんていう誹謗は誤読にさえなっていませんね。労働は、動物一般が行う即自的物質代謝なんかとは全く質が違うと思います。

第二千年紀最大の巨人と評されるような人物に対しこの程度の中傷しか出来なくなってしまったなんて、ホント、転向って惨めなことですね(笑) (2010.07.22 14:33:35)

Re:関曠野 『歴史の学び方について』   ゴマ さん
マルクスが宣う「人間の本質」とは何ぞや? これは誰でも感覚的に知ってることだと思います。
人間という生物にだけ人間の本質があるわけです。この冗語に惑わされたわけですね。誰が? マルクスが。
人間だけが○○出来る! 「何故なら人間だけがヒト遺伝子を持ってるから。」と進化論的労働即実践説(これは私のネーミングです)は言う。いくらお馬鹿でも、共同とか集団性を直接的に…なんてことを大勢の赤の他人や匿名の人々を相手に提案するか。トートロジーを使って物質的根拠を公理にするの。因みに、こいつら遺伝子が何なのか知らないの。生きてはいないことを生命とする者=「物」が活動の主体になってくれればいいの。
「人間だけが生存競争を倫理的に超克出来る! 生存こそ公共の善でる!」 逆説的だがタナトス崇拝に行き着く論理構造は共産主義の本性、正体を表現している。共産主義にとって人間の本質を最大限に表現することは、哲学の完成者・屁ーゲル顔負けの純化された「精神性」に近付くことである。
それはさておき、『プラトンと資本主義』のP.388~P.391を読んでみて。ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、エンゲルスの名が登場します。 (2012.05.20 23:14:38)


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