遠方からの手紙

2008/08/01(金)13:14

がんばれ中公文庫 負けるな中公文庫

明治維新・アジア主義(6)

 あづいー。頭上からは刃のような日差しが照りつけ、大気中には眩しい光の粒子が散乱し、下を向けばコンクリートとアスファルトからの放射熱がじんわりと頬をやく。  夏はまさに光と影というマニ教的二元論の世界であり、街を行く人はみな、故なき罪で罰せられている罪人のように、蒼ざめた顔でうつむきながら歩いている。  今日は仕事がなかったので、積読解消のために、まず中公文庫から出ている石原莞爾の 『最終戦争論』 を手に取った。奥付には1993年発行とあるが、ずっとただ書棚に飾っておいただけなので、表紙も中の紙も新本同様にぴかぴかである。  石原といえば、関東軍の参謀として満州事変を起こした首謀者であり、したがっていわゆる15年戦争と、出先機関の独走という旧軍内部の下克上に道を開いたという意味では、昭和の戦争の責任者の一人と言うべきだが、東条との対立によって日米開戦前に現役を退かされたことが幸いして、極東裁判での戦犯指名からは免れたという。  世界統一のための東亜と米州による 「最終戦争」 を30年後(それは、くしくも米ソ冷戦が激しかった1960-70年代に当たっている)と想定し、それに向けた国力の増強と軍備の近代化を当面の目標としていた石原にとって、日中戦争の泥沼化は彼の理想である東亜協和の障害であり、また東条による時期尚早な日米開戦は、彼の苦労のすべてを画餅に帰す愚挙に他ならなかった。 しかし、言うまでもなく、彼の描いた天皇の下での 「五族協和」 という理念自体が、そもそもただの絵に画いた餅にすぎない。それは、いわば世間知らずの軍人が描いた、あまりにも現実性を欠いた、理想という名にも値しないただの空論でしかない。 また、強力な兵器の登場が戦争に対する抑止力となるという理屈には一定の現実性はあるものの、「一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力」 の破壊兵器や、「無着陸で世界をぐるぐる周れるような飛行機」 を備えた二大勢力による、徹底的な 「最終戦争」 ののちに現れる世界とは、マッドマックスやケンシロウの世界以外のなんであろうか。  Wikipediaによると、戦後の彼は、「日本は日本国憲法第9条を武器として身に寸鉄を帯びず、米ソ間の争いを阻止し、最終戦争なしに世界が一つとなるべきだと主張した」 とのことだ。それは、たしかに広島と長崎の惨状を目撃したことによる、「最終戦争論」 への反省と受け取ることも不可能ではあるまい。しかし、同時にそれは、相も変らぬ 「日本民族」 の世界的使命なる、夜郎自大な意識の現われと見ることも可能だろう。  『最終戦争論』 の中で、彼は 「正法」、「像法」、「末法」 という仏典の言葉を引き、はては日蓮が生まれた時代は、「像法」 の世だったのか、それとも 「末法」 の世だったのかなどと大真面目に論じながら、彼の言う 「最終戦争」 の時期について議論している。こういった箇所については、正直に言って苦笑を禁じえない。  石原にはさまざまな逸話があり、彼が優秀な頭脳と権威に屈せぬ豪胆さを持った、人格的にも魅力ある人であったことは確かだろう。しかし、こういった箇所は、きわめて優秀な頭脳と個性の持ち主が、ある場合には、きわめて蒙昧な思想やイデオロギーとも十分に共存できることを示している。  それはむろん、なによりも尊皇精神の育成に重点が置かれていた、かつての軍人教育の成果であり結果ではあるだろう。しかし、人が 「蒙昧」 に転じる道はどこにでもあり、彼のように自らを恃む者であってすら、そのような蒙昧に転落する怖れはあるのだ。世の中には、「知的選民階級」 などという言葉で、誰かを嘲笑しているつもりの人もいるようだが、そんな呑気なことを言っている場合ではないだろう。 なお、中公文庫には、そのほかにも田中隆吉の 『日本軍閥暗闘史』 や大川周明の 『復興亜細亜の諸問題』、『高橋是清自伝』、石光真清の 『城下の人』、荒畑寒村の 『平民社時代』、『大杉栄自叙伝』、杉山茂丸の 『児玉大将伝』 など、近代史の勉強にはたいへん役立つ歴史的資料がそろっている。 こういった資料の文庫化は、とうてい利益の上がるものとは思えないが、講談社文庫や角川文庫などのように、利潤追求のみを至上命題としている出版社が多い中、まことに頼もしい限りである。中央公論社は、もともと明治に京都・西本願寺の有志らによって設立されたそうだが、9年前の経営危機によって新社が設立され、現在は読売新聞の子会社となっている。 若者の活字離れが叫ばれる中、出版界をめぐる状況は相変わらずたいへんのようだが、今後とも中公文庫の健闘を陰ながら応援する所存である。 参考サイト:石原莞爾平和思想研究会 

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