遠方からの手紙

2007/12/18(火)03:46

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陰謀論批判(11)

 そもそも、どうにでも解釈できる、あやふやな 「事実」から一足飛びに 「結論」 を導き出すという点では、このような 「陰謀論」 は、同じようにあやふやで雑多な 「事実」 をかき集めて「超古代文明」 とやらの存在を主張する、かのグラハム・ハンコックの 「トンデモ歴史学」 とよく似ている。 あやふやな 「事実」をいくら集めたところで、そこから浮かび上がってくると主張される 「結論」 など、しょせん 「砂上の楼閣」にすぎない。あやふやな事実でも、大量に集めれば互いに補強しあうことで 「真実味」が増すかのように思わせるのは、本人たちも自覚していないのだろうが、ただの論理的詐術である。ハンコックの本などは、ただの面白いお話にすぎないから、別に害はないだろうが、「陰謀論」 はそうではない。  さらに言うならば、このような論法は、物証も証言もなしに、あやふやな 「状況証拠」 とやらで 「犯人」 を名指しして、「冤罪」 を作り出す論理とも同じである。 本文より長い追記: どうやら、ツインタワーの近くに建っていたビルの崩壊を、レポーターが中継で実際より20分ほど早く伝えたということが、「陰謀」 の証拠なのらしい。なんで、そんなことがおきたのかというと、それは、そのレポーターは事前にそうなることを知っていたのか、事前にそう言うようにどこかから指示されていたからなのだそうだ。 こんな馬鹿を言いふらしている人たちは、自分があの現場に居合わせたら、どんな気持ちになるかすら想像できないらしい。あのような前代未聞の大混乱の 「現場」 の中で、事前に手渡された 「でっち上げメモ」 だとかを伝えることができるような、なんの感情も持たない冷徹・非情な人間が、実際にこの世に存在するとでも思っているのだろうか。 現場にいたレポーターが、興奮のあまり、ビルの名前を間違えたとか、言いまわしを間違えたなどと考えるのが、常識というものだろう。それとも、レポーターというものは、どんな場合にも、言い間違いなどせずに、冷静かつ客観的に 「事実」 を伝えうると信じているのだろうか。あほらしくて、つきあいきれない。 こんな馬鹿話を簡単に信じ込むことができる人間は、結局は、どんな馬鹿げた話だって信じ込むようになる。「アポロ陰謀論」 だろうと 「9.11陰謀論」 だろうと、あるいは 「ユダヤ陰謀論」 だろうと 「バチカン陰謀論」 だろうと、そこに違いなどありはしない。ホロコーストに道を開いた 「ユダヤ陰謀論」 者らだって、自分たちは、世界を裏で支配している 「巨大な悪」 と戦っている 「正義の人」 のつもりでいたのだ。 世の中の 「悪いこと」 は、すべて 「悪い人」 らのせいで起きているのだと信じていいのは、「ヒーロー物」 の主人公に憧れる小学生までである。いい年をして、そんなことを信じられるのは、よほどの世間知らずか、いつまでたっても大人になりきれないただの未熟者だ。  「9.11陰謀論」 と 「ユダヤ陰謀論」 とは別の話だなどという言い訳は通用しない。根っことなる発想が同じなのであり、彼らだって、自分たちは確かな 「証拠」 を握っていると信じこんでいたのだから。現に、すでにあちこちで結びつき始めているではないか。 「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」 という川柳もあるが、「陰謀論」 に取り付かれた人にとっては、そのような些細な 「言い間違い」 や、単なる偶然の一致なども、すべて 「陰謀」 の証拠になるのだろう。なにごとも、いったん迷路に入り込んだら、すべてがその結論にあうように、解釈されてしまうものである。 こういう 「妄想」 の当否は、饅頭の味のように食べてみればすぐ分かる、というものではないだけに、まったく始末におえない。理屈などというものは、いくらでもつけられるものだ。なにしろ、人間の頭というのは、そういうふうにできているのだから。  歴史を振り返れば、かのスターリン大元帥も、あちらこちらに 「陰謀」 の影を見つける大名人であった。その結果、多数の罪もないかつての同志や一般の市民が処刑され、あるいは、シベリアに送られることになった。ありもしない 「陰謀」 のにおいを、どこにでもかぎつける心性というのは、そういうものなのだ。  そういう心性の本質とくだらなさ、危険性は、いま現に 「権力」 を握っているのか、それとも 「権力」 や 「体制」 に対して、「批判的立場」 なるものをとっているつもりなのか、なんてことには、まったく関係ない。  くだらぬ 「陰謀論」 などに、すぐにかぶれるような人間が、いったん権力を握ったらなにをやるか。それこそ、スターリンがいい手本である。 むろん、そんな心配は無用ではあろうが、まったくもって、歴史の教訓ぐらいは、ちゃんと学ぶべきだろう。 ヒトラーが合法的に権力を握ることができたのも、荒唐無稽な 「ユダヤ陰謀論」 などにいかれた、多数の 「善良」 で 「素朴」 な、自分は正しいと信じこんでいた市民のおかげなのである。 「地獄への道は善意で敷き詰められている」 という有名な言葉は、こういうときのためにある。マルクスが言ったように、「無知がものの役に立ったためしなどない!」 のだから。   追記の追記:「陰謀論」 の話はこれでおしまいにします。 まあ、言いたいことはほぼ全部言ってすっきりしたので。 それにしても 「無知の知」 という名言を残したソクラテスの時代から、 人間というものはちっとも変わっていないのだなと思う、今日この頃であります。 人間の本質なんていつの時代も一緒だよ、と言ってしまえば、それまでのことですが。

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