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カテゴリ:歴史その他
阿弥陀様と弥勒様がどう違うかというと、まずは阿弥陀様は如来であり、弥勒様は菩薩であるということになる。如来とはすでに悟りを開いた仏のことであり、お釈迦様のほかにも、大日如来や薬師如来などがいる。ようするに、数ある仏様の中でも最高に偉い仏様のことである。 そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく。「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。
たしかに、56億7000万年は待つにはちと長すぎる。とはいえ、それ以降も、弥勒信仰は民間宗教化しながら、いろいろな形で生きながらえ、ときには 「世直し一揆」 などにも影響を与えたりもしたという。実際に、中国では、弥勒を信仰した白蓮教徒による大規模な反乱も、元の末期や清の時代などに起きている。 ただし、いずれも、いわゆる 「大乗仏教」 に属する経典にでてくる話であり、実際にシャカが説いた教えとは直接の関係はない。阿弥陀様も弥勒様も、広大無限なる 「慈悲」 によって、悩み苦しむ現世の大衆を救済するという点ではよく似ており、どちらについても、イランで生まれたゾロアスター教やミトラ教などの、「一神教」 的性格の強い 「救済宗教」 の影響が指摘されている。 いつの時代でも、貧病苦などの現実の苦しみから逃れられない人間が求める 「救済」 とは、なによりもこの世における 「救済」 なのであって、ただの 「魂の平安」 やわけの分からぬ 「来世の救済」 などではない。ユダヤの神ヤーヴェがノアに約束したのは、地上を彼の子孫で満たすことだし、アブラハムに約束したのは、カナンという 「乳と蜜の流れる約束の地」 であって、いずれも 「来世」 や 「天上」 における救済などという空手形ではない。 たしかに、その救いは天上の神によってもたらされるものだが、それがもたらされるのは、つねに 「現世」 であるこの 「地上」 においてであって、どこにあるやともしれぬ 「来世」 や 「天上」 においてではない。 むろん、それは原始キリスト教でも同じであり、「ヨハネ黙示録」 に描かれた 「世界の終末」 とは、地上の帝国たるローマが滅びて、彼らの待ち望む 「神の国」 がまもなく現実のものとなることへの期待を託したものである。そのような、遠くない未来への期待があったればこそ、彼らは様々な弾圧を耐え忍ぶこともできたのだろう。 洋の東西を問わず、宗教的な 「終末論」 に含まれた 「現世否定」 とは、いまこの地上に存在する現実に対する徹底的な否定のことであり、それは 「天上」 における救済と同じではない。たしかに、しばしばそこには不老不死などのような、現実離れした空想が含まれることもあるが、それもまた始皇帝らがとりつかれたような、昔からある世俗的な人間の夢のひとつにすぎない。 「ユートピア」 とは、いうまでもなくトマス・モアの同名の著書に発する、「どこにもない場所」 という意味の造語である。しかし、歴史においてしばしば 「ユートピア」 思想が大きな影響力を持ったのは、それが、たんなる暇人の空想ではなく、そのような今はまだ 「どこにもない場所」 がすぐそこに迫っていると夢想され、あるいは、ときには神の意思など待たずに、自らの力で 「今・ここ」 において現実化させようという強烈な希求力を人々に与えたからでもある。 モアの 『ユートピア』 と並ぶユートピアの書である 『太陽の都』 を書いたイタリアの人カンパネッラは、地動説を説いて破門されかけたガリレオや、宇宙の無限を説いて焼き殺されたブルーノと同時代の人だが、70年の生涯のうち半分に近い30年近くを獄中で過ごしたという。それは、かの 「陰謀の人」 ブランキに優るとも劣らぬ大記録である。 彼もまた、そのような 「ユートピア」 がすぐそこに迫っており、現実化が可能だと考えたからこそ、激しい拷問と長い幽閉に耐え、ときには狂人のふりをするといった手練手管をも使いながら、ソクラテスのように従容として死を受け入れるのではなく、恥も外聞も気にせずに、ただひたすら生き延びるということを優先させたのだろう。 最後は、またまた出だしとはえらくかけ離れた話になってしまったが、タイトルはそのままにしておく。そうそう、草なぎ君の例の 「事件」 については、何人かが非難めいたことを言っていたが、そのほとんどは 「お前が言うなー」 という類のものであった。鳩山大臣もテリー伊藤も、いったいどの口で言うとしか言いようがない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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とにかく池田信夫氏は、いまだにアメリカ的な市場にかける「希望」=欲望をガンコに信じている人ですね。資本主義では最新の金融工学(手の込んだバクチ)が招いた世界不況を目の当たりにしても、熱心な新自由主義者のプロパガンダでしかなかった自分の立ち位置に本質的な気づきができない人物です。はるか以前に村上龍が文学的な直感にもとづいて書いたみたく、「今の日本が不幸なのは、・・・希望が失われていることだ」なんて述べてるようじゃ、学者としての役割は基本的に終わっちゃってるんだなって印象。いまはまだそれほど注目されてる人でもなさそうですが、そのうち誰かが総まとめの形で「池田信夫批判」をやってくれるんじゃないですか。こんな経済状況ですから、予想できなくもないです。ちょっと酷いところも目につきますし。
かつさん含め、いろいろ思想的な人々にふれてきましたが、あの方の思考はとてもペライんだなって思うこのごろですね。 (2009.04.28 01:53:22)
>宗教的な 「終末論」 に含まれた 「現世否定」 とは、いまこの地上に存在する現実に対する徹底的な否定
今晩はかつさん。そうですね。今アレントの『全体主義の起源』をじっくり読んでますけど、起きてしまった大虐殺を如何に今後防ぐか、そのための徹底した歴史・思想の検証があって、大変面白いです。主に19-20世紀前半のユダヤ人問題を扱っているとは言え、今日のぼくらの色んなテイタラクをビシビシ鞭打たれているようで、ああ、カイカンなんて。ちとマゾめいてみたりします。 現世否定とは、起きたことを許さぬ、この世を変革したいので、徹底して分析し総合しようという熱意、或いは執念のいいでしょうね。 (2009.04.28 18:56:16)
わどさん
池田信夫という人は経済が専門なのですかね。こちらは経済は守備範囲じゃないので、そっちの方面はよく分かりません。しかし、「希望」がどうのこうのという一連の記事では、結局パイの拡大という古臭い話ばかり、そのうえ右肩上がりの成長が困難だということをもって、「希望を捨てる勇気」が大切などと言い出すにいたっては、彼にとって「希望」とはまさにそのようなものでしかないということを表してますね。 いろんなことに口を出し、いろんな人に喧嘩売ってるようですが、なんかピントがずれていて、我田引水的で独善的な物言いが目立ちますね。本文でリンクした記事ではウェーバーを引き合いに出してますが、これも明らかにおかしいです。ウェーバーともあろう人がユダヤ教についてそんなことを言うはずありません。どうも、自分を過大に見せようという、知ったかぶり的で山師的なところの強い人という感じがします。 (2009.04.28 19:52:33)
三介さん
アレントの「全体主義の起源」は、以前図書館から借りたのですが、冒頭のあたりしか読めませんでした。全三巻の大著となると、なかなか読み通すだけの時間が持てません。 アレントは西欧マルクス主義の流れと、ハイデガーら実存哲学との交差点に位置するのでしょうか。ナチによるユダヤ人虐殺や、戦後のシオニズムとの関連でも重要な人ですね。 (2009.04.28 20:22:33)
池田信夫氏について書き込みしようと思ったのですが、わどさんとかつさんによってすべて書かれていますのでやめます。
よくもここまで自分の知らないことについてハッタリをかますもんだと思いますね。 (2009.04.30 20:39:39)
まろ0301さん
この人については、以前にもちょっと呆れたことがあります。 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200701210001 「アポロは月へ行ってない」で有名な副島隆彦も同世代の人ですが、どちらもハッタリ好きなうえに、「弟子」に囲まれ、担ぎ上げられるのが好きな人のようですね。 (2009.05.01 00:43:49) |