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カテゴリ:社会

 久しぶりに、まったく仕事がない完全な休日なのであるが、どうにも腹の虫が治まらない。それというのも、よせばいいのにまたまた下らぬものを見てしまったせいである。

 例の花岡なる男、事件から 「教訓」 を引き出すのが自分の意図だと、殊勝なことを言っている。言うまでもなく、なにかの事件や事故が起きたときに、そこから教訓を学び取ることは大事なことだ。とりわけ、新しいシステムや画期的な新製品といったものは、設計の段階ですべてを検討し予測しておくことは不可能であり、事故によって、思わぬ欠陥や脆弱性が見つかったなら、それを修正し、「教訓」 とすることは当然のことである。

 だが、だれかの故意によって起きる事件というものは、たんなる過失や怠慢、思いがけない偶発的事象などによって起こる事故とは違う。そこには、なんらかの犯意を持った人間が間違いなくいるのだ。用心が不要だとは言わないが、その違いを無視して、被害者の行動をあげつらい、被害者が 「もしも~~していなかったら」 と論じ、それをよりによって今の時期に 「教訓」 と称して公にすることに、はたしてどれだけの意味があるのだろうか。

 たしかに、どんな事件や事故の被害者でも、その人がそのときそこにいさえしなければ、事件や事故に巻き込まれることはなかっただろう。だが、そのような 「仮説」 を持ち出したところで、現実に起きてしまった事件や事故が、消えてなくなるわけではない。この男が言っていることは、しょせん下手な奇術師もどきの、怪しげなレトリックではないか。

 そもそも、個別の事件というものは、そのような事件が発生しうるということ、つまり、そのような根拠と条件が存在しているということを示す例証にすぎない。問題なのは、そのような個々の事件の特殊な事情ではなく、そのような事件が発生しうる条件が現に存在しているということだ。そして、そのような条件が存在している限り、多少の違いはあっても、いつかまた同じような事件が起きるだろう。

 だいたい、どんな事件や事故でも、それに直接巻き込まれた者、また、それによって大切な人が傷つけられたり奪われたりした人たちは、みな、あのとき、ああしていなければとか、このとき、こうしておけばなどと思い悩み、苦しみ続けるものではないか。

 そこへ、まったくの赤の他人がしゃしゃり出て、したり顔できいたふうの説教することは、人の傷口にさらに塩をすり込むことでしかあるまい。どうやら、この男はいい歳をしていて、そんな 「常識」 すらも持ち合わせていないようだ。それは、還暦も過ぎた大人としては、ずいぶん恥ずかしいことではあるまいか。

 たしかに、事件を 「政治的」 に利用するのはいいことではない。そんなことは分かりきっている。だが、そのような非難をまるで 「反基地勢力」 を牽制でもするかのように、事件の翌日に早々と公表するというのも、政治的な思惑に基づいた、立派な 「政治的行為」 ではないのか。「政治的利用」 がよくないと言うのであれば、「政治的」 に利用しないやり方というものを、自分で提示してはどうなのだ。そのような具体的な方法を何一つ示すわけでもなく、問題を道学者ぶったただの 「しつけ」 の話に解消して 「教訓」 と称するとは、まったくもって開いた口が塞がらない。

 そもそも、被害者の 「軽率」 な行動が 「日米関係を揺るがせ、「反米・反基地」勢力を勢いづかせてしまった」 などといっている時点で、この男の関心が、最初から 「日米関係」 の安定という 「政治問題」 にしかなかったことは明らかだ。それは、事件を 「政治的」 に利用することといったいどこが違うのだ。彼の関心は、最初から 「日米関係」 という彼にとっての至上価値が揺るがないようにすることであり、そのために、被害者の 「落ち度」 をほじくりだして、事件そのものをなるだけ矮小化し、できるならば、なかったかのようにすることではなかったのか。

 この男、告訴が取り下げられ容疑者が不起訴となったことで、ずいぶんとはしゃいでいるようだ。だが、そのこと自体、彼の 「批判」 が、最初からたんに自己の気に入らぬ勢力を叩くと同時に、問題の所在を隠蔽することのみを目的とした、「政治的」 なためにする批判でしかないということを自ら暴露しているにすぎまい。「こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。」 などと善人ぶったところで、衣の下からよろいが覗いているようなものではないか。

  「反基地勢力」 が叫ぶ 「いかがわしさ」 (続)とは、よくもまあ言えたものである。「反米・反基地団体」や地元の首長、議会などは、事件を奇貨として、日米政府を責め立てた。などと、彼らがあたかも事件が起きることを待ち望んでいたかのように書き付けることが、すでにこの男の 「政治的」 ないかがわしさを証明している。いやしくも 「報道人」 の自覚があるのならば、そんなことよりも、雑誌の売り上げ増加をたくらんだ興味本位の記事で、事件を 「商業的」 に利用した、一部週刊誌の編集部や記者ら、同業者の 「いかがわしさ」 のほうを問題にしてはどうだろうか。

 「気分を害された方に・・・ご容赦のほど」 という新しい記事のタイトルを見て、少しぐらいは反省したのかとおもいきや、なんのことはない、自分の記事に批判的なコメントやトラックバックが集中したことを、「愛読者」 にお詫びするという内容だった。おやおやである。批判を真面目に受け止められず、「悪口雑言」 だの 「誹謗中傷」 だのと決め付けて耳をふさぐことしかできないのなら、「ジャーナリスト」 の看板などおろしたほうがよい。結局、この方、ごく一部のお仲間の方にしか、顔が向いてないのだろう。


その他参考資料: アジア女性資料センター

『週刊新潮』記事に抗議の申し入れを行いました

 新潮社より回答がありました







Last updated  2008.03.08 20:33:41
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