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カテゴリ:文学その他

 先日、加藤周一の死去が報道された。最近の氏の活動や言論についてはあまり知らないのだが、この世代でまだ存命なのは鶴見俊輔と大西巨人、やや下って吉本隆明やいいだももぐらいということになるだろうか。

 加藤の名前を知ったのはたぶん高校の頃で、筑摩書房から出ていた、「マチネ・ポエティック」 以来の盟友であった中村真一郎・福永武彦と一緒にあわせた黄色い表紙の叢書の一巻だったと思う。その中に、加藤の作品としては、たしか戦後すぐに三人で発表した 『1946・文学的考察』 や、一休禅師らを題材にした 「三題噺」 が納められていたような記憶がある。

 『1946・文学的考察』 の最初に置かれている加藤の 「新しき星菫派について」 は、こんなふうに始まる。

 戦争の世代は、星菫派である。詳しく言えば、1930年代、満州事変以後に、さらに詳しく言えば、南京陥落の旗行列と人民戦線大検挙とによって戦争の影響があらゆる方面に決定的となったのちに、二十歳に達した知識階級は、その情操を星菫派と呼ぶに相応しい精神と教養との特徴をそなえている。

 加藤の言葉を借りれば、この星菫派とは 「かなりの本を読み、相当洗練された感覚と論理を持ちながら、およそ重大な歴史的社会的現象に対し新聞記事を繰り返す以外一片の批判もなし得ない青年」 たちなのだそうだ。

 政党政治が崩壊して軍国主義が跋扈し、左翼だけでなく自由主義的な学問や運動までが徹底的に弾圧される中で、奇妙にも 「文芸復興」 と称される一種平穏な時代が訪れ、ヘッセやリルケ、カロッサが読まれ、また保田與重郎を中心とした 「日本浪漫派」 や西田哲学の流れをくむ京都学派などが 「近代の超克」 というテーマを掲げた、そういう時代である。

 自伝である 『羊の歌』 のなかに、一高生だった加藤らが作家の横光利一を講演に呼び、その後の座談会でつるし上げたという話がある。当時、横光は 「西洋の物質文明と東洋の精神文明」 の相克をテーマにしたという長編 『旅愁』 を書き上げた直後だった。

 『羊の歌』 には、このときの横光の言葉がこんなふうに書かれている。

 「物質文明というのはだね……近代の物質偏重のことを、ぼくはいっているのだ。日本もこの 《近代の毒》 におかされてきたのです。だからこの厳しい時代を生き抜くために、われわれ文学者が召されているとぼくは思っている。その毒から日本を清める。これが 《みそぎ》 ということのほんとうの意味ですよ、《みそぎ》 の精神は、民族の心だ。今のこの時代ほど、偉大な時代はない。今こそわれわれは日本文学の伝統に還る……」

 横光利一は、もともと西洋文学の影響を強く受けた翻訳調の新しい文体や表現、心理描写を特徴とした斬新な作品で登場した人である。その横光が、時代の圧力もあったとはいえ、このようなほとんど 「蒙昧」 といっていい状態にまで退化していたのは、悲惨としか言いようがない。

 若い頃に欧米に憧れていた者が、年を経るに従い、日本の伝統なるものに回帰していくのは別に珍しいことではない。それは、明治の徳富蘇峰以来の伝統のようなものだ。むろん、日本の伝統がすべて無意味であり劣っているわけではない。だが、彼らが過剰に 「民族」 や 「伝統」 に回帰していくのは、もともと抱えていた西欧への劣等感の裏返しでしかないだろう。奇怪なのは、西欧を否定する 「近代の超克」 といった概念そのものが、ハイデガーだのシェストフだのといった西欧の思想家からの借り物でしかないということだ。

 「雑種文化」 という言葉を一躍有名にした(たぶん)「日本文化の雑種性」 の中で、フランス留学から帰国した加藤はこんなことを書いている。

 日本の文化は根本から雑種である、という事実を直視して、それを踏まえることを避け、観念的にそれを純粋化しようとする運動は、近代主義にせよ国家主義にせよいずれ枝葉の刈り込み作業以上のものではない。いずれにしてもその動機は純粋種に対する劣等感であり、およそ何事に付けても劣等感から出発して本当の問題を捉えることはできないのである。本当の問題は、文化の雑種性そのものに積極的な意味を認め、それをそのまま生かしてゆくときにどういう可能性があるかということであろう。

 また、同じ 『雑種文化』 に所収された 「雑種的日本文化の希望」 には、こんな一節もある。

 西洋伝来のイデオロギーは、長い間、多くの日本人から、ものを考える習慣と能力を奪ってきた。海外の新思潮は相継いで輸入され、流行し、忘れられ、あとになんらの影響も残さなかったばかりでなく、右往左往する人々にあたかもそこに思想問題があるかのような錯覚を与えた。

 加藤がこれを書いたのは、サルトルの実存主義が盛んに喧伝されていた時代だが、サルトルが終わればフーコー、実存主義が終われば構造主義、そしてその次は××主義だとか、××イズム、ポスト××イズムだというように、最新の流行思想が次々と紹介され、もてはやされるといった状況は、たぶんそんなに変わっていない。

 西洋伝来の概念と論理で、近代と西欧を否定するという曲芸を披露している者らも同様である。たとえば、西尾幹二のような男がやっていることは、ドイツ・ロマン派とニーチェから借りてきた言葉と論理で西洋を否定し、「日本」 なるものを称揚してみせているにすぎまい。もっとも、西尾の著書など、それほど読んでいるわけではないので、これはただのヤマ勘だが。

 われわれは、今や、安全な哲学が哲学でないことを知っている。危険思想でない思想は御用学者の妄想のうちにしか存在せず、論理を操縦して矛盾を総合し、東亜共栄と日本の神国説、または民主主義と絶対王政のごとき絶対矛盾を同時に肯定する精神的サーカスは、断じて思想ではないことを知っている。

 「方法序説」 の著者が言ったように、危険な 「人生を確実に歩むために真を偽から区別する」 ことを教えるのが哲学である、「ドイッチェ・イデオロギー」 の著者が言ったように、「解釈するのではなく、改造する」 ことを目的とするものが思想であることを知っている。

加藤周一 「新しき星菫派について」 より    






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Last updated  2008.12.10 05:32:38
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