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カテゴリ:社会

 6月は雨が少なくて、このままではどうなるかと思っていたら、7月に入ってからようやく雨が降り出した。やや季節遅れの梅雨というところだろうか。われわれの住む猥雑なる下界は、空一面に低く広がった落し蓋のような厚い雲で閉じ込められ、自ら放出した熱で自家中毒を起こしている。

 雨の合間に外に出てみると、こないだまで輸入家具を扱っていた近くの倉庫のような建物が、いつのまにか、数年前に 「元気があっていい」 発言でいちやく全国に名をとどろかせた某議員の事務所に様変わりをしていた。きたるべき選挙に備えてということなのだろうが、アップになどしなくても十分にでかい顔だというのに、さらにその下に麻生首相の顔まで並べているのだから、暑苦しくてたまらない。9月に個人演説会を予定しているということだが、それはちょっとのんきすぎやしないかなと思ってしまった。

 自民党内の内紛は、いよいよ末期的な様相を呈している。このままでは総選挙は戦えないとかで、一部からは総裁選前倒しという声も出ているようだが、その連中はようするに自分の首が心配なだけだろう。そもそも、小泉チルドレンなどと呼ばれる、前回の選挙で大量に当選した新人議員など、ほとんどが自分の力ではなく、小泉元首相の人気のおかげで当選したにすぎないのだから、一期だけでも議員を務められたことを天に感謝すべきである。

 次も当選したけりゃ、人に頼らず自分の力で正々堂々と戦えばよろしかろう。この連中は、いったいなんのために、4年も議員を務めてきたのだろう。4年の間に自分がやってきたことに自信があるのなら、選挙も間近な今頃になって右往左往するのはあまりに恥ずかしいことだろう。首相ってのは、日本国の政治全体に責任を負っているのであって、君らの選挙のためにだけ存在しているわけではない。

 しかし、そういう声を抑えなければならないはずの内閣官房長官まで、「表紙をかえても」 とか言い出す始末。おいおい、天下の首相をただの本の表紙扱いとは、さすがに失礼ではあるまいか。麻生おろしについて記者団に尋ねられた野田聖子消費者相は、「麻生さん以上に総裁にふさわしい人がいますか」 と答えていたが、まことにそのとおりである。

 野田消費者相が反問したとおり、今の自民党には、もはや麻生さん以上に総裁にふさわしい人間がいないのであり、それこそがまさに今の自民党がかかえる最大の悩みなのだ。思わず、この人、にこやかな顔をして、なかなかこわいことを言う人だなと感心した。「笑って人を斬る」 とは、まさにこういう言葉のことをいう。

 さて、話は変わるが、人はだれでも自分の立場を持ち、自分の考えというものを持っている。「知識社会学」の祖であるマンハイムは、「インテリゲンチャ」 というものを、「社会のために世界の解釈を準備することを専門の仕事している社会集団」 と規定し、近代においては 「従来の完全に組織化された閉鎖的な知識人階層にかわって、自由なインテリゲンチャが台頭してきている」 と述べている。

 彼によれば、この 「自由なインテリゲンチャ」 は、社会において比較的階級色がうすく、「社会的に浮動する」 階層であるがゆえに、政治という舞台においてあい争う、階級的利害によって拘束された政治党派のもつイデオロギー的で部分的な 「党派的見方」 をこえた、社会に対する全体的総合という見方を可能にするのだそうだ。

 しかし、そうはいっても、どんなに偉大な知識人であろうと、個人としてみるなら、みなそれぞれに固有の歴史と背景をもち、その中で意識的無意識的に形成された、固有の立場と固有の主義主張というものを持っている。だから、「党派的見方」 からまったく自由ということはありえない。客観的な証明が可能な科学ならざる人間の思想とは、ようするに選択された一定の立場のことであり、それはその良し悪しは別として、「偏向」 や 「バイアス」 ということと同義なのである。

 たとえば、なにかの問題をめぐってどこかで論争がおきたりすると、人はだいたいにおいて、その相対立する二つの主張のうち、自分が共感するほうの意見を実際以上に自分にひきつけて読み、その逆に、違和の残る、なんとなく共感できない意見に対しては、自己がもつ日頃の 「敵意」 や 「反感」 を投影して、実際以上に敵対的なものとして読んでしまいがちなものである。

 ネット上で公開で行われる議論というものは、基本的にだれでも参加できる 「バリアフリー」 なものであるから、そのような無用な 「対立」 が持ち込まれ、話がややこしくなってしまうのはどうしても避けられない。結局のところ、お互いとも、妙な 「押しかけ応援団」 などは無視して、対立しているかに見えるさまざまな意見の中から、ただの石ころと、そうではないダイヤとをふるいわけるという努力が必要なのではないだろうか。

 社会的 「弱者」 や 「少数者」 などの他者支援運動というのは、「当事者」 である他者の総体をまるごと支援するものであって、自分の好みでもってふるいわけてはならない。しかし、人はどうしても、自分につごうのいい 「当事者」 の声のほうに耳を傾けがちなものであり、しかもそれを実際以上に自分に引き付けて読んでしまう。

 だが、「当事者」 といっても、けっして一枚岩ではないのだから、そういうときは自分にとって違和の残る 「当事者」 の声にこそ、注意して耳を傾けるべきだろう。まかりまちがっても、頭の中で自分が作り上げた 「期待される当事者」 像に基づいて、「当事者」 を勝手に選別するようなことはしてはならない。

 それまでの 「反ファシズム」 運動から180度転換した、スターリンとヒトラーによる独ソ不可侵条約締結の報を受けて、「欧州情勢は複雑怪奇なり」 という名文句を吐いたのは、平沼赳夫の血縁上の祖父にあたる平沼騏一郎だが、現実というものはいつだって 「複雑怪奇」 なものである。なかなか両立しがたい矛盾や対立などは、いくらでもある。頭の中でこしらえておいた 「公式」 だけで、いつもいつも正解が出るのなら、だれも苦労はしない。

 吉田拓郎が体調不良を訴えて、予定していた全国ツアーを中止したそうだが、拓郎君のことしの夏休みはいったいどうなるのだろうか。拓郎君が元気になって、また 「きれいな先生」 に会えるようになることをぜひとも望みたいものだ。






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Last updated  2009.07.12 00:44:38
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