遠方からの手紙

2007/11/14(水)23:51

ああ、神様、仏様、稲尾様

福岡(4)

 伝説の名投手、稲尾和久が昨日死去した。報道によれば、先月末急に体調を崩して入院したばかりのことだったそうだ。享年70歳、中国の故事では古来希なりとはいうものの、現代ではまだまだ早い死である。川上も金田も、まだまだ元気であるというのに残念なことだ。  もっとも、記憶の中にある投手としての稲尾は、中西が選手兼監督を務めていた時代の最晩年の姿であるから、それほどの印象があるわけではない。西鉄自体が、やがて親会社の経営不振と「黒い霧」事件による有力選手の追放によって、弱小球団に転落し下位にあえいでいた頃の記憶しかない。  やがて、西鉄ライオンズは 「太平洋クラブライオンズ」、「クラウンライターライオンズ」 と日替わりメニューのように名称をかえ、最後には堤義明が率いる西武グループに買収され、埼玉の所沢に移転して今の西武ライオンズが誕生することになる。その堤義明も、いまやただの人になってしまったのだから、人生とは皮肉なものだ。  「神様、仏様、稲尾様」 という言葉を生んだ1958年の日本シリーズでの3連敗という瀬戸際からの4連投は有名な話だが、とにかく30勝以上が4回、うち1回は前人未到の42勝、入団からわずか7年目で200勝を達成したというのだからすごいものだ。むろん、当時の野球と今の野球をそのまま比較することはできないが、途中で肩を壊すことさえなければ、間違いなく300勝は軽く越していただろう。  ニュースでは、稲尾が先頭に立った運動のおかげで 「名誉回復」 が実現した元西鉄のエース、池永正明の泣く姿が印象的だった。とにかく、地元では皆に愛された人である。もし、九州がいま独立するとすれば、間違いなく初代大統領に選ばれていただろう。そのくらいに、惜しい人であった。

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