1070396 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遠方からの手紙

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

豊かな江戸時代の食… New! FAM5220さん

韓国 チョゴク報償… New! alex99さん

『復活の条件』森村… New! ばあチャルさん

女性が輝くディスト… New! 七詩さん

2019年9月に観た映画A New! KUMA0504さん

勝った! 抜けた!… New! AZURE702さん

新しいPCを買ったら… 朱鷺子6565さん

Comments

http://cialisvipsale.com/@ Re:あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない(09/17) bijsluiter cialis 10mgpredaj viagra kam…
小林先生@ Re:恐妻家と愛妻家のはざまで(07/18) 失礼ながらよくまとまっているせいか たい…
akkun @ Re:岡崎次郎はどこへ消えたのか(10/01) 向坂逸郎(?)って悪いヤツだ! そういう欲…
大津 真作@ Re:岡崎次郎はどこへ消えたのか(10/01) 実は岡崎次郎さんには、岡崎三郎さんとい…
Jun_U@ Re:アイザック・ドイッチャー 『非ユダヤ的ユダヤ人』(06/13) ドイッチャーの著作は若い頃から読んで共…
ゴマ@ Re:関曠野 『歴史の学び方について』 マルクスが宣う「人間の本質」とは何ぞや…
さすらい日乗@ 映画で見ました はじめまして、さすらい日乗をやっている…

Freepage List

Category

Archives

2019.10
2019.09
2019.08
2019.07
2019.06
2019.05
2019.04
2019.03
2019.02
2019.01

全18件 (18件中 1-10件目)

1 2 >

国際

2010.04.12
XML
カテゴリ:国際

 一昨日、ロシアのスモレンスクで行われる予定だった、第二次大戦中に起きた 「カティンの森」 事件の追悼式典に参加するために現地に向かっていた、ポーランドの大統領夫妻ら、多数の政府要人を乗せた飛行機が墜落し、全員が死亡するという事件があった。情報によれば、深い霧で視界が悪かったため、ロシア側は別の空港への着陸を要請したにもかかわらず、無理に着陸を試みたことが原因のように思われる。

 「カティンの森」 事件を世界に公表したのは、第二次大戦勃発から二年後に始まった独ソ戦によって、ソビエト領内への侵攻を開始したナチスの側だが、ドイツのポーランド侵入とほとんど同時に、東からポーランドに攻め入り、ポーランドをナチとともに分割したソビエト軍の捕虜となったポーランド将校らがその犠牲となっている。

 長い間、ソビエトはこの事件はナチによるものだと主張していたが、旧共産圏の崩壊によってようやく、事件がスターリンの命令を受けたものであることを認めた。ソビエトとポーランドの間には、ロシア革命後に限っても、独立を果たしたポーランドによる内戦介入と、ワルシャワまで迫った赤軍の反攻、そしてその失敗という長い歴史がある。

 このときの赤軍を率いたのは、もとは帝政時代の将校だったトゥハチェフスキーだが、彼もまたのちにスターリンによって粛清される。この 「トゥハチェフスキーの陰謀」 では、大勢の赤軍の幹部や将校が粛清・追放され、そのことが結果的に、独ソ戦での初期の大敗につながったとも言われている。

 航空機事故による要人の死亡というと、近年ではルワンダの大量虐殺のきっかけとなった、同国と隣国ブルンジの大統領が乗った飛行機が墜落したという事件があった。ただし、これは偶然の事故ではなく、どうやら当時の軍の一部による意図的な攻撃のようだから、純然たる事故ではない(参照)

 もっと古い話だと、日中戦争が終結した直後、「抗日民族統一戦線」 という表向きの 「国共合作」 にもかかわらず、共産党に対する警戒を崩していなかった蒋介石の軍の攻撃によって捕虜となっていた葉挺の釈放を受け、彼を迎えにいった博古ら数人の共産党幹部を乗せて、重慶から延安に向かった飛行機が墜落したという事件もある。博古はモスクワ留学の経験もあり、一時は党の最高幹部として、毛の上に立ったこともある人物である。

 なお、文化大革命中に毛沢東の暗殺を企てたとして失脚した林彪も、飛行機でソ連へ逃亡する途中、モンゴルで墜落し死亡している。このときの飛行機はパキスタンから譲り受けたイギリス製のトライデントだそうで、林彪のほかに夫人の葉群、息子の林立果ら9名が乗っていたそうだ。

 さて、国内のほうに目を転じると、なんとも訳のわからぬ状況になりつつある。鳩山首相の支持率が急降下しているそうだが、そのこと自体はなんら驚くべきことではない。彼に政治的な能力が欠けていることは以前から明らかだったのだし、小泉退陣後に次々誕生した安倍、福田、麻生の各政権のていたらくを見れば、そう不思議なことでもない。

 しかし、奇妙なのはほんの昨日まで、ずっと政権を握っていた自民党やその系列の政治家らのほうである。なんでも、「立ち上がれ日本」 なる新党ができたそうだが、だとすると今まで日本は座っていたのか。選挙で大敗したり、政権を手放したりすると、とたんに右往左往し始めるのは、ロッキード事件のときの 「新自由クラブ」 以来のお家芸のようなものだが、なんともみっともない。

 選挙というものは、負けるときもあれば勝つときもある。同じように、政党ならば、与党になるときもあれば、野党になるときもある。それは、議会制民主主義のイロハのイというものだろう。おまけに、自称竜馬があちこちにいるようだが、竜馬が暗殺されたのは31歳のとき。少なくとも、すでにその二倍の人生を無駄にすごしてきたような人らに、いまさら竜馬を名乗る資格などないのは自明のことではないか。


関連記事: 今年は16年ぶりの冷夏となるか







Last updated  2010.04.14 16:07:12
コメント(2) | コメントを書く
2009.06.01
カテゴリ:国際

 新型インフルエンザの感染者は、まだまだ増えつつあるが、弱毒性ということもはっきりし、一頃の騒動はどうやら山を越えたようだ。しかし、テレビをつけていると、1日に何度も、「冷静な対応をお願いします」 という首相のあのだみ声を聞かされるのはたまらない。「冷静な対応」 だなんて、今頃になってなにを言ってんだとしか言いようがない。

 かつてエンゲルスは、『イギリスにおける労働者階級の状態』 の中で、世界でもっとも豊かな国の労働者らがいかに悲惨で惨めな暮らしを強いられているかを、克明に描いた。国家が豊かであるということと、国民の貧しさとは必ずしも矛盾しない。それが、当時まだわずか25歳だったエンゲルスの指摘したことだ(それは、むろん今でも多かれ少なかれあてはまる)。

 それと同様に、国家とその軍隊の装備や戦力は、国民の貧しさとも必ずしも矛盾しない。世界には、スラム街でその日暮らしの生活をしている多くの貧困者がいる一方で、核兵器や遠くまで飛ばせるミサイル、高速で空を飛びまわる戦闘機をそろえて得意になっている国もある。インドもパキスタンも、またもちろん先日、晴れて 「核保有国」 の仲間入りをしたかの国でも、それは同じことだ。

 しかし、言うまでもなく、そのようなものは煮ても焼いても食えはしない。人間にとって必要なものは、まずは食べるものであり、次に雨露と暑さ寒さをしのぐ場所である。先日、インドでは、アカデミー賞を取った映画に出演した子供らの住んでいた家が 「不法建築」 ということで取り壊され、路上生活を余儀なくされたというニュースがあったが、ようやくその二人の子役には、州から約束のアパートが 「ご褒美」 として与えられたそうだ。むろんそれは二人にとっては喜ばしいことだが、家を失った子供はその二人だけではあるまい。

 当該の問題に直接の関係を持たない者が 「安全地帯」 から声を上げることは、非難されることではない。声を上げることが 「安全地帯」 からでしか可能でないのであれば、まずは 「安全地帯」 にいる者が声をあげればいい。それは、今はまだ声を上げられない当事者らに対する励ましとなることもある。また、そのような 「われわれは見ているぞ!」 という声には、現状を今すぐ変えることは不可能だとしても、少なくとも現状のこれ以上の悪化を防ぐぐらいの力はあるかもしれない。

 誰も声を上げられないならば、誰かがまず、「王様は裸だ!」 と叫ばなければならない。チャウシェスクの独裁も、誰かがあの広場で、「お前は裸だ!」 と叫んだことをきっかけにして崩壊したのではなかったのか。誰かの声がきっかけとなって、それまでのタブーが破られるのなら、誰が口火を切ろうとそんなことはどうでもよい。王様の行列を前にして、「王様は裸だ!」 と叫んだ少年に対して、いったい誰がその資格や権利を問うただろうか。

 たしかに、日本にはかつて朝鮮を植民地として支配した責任がある。だが、相対立するかに見える二つの問題があるときに、一方の問題を持ち出して、他方の問題に対する批判を封じようとするのは、ただの相殺論法に過ぎない。「王様は裸だ!」 と叫んだものが、自分もまた裸であることに気付いてなかったとしたら、笑いものにはなるだろう。しかし、だからといって、実際に王様が裸であるのなら、それを指摘した言葉の正しさまでが損なわれるわけではない。他者への批判が倫理的な非難に値するのは、それが自己の責任を隠蔽し、自己への批判をかわすことを目的にしている場合のみである。

 他国への侵略や、自国内の少数民族への抑圧が 「悪」 であるなら、自民族である自国の民衆に対する抑圧もまた 「悪」 である。そこに違いなどありはしない。たしかに、それはその国の 「国内問題」 ではある。だが、どんな国の支配者にも、自国の民衆をほしいままに支配し抑圧する権利などないのは、いまさら言うまでもないことだろう。

 北朝鮮が行った実験は、マグニチュード4.5から4.7程度の地震を引き起こしたそうだ。実験は、日本海に面した咸鏡北道というところで行われたそうだが、実験場から200 km離れた中国では、そのために学校が休校になったという(参照)。その地域が、もともとどのようなところであったのかは知らない。当然のことながら、実験場の周辺の住民は、とうに立ち退かされているだろう。だが、いかに地下実験とはいえ、砂漠の真中とかではないのだから、周辺に対して被害がまったく発生しないとは考えにくい。

 北の 「指導部」 にしてみれば、核を持つことで、世界とりわけアメリカに対する発言権を高めると同時に、現在の 「体制」 への保証を取り付けたいという思惑があるのだろう。しかしながら、国家の体制なるものを保証するのは、ほかのどこの国でもなく、なによりその国の国民自身である。国民の支持を失った 「体制」 など、他国によっていかに保証されようが、いずれ崩壊せざるをえない。

 豊かとはとうていいえない国において、そのような実験を繰り返し行うことは、その国の国民にとってなにを意味するのか。それは、不作と借金に苦しみ、白い飯も食えず、娘も売り飛ばさざるを得ないというような貧しい農民らがいた一方で、大和だ、武蔵だなどという、「世界に冠たる」 無敵の巨大戦艦を建造して悦にいっていた国と、いったいどこが違うのか。

 理想を掲げたソビエトはなぜ崩壊したのか。東欧における優等生とまで言われた東ドイツは、なぜライバルであった西ドイツに完全に後れを取り、吸収合併されるという憂き目に会ったのか。かの国の人々のことが心配だという人がいるのなら、まずはそのような過重な軍備や、あのような狭小な国土で核実験を繰り返すことが、彼らの生活とその行く末になにをもたらすかをこそ、心配すべきではないか。

 仏領赤道アフリカを旅行したとき、誰かに 「案内されて」 いる間は、すべてがほとんど素晴らしく目に映った、といったことを私はすでに書いたことがある。私がはっきり事物の姿を見はじめたのは、総督が回してくれる自動車におさらばして、単身徒歩で、この国を歩き回り、半年の時日をかけて、原住民たちに直接接触しようと思ったそのときからである。......

 なぜか? プロレタリアは、すでに侵害された彼らの権益を防いでくれる代表者を、たとえ一人でも選出する可能性すらもっていない。人民投票は、公開で行われるにせよ秘密裡に行われるにせよ、これは人を馬鹿にしたものであり、見せかけであることは間違いない。すべての任命は、上から下に対して決定される。人民は前もって選ばれたものしか選挙する権利はない。プロレタリアはなぶりものにされている。猿轡をかまされ、がんじがらめに縛られ、抵抗などほとんど思いもよらなくなっている。じつに競技はうまくはこばれ、スターリンは見事に勝った。


 これは、今から70年近く前、スターリンによる粛清開始のきっかけとなった 「キーロフ暗殺事件」 の直後にソビエトを訪問した、フランスの作家 アンドレ・ジッドが帰国後に書いた 『ソヴェト旅行記修正』 の一節である。その前に 『ソヴェト旅行記』 を書いて、革命への共感と同時に、しだいに官僚化を強めていくソビエト社会への不満と懸念をも表明したジッドは、スターリンを支持するロマン・ロランに非難されたそうだが、ジッドはロランに対してこの 「修正」 の中で、こう反論している。

 私は今日まで、彼の作品に対して感心したことはないが、それでも、彼の精神的人格だけは少なくとも高く評価してきた。私の悲しみは、そこからきている。つまり、世には、彼らの偉大さをすっかり出し切らないうちに、人生を終わってゆく人たちがあまりにも少なくないと言うことをあらためて考えさせられるからである。おそらく 「争いの上にあれ」 を書いたロランは、今日の老ロランを手厳しく裁いているのではないか、と私には思われる。かつての日の鷲も、巣づくりを終えて、そこで憩いをとっている。






Last updated  2009.06.02 03:23:36
コメント(0) | コメントを書く
2009.04.09
カテゴリ:国際

 今日はいい天気だった。こんな日は、とても昼間から仕事などやる気にならぬのだが、今日中に納めてほしいと遠く東京から依頼があったもので、しかたなく二時間ほどでちゃちゃっとやりあげてから外に出た。

 いつもの散歩コースを歩いて、区と区の境を流れる川のほとりまで出たら、「アルカディア×××」 というマンションが建っていた。そう大きなマンションではなかったが、深い緑色の石造りを模したなかなか瀟洒な建物であった。調べてみたら、「アルカディア」 という名前のマンションなどは、日本中のあちらこちらにあるようだ。

 「アルカディア」 という言葉は、もとはギリシアはペロポネソス半島中央部の貧しい山岳地帯を指していた言葉だそうだが、後世、「牧人の楽園」 との伝承が生まれたとかで、、やがて中国で言う、「桃源郷」 のような意味の言葉としても使われるようになる(参照)

 ラテン語で "Et In Arcadia Ego" と書くと、「われ、アルカディアにもあり」 という意味になるが、これは17世紀イタリアで生まれた言い回しなのだそうだ。この言葉の 「われ」 とは、ほんらい 「死」 のことをさす。したがって、この言葉は、「死」 は 「アルカディア」 のような 「桃源郷」 の中にもちゃんとあるよ、という意味になる。

 つまりは、この言葉は、「理想郷」 とされ、みなが憧れる 「アルカディア」 すらも、「死」 からは免れないという警告であり、これもまたラテン語の有名な言葉である 「メメント・モリ」、すなわち 「死を忘れるな」 という言葉とほぼ同じ意味ということになる。

 松本零士の漫画 「キャプテン・ハーロック」 では、髑髏のマークをつけたハーロックの船の名前が 「アルカディア号」 だったが、はたして彼はどういうつもりで、この言葉を用いたのか。それは 「楽園」 を意味する言葉だったのか、それとも海賊旗の髑髏と同じく、「死」 を連想させる言葉であったのか。

 はたまた、川岸に建っていた瀟洒な 「アルカディア・マンション」 に住んでおられる方々は、その言葉をいったいどういう意味で理解しておられるのか、まっ、そこまでは分からない。

 テレビのニュースで、金正日総書記の最新の映像が映っていた。以前に比べると、劇的なぐらいにやせていた。むろんテレビの画像だけでは、それがなんらかの病的な意味を持つのかどうかは判断できない。ただし、画像の様子では、脳梗塞を起こしたことは確実のようだから、その再発を防ぐためにダイエットしたという可能性は高いのかもしれない。

 かつて、韓国の独裁者だった朴正煕は、首都ソウルにあるKCIAの建物の中で、腹心だった当時の金載圭韓国中央情報部長に射殺された。これは今からちょうど30年前、1979年10月26日のことだ(参照)

 ソビエトでは、スターリンが死んだあと、30年代の 「大粛清」 以来、秘密警察を掌握していたベリヤが一時期実権を握ったが、結局、フルシチョフらの巻き返しにあって軍に逮捕され、あげくのはてに、スターリン時代の 「粛清」 の責任をすべて背負わされて処刑された。ただし、この事件の詳細については、いまも不明のところも多いらしい(参照)

 また、中国ではやはり毛沢東の死後に、彼の遺言によって後を継いだとされる華国鋒政権下で、毛沢東夫人だった江青ら、かつての文革の中心人物だったいわゆる 「四人組」 がいっせいに逮捕され、失脚するという事件が起きた。これは1976年のことだが、その後、華国鋒自身も退陣を余儀なくされ、トウ小平の復活という劇的な幕切れとなった(参照)

 最近では、8年前にネパールの王宮内で、当時のディペンドラ王太子によって、父親のビレンドラ国王ら多数の王族が殺害されたという事件が起きている。これも、首謀者とされる王太子自身も負傷し、直後に意識不明のまま死亡しているので、真相はよく分からない(参照)

 この事件の後、死亡した国王の弟で、その場にただ一人居合わさず、事件を免れたギャネンドラが王位に付いたが、国内の毛沢東主義勢力を抑えるために、権力の専制化を強め、結局は国民の反発を買って、王の座を去ることになった。その結果、王政そのものが廃止されて、ネパールは共和国となった。これは昨年のことである。

 はてさて、「独裁者」 や、専制的支配を目論んだ者の末路は、みな悲惨なものである。「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」 とは、よく言ったものである。

 太平洋に落ちた北朝鮮のロケットが人工衛星打ち上げだったのか、なんなのかは知らないが、いずれにしても、巨額の費用をかけてそんなことをする暇があるのなら、その前にやるべきことがいくらでもあるだろう。

 「ミサイル開発」 であろうと、「ロケット開発」 であろうと、そのようなただ国家と指導者の面子をかけたにすぎないような行為は、なによりも飢えと窮乏、弾圧と抑圧に苦しむ 「北」 の民衆の名によってこそ、非難さるべきことだろう。


かなたに 策のほどこしようもなく崩れていた出生の館の

郷愁を誘う筆太のぼかしよ ぼかしの谷間に

自分の領域を極度に限定したのちの墓碑銘を読め

われアルカディアにもありわれアル

カディアにもありわれアルカディアにもあり

  渋沢孝輔  「その粗暴なまでの」
より
     (詩集 「われアルカディアにもあり」 所収)






Last updated  2009.04.10 17:58:59
コメント(0) | コメントを書く
2009.01.13
カテゴリ:国際

 今年になって、ようやく二本目の記事になる。なにしろ、いろいろ忙しくてそれどころではなかったのだ。しかし、その間もイスラエルによるガザ攻撃は続き、パレスチナ側の死者は1,000名に達しようとしている。むろん、その大部分は非武装の民間人であり、中には国連が運営していた学校が、そこから迫撃砲が撃たれたとの名目で攻撃されたという報道もある。(参照)

 むろん、戦場においても過誤はつきものだ。部隊間での連絡の行き違いによって、目標を間違えることだってあるだろう。誤って味方を攻撃するというようなことすら、どんな戦争でもありうることだ。しかし、ガザのように人口が密集し、広い避難場所も頑丈なシェルターもないような地域を攻撃すれば、民間人に被害が及ぶのは分かりきったことだ。それで、「イスラエルは、ハマスのテロリストと民間人を識別して作戦を遂行している」 などと言われても、いったい誰が信じるのだろうか。それこそ、閻魔様に舌を抜かれても文句は言えまい。

 事態は、イスラエルとハマスの 「交戦」 でも 「軍事衝突」 でもない。パレスチナ側にできることは、近代兵器で武装した圧倒的なイスラエル軍に対する、ほんのわずかな抵抗でしかない。であれば、「停戦」 を実現すべき主たる責任は、言うまでもなくイスラエルのほうにあるだろう。そもそも、問題の発端は、住民の意思によって選出されたハマス主導の政府の正当性を一方的に否認し、経済封鎖によって彼らを追い詰めたイスラエルの行動にある。

 イスラエルは、ガザ攻撃の口実としてハマスの 「ロケット攻撃」 を取り上げ、これが自国にとっての 「脅威」 であるかのように宣伝している。しかし、これはイスラエル側の恒常的な暴力に比べれば、ほとんど象徴的な示威という程度のものだ。イスラエルは確かに大きな国ではない。だが、ガザに比べれば遥かに広い国土を擁している。ならば、わずか数十キロの射程しかない攻撃を避けることなど、国境付近の村から撤退しさえすればすむはずだろう。

 この攻撃に対して、イスラエルのユダヤ系市民の間では90%を超える支持があるという。しかし、イスラエル国内に住んでいるのはユダヤ系だけではない。イスラエル建国後も、国内に留まったパレスチナ系住民も20%程度いる。また、ユダヤ系市民の中にも、軍事力のみに頼った手法に対して批判的な人もいる。この調査がいかなる手法によったものかは分からないが、世論調査にはサンプリングによる偏りがつき物だけに、この数字にどれだけの根拠があるのかは疑問の残るところだ。(参照)

 イスラエルとアメリカは、武力闘争を放棄しないハマスに対して 「イスラエルの生存権」 の承認を求めている。だが、誰が見ても、イスラエルの生存自体を脅かす力など、彼らにあるはずがない。それは、まるでライオンがウサギに 「俺の生存権を認めろ」 と迫っているような話である。これほど、滑稽な話がほかにあるだろうか。現実に 「生存権」 を一貫して脅かされてきたのは、パレスチナのほうであってイスラエルのほうではない。

 そもそも、国境付近の住民ではない大多数のイスラエル市民にとっての脅威は、むしろ国内や占領地内における 「自爆テロ」 のほうだろう。しかし、そのような 「テロ」 は、ハマスを一時的に弱体化させたところでなくなるわけはない。最終的な和解によって共存する道を探り、パレスチナ人に対しても平和で安定した生活を保障する以外に、「テロ」 の脅威を取り除く道はないということは、あまりに自明なことではあるまいか。

 イスラエルの行動は、イスラム諸国においても様々な非難を生んでいる。それは、イスラム世界における 「世俗国家」 であるトルコやエジプトにおいても同様であり、そのような親米的イスラム諸国においては、イスラエルへの非難は、その同盟国であるアメリカに追随する自国政府への非難へも容易に転化するだろう。ナセルの後を継いだあと、親米路線に転じてイスラエルとの 「和平」 に応じたサダトが 「イスラム原理主義」 者に暗殺されたのも、そう遠い話ではない。

 イスラエルは、たしかに中東における 「議会制民主国家」 かもしれない。しかし、その民主主義はユダヤ系住民にのみ許された内輪の民主主義というものだ。たしかに、パレスチナ系住民もまったくの無権利ではない。しかし、「ユダヤ人の国家」 ということを法的な 「国是」 にしている以上、非ユダヤ系住民が 「二流市民」 でしかないことは自明の理である。

 彼ら非ユダヤ系住民は、兵役を 「免除」 されているという。だが、それは彼らが法的に 「第五列」 扱いされているということを意味するに過ぎない。恒常的な戦時体制下にある国家において、兵役の免除とは 「特権」 ではなく、むしろ社会的に与えられたただの 「恥辱」 であり 「罰」 にすぎない。

 そもそも、国籍を有する国民一般とは区別された 「ユダヤ人」 とはなにを意味するのか。国家とは国民によって構成された組織である。フランスはフランス人の国家であるというとき、フランス人とはフランス国籍を有するすべての者を意味する。アルジェ出身のアラブ系であろうと、セネガル出身の黒人系であろうと、フランス国籍を取れば、法的に言う限りすべて平等なフランス人である。

 しかし、国民をその出自や民族性、宗教によって差別する国家は、言うまでもなく近代的な意味での 「民主国家」 ではない。それはかつての南アフリカのような少数派による多数派支配であろうと、その逆であろうと同じことだ。いや、そもそも現在のイスラエルにおける多数派としてのユダヤ人そのものが、「建国」 以来の様々な政策によって達成された人為的な結果なのではないか。

 歴史を振り返るならば、ユダヤ人を最も激しく迫害したのは、イスラムではなくキリスト教世界のほうである。かの十字軍が攻撃したのは、イスラム教徒だけではない。ユダヤ教徒や、さらには 「異端」 と目された欧州内部の同じキリスト教徒もまた、攻撃の的にされていたのだ。スペインのイザベラといえば、コロンブスへの援助でも有名だが、彼女が半島からイスラムを放逐して最初にやったことは、王国から改宗を拒否したユダヤ人を追放することであり、その彼らを受け入れたのは北アフリカや東方のイスラム国家であった。

 むろん、現に互いの間に 「対立」 と 「敵意」 という状況が存在する以上、大昔の過去を振り返ること自体にはたいした意味はない。しかし、問題の本質がイスラムとユダヤの宗教的対立でもなければ、アラブとユダヤの長い歴史的な対立でもないことは、押さえておくべきことだ。

 民族主義を伴う、近代における多民族的 「帝国」 の解体は、つねに昨日まで共存していた民族同士の敵対を生んできた。それは第一次大戦後のトルコやオーストリアの解体でも、近くはユーゴの解体やソビエトの解体でも同じことだ。だが、こぼれた水や壊れた甕を元に戻すことは不可能であるにしても、いったん解体した共存という枠組みを、より広い枠の中に取り込んで回復することは決して不可能なことではないだろう。

 他者を暴力で支配する者は、自らもまた自由ではありえない。恒常的な戦時体制下での他民族への暴力的支配は、いずれ自民族の内部へ侵入し疫病のように蔓延していくものだ。暴力によって他者を黙らせようとする者は、つねにその報復に怯えざるをえない。そのような自らの暴力が生み出した 「報復」 という亡霊に怯える者らは、やがて自らの内部に、味方の 「団結」 を損ない、敵に内通する 「第五列」 が潜んでいるのではないかという恐れに悩まされ、いたるところにその姿を見るようになるだろう。

 世界で最も民主的と言われた憲法を有していたワイマール共和国下で、外相を務めたラーテナウの暗殺など、数え切れないほどのテロを実行し、あるいはカップ一揆などの暴動に参加して、ヒトラー政権への道を開いた元兵士や軍人らもまた、その多くが旧植民地などでの支配によって暴力の味を覚えた者らだった。ともに 「不倶戴天」 の敵同士でありながらも、「和平」 を推進しようとしたラビンが国内のユダヤ過激派によって暗殺されたのも、彼らにとってはけっして遠い昔話ではないはずだ。

    小児

 軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更ここに云う必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。ことに小児と似ているのは喇叭や軍歌に皷舞されれば、何の為に戦うかも問わず、欣然と敵に当ることである。

 この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなった者ではない。勲章も――わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?
芥川龍之介 『侏儒の言葉』 より    






Last updated  2009.01.14 00:31:49
コメント(8) | コメントを書く
2008.11.04
カテゴリ:国際
 いよいよ、注目のアメリカ大統領選挙の投票が始まった。報道では、日本時間で今日の昼頃には、当落が決着するのではないかという話である。選挙期間中、劣勢を伝えられていたマケイン陣営は、女性のペイリン現アラスカ州知事を副大統領候補に抜擢したものの、これはあまり効果がなく、むしろ逆効果になったように思える。

 なにしろ、アラスカ州というのは、総人口が70万にも達しない地域であるから、そこの知事というだけでは、政治家としての経験や見識に疑問がもたれてもしかたない。マケイン候補はすでに72歳と高齢であるから、任期をまっとうできずに、途中で副大統領が昇格する可能性というのも十分にある。それを考えれば、彼女とのコンビではちょっとと、二の足を踏むという人が出てきても不思議ではない。

 思い出すのは8年前のゴアとブッシュの戦いである。このときは、有権者の投票総数では民主党のゴア候補がブッシュを上回ったものの、全米で獲得した選挙人の数でブッシュが上回るという逆転現象が起き、ブッシュ弟が知事を務めるフロリダで票の再集計が行われるなどのすったもんだのすえに、ブッシュ現大統領が僅差で当選することになった。

 投票前の世論調査では、民主党のオバマ候補の優勢が伝えられている。しかし、電話などでの調査に回答する場合と、実際に投票する場合とでは有権者の行動は必ずしも一致しない。日本でも、実際に投票が済んでふたを開けてみたら、事前の予想と大きく違っていて、「開けてびっくり玉手箱」 ということもある。

 これは、ひとつには選挙前に公表された世論調査がもたらす、アナウンス効果のせいだろう。だがそれと同時に、個々の有権者にとって、とくに現実的な意味を持たない調査への回答と、実際に効力を持つ投票の場合とでは、その意味合いがまったく違うということもやはり無視できない。

 アメリカの政治学者らが使う言葉に 「ブラッドリー効果」 という用語があるそうだが、Wikipediaではこの言葉について、次のように説明されている。

 1982年のカリフォルニア州知事選挙で黒人の元ロサンゼルス市長トム・ブラッドリーが白人の共和党候補ジョージ・デュークメジアンと争った。事前に行われた世論調査ではブラッドリーが圧倒的有利な状態で、ほとんどのメディアはブラッドリーの勝利を予想し、サンフランシスコクロニクルは 「BRADLEY WIN PROJECTED」 の見出しをかかげた。しかし、いざ選挙当日になってみると、それまでブラッドリーを支持していた白人有権者がデュークメジアンに投票し、多くの票がデュークメジアンに流れた結果、当選確実といわれていたブラッドリーは敗れてしまった。

 これは、白人に投票するという意見の表明自体が、調査者に人種差別主義的イメージを以て解されるのを嫌った一部の人が、「ブラッドリーに投票する」 と世論調査で答えた結果だと社会心理学的な解釈が行われている。多くの白人有権者が黒人候補者に投票するといいながら、実際は白人候補者に票を投じる投票行動を政治学者は 「ブラッドリー効果」 と名づけた。

 ようするに、「本音」 と 「建前」 が違うというのは、なにも日本人だけの専売特許ではないという話である。

 オバマ氏が当選すれば、アメリカの歴史において、明確に黒人の血を引いた大統領が初めて誕生するということになる。「トゥエンティフォー」 などのドラマや映画では、すでに黒人大統領が何人も登場しているが、現実もようやくそのレベルに到達したということになるだろう。

 むろん、黒人系の大統領が登場したからといって、これまでのアメリカの政治や社会が一気に変わるとは必ずしも言えない。たとえば、イギリスでは30年前に、サッチャーが女性として初めての首相になったが、その政治は男性が首相を独占していた時代ととくに違っていたわけではない。とはいえ、それでも女性の社会進出を促し、女性に対する不当な差別を解消するという点ではそれなりに意味はあったのかもしれない。もっとも、イギリスにだって、女王様なら400年前にもいたのだが。

 ところで、アメリカの大統領選挙は、いうまでもなくアメリカの国内問題というだけでなく、日本はもちろん、世界中の国に対して重大な影響を及ぼす。2000年の大統領選挙で、もしゴアが勝っていたら、翌年のアルカイダによる9.11テロが同様に起きていたとしても、その後のアメリカの政策は違っていたかもしれない。そして、その結果としての国際社会の様相も、今とは相当に異なっていたかもしれない。

 それを考えると、アメリカの大統領選挙に対しては、「あいつはちょっとだめだ」 という拒否権のごときものが国際社会にあればいいのではと思う。なにしろ、アメリカの大統領というのは、世界を破滅させるに足るだけの核兵器を発射するボタンに指をかけているのであり、つまりはアメリカ国民だけでなく、全人類に対して責任を負っているわけだから。

 同じことは、ある程度中国やロシアに対しても言えるのだが、中国などがそういう要求を受け入れる可能性は、もちろんそれ以上に低い。逆に日本の場合はどうかというと、そもそも国際社会によって要求される規準に達する首相候補がいないということで、首相不在ということになってしまう恐れもある。というわけで、これはやっぱり無理な注文というべきかもしれない。

 うーん、せっかくのいい提案だと思ったのに、竜頭蛇尾に終わってしまった。残念である。

関連記事: オバマ候補は 「黒人系」 なのか







Last updated  2008.11.05 05:56:25
コメント(0) | コメントを書く
2008.08.11
カテゴリ:国際

 連日の激しい日射と高温のせいか、このところ大気がきわめて不安定のようで、午後になると魔王のような黒雲がむくむくとわきあがり、雷もゴロゴロと呻りだして、にわか雨が降りだす。どうやら、空の上で龍と虎による激しい戦いがおこなわれているようだ。

 グルジアとロシアの紛争は、わずか二日間で2,000人を超える死者を出したそうだ。グルジア側は戦闘を停止し、紛争地域である南オセアチアからの撤退をロシア側に通告して、停戦交渉を呼びかけたそうだが、ロシア側は通告の受理は認めたものの、「グルジア軍は攻撃を続けている」 として、停戦に応じていないとのことだ。

 ロシアはグルジア共和国の首都トビリシを空爆し、黒海でもグルジア海軍の艦船を沈めるなど、すでに全面戦争の様相を呈している。コーカサス山中にあるグルジア共和国は、面積わずか7万平方キロにも満たない小国であり(北海道よりも小さい)、ロシアとの全面衝突になればひとたまりもないのは、最初から明らかだったはずだ。

 紛争の舞台となったグルジア内の南オセアチア州には、主としてオセアチア人が住んでいるが、同じオセアチア人の住む北オセアチアはロシア連邦に属しており、ソビエト時代末期からのグルジアでのグルジア民族主義の台頭によって圧迫された南オセアチアのオセアチア人は、グルジアからの独立とロシア連邦への編入を要求しているということだ。

 今回の衝突は、どうやらロシアとグルジア、それに南北オセチア4者によって締結された過去の協定を一方的に無視した、グルジア側の挑発が原因のようだが、自分から挑発しておきながら、「平和の祭典」 と称されるオリンピックの時期に、まさかロシアが全面的な武力行動に出るとは予測していなかったのだろうか。だとしたら、ずいぶんと考えが甘かったといわざるを得ない。

 グルジアとロシアの間には、アブハジアの問題もある。ロシア自身が、チェチェンの問題を抱えていることは言うまでもない。コーカサス地域には、そのほかにも、ナゴルノ=カラバフをめぐる、旧ソ連の構成国どうしであったアゼルバイジャンとアルメニアの対立もある。

 旧ユーゴスラビア内の問題は、どうやらいちおうの解決を見せているようだが、こちらはカスピ海沿岸の油田の問題や、地域の安定化と安全保障をめぐる大国ロシアの利害が直接に絡んでいるだけに、そう簡単には解決しそうもない。

 ユーゴ問題もそうだったが、こういう問題の背景には、かつての 「社会主義」 共同体の崩壊に伴って自立性を高めた、この地域の多くの小国家内でのナショナリズムの台頭と、それに対抗する少数民族側の反発があり、そこへロシアやアメリカ、EUなどの利害が絡んで問題をさらに複雑化させている。

 古い話になるが、かつてレーニンと、ポーランド出身でのちにドイツに移住し、ドイツ革命の過程で殺されたユダヤ系革命家であるローザ=ルクセンブルグの間で、「民族問題」 をめぐる論争が起きたことがある。

 大ロシア主義的な民族排外主義を強く批判して、少数民族の 「自決権」 を擁護したレーニンに対して、ローザは民族の利害よりもプロレタリアートの利害を優先させるべきだという原則論を主張したわけだが、同時に彼女は、レーニンの言うような 「民族自決権」 は、多数の小民族が狭小な場所にひしめき合っているような地域には現実的に適用不可能であることも指摘している。

 民族自治の問題が、その実施に当たって出会う困難のもうひとつの顕著な例が、カフカスに見られる。この地上のどこを探しても、カフカスほど、ひとつの地域に諸民族が複雑に入り混じっているところはない。太古の昔から、人々がヨーロッパとアジアの間を往来する場であったこの歴史的な地は、それらの人々の破片でちりばめられている。900万人を超すこの地方の人口は、以下の表のような人種や民族集団からなっている。

ローザ=ルクセンブルク 『民族問題と自治』 より    


 ここでローザが作成している表は、ロシアによる1897年の人口調査にもとづくものだが、外来のロシア人やドイツ人、ユダヤ人のほかに、アルメニア人やグルジア人、チェチェン人、その他カフカス系、トルコ・タタール系の諸民族など、20を超える民族の名前があげられている。

 とはいえ、ローザもまた民族問題の複雑さと、その解決の困難さを指摘しただけで、解決へいたる道筋を提起しえたわけではない。「民族の利害よりも階級の利害を!」 という彼女の国際主義的な原則論が、歴史と文化の共有 (それは、しばしば幻想的なものでもあるが) にもとづいたナショナリズムの強さを過小評価したものであったことは、今さら指摘するまでもないことだろう。

 ところで、グルジアはいうまでもなく、ヨシフ・ジュガシビリ、すなわちスターリンの出身地でもある。

 ロシア帝国の辺境だったグルジアからは、スターリンのほかにも、メンシェビキの全国的指導者だったツェレテリやチヘイゼ、スターリンの友人で、30年代の大粛清の過程で不審な自殺をとげたボルシェビキのオルジョニキーゼなど、ロシア革命当時の有力な指導者や活動家が何人も出ている。

 革命当初、グルジアでは、ボルシェビキと対立していたメンシェビキが権力を握っていたが、そのメンシェビキ政権を覆したオルジョニキーゼがスターリンの支持を得て、グルジアで高圧的な姿勢をとったことが、レーニンの怒りを呼んで、病床の彼に 「スターリンは粗暴である」 と指摘し、その書記長罷免を提案した有名な遺書を書かせることになった。

 また、旧ソ連の末期に外相としてゴルバチョフの右腕を務め、ペレストロイカに協力したシェワルナゼもグルジア人であり、ソビエト解体後は独立したグルジアの最高会議議長、さらに1995年から2003年まではグルジア大統領も務めていた。

 どうやら、グルジアとロシアの関係というのには、なにやら因縁めいたものがあるようだ。

 エリツィンによるソビエトの解体後に成立した、CIS (独立国家共同体) という緩やかな国家連合は、すでにほぼ有名無実化しているようだが、一党独裁時代をそのまま引きずったような各国の小独裁者らの政治的思惑と、アメリカやEU、中国などの利害も絡み合って、結局は失敗に終わったというべきだろう。







Last updated  2008.08.17 14:14:52
コメント(6) | コメントを書く
2008.08.08
カテゴリ:国際

 今日は、午後から激しい夕立が降った。空が急激に暗くなったかと思うと、雷がゴロゴロと鳴り出し、大粒の雨が、まるで機銃掃射のようにアスファルトの路面を叩きつけて激しく降り出した。

 「土方殺すに刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよい」 という文句があるが、これをもじれば 「フリー殺すに刃物は要らぬ メールの三日も来ねばよい」 ということになるだろうか。

 もっとも、さすがに三日程度で死にはしないが、それでも一週間もどこからも連絡がなかったりすると、前の仕事でとんでもないミスをやったのではないかとか、ひょっとして、いつも仕事をくれていたあの会社は潰れちまったんじゃないかとか、いろいろと気になりだしてしまう。

 中国では、いよいよ北京オリンピックの開幕ということで、開会式の華やかな様子がニュースでも中継されている。史上最多の204の国と地域の参加ということだが、それを見ているうちに、昔よく使われた 「壮大なゼロ」 という言葉を思い出した。

 「壮大なゼロ」 という言葉を最初に使ったのが誰かは知らないが (注:どうやら60年安保全学連の委員長だった唐牛健太郎らしい)、たとえば改定安保条約の自然成立を阻止できなかった60年安保の6月の闘いであるとか、11月決戦を呼号して戦術の過激化に走り大衆の支持を失った70年安保、またたしか、東大全共闘の運動の中でも使われていたような気がする (むろんすべて書物による記憶だが)。

 すでに、中国の新疆ウイグル自治区では警察への襲撃事件が起きているし、上海でも雲南の昆明でも、バスを狙った爆破事件が起きている。事件については、「トルキスタン・イスラム党」 という組織が、中国の 「東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)占領」 に反対する立場から起こしたという声明を出しているようだが、中国当局はその関与を否定しているらしく、真相はまだ藪の中だ。

 また中国だけでなく、ともに旧ソ連を構成していたロシアとグルジアの間でも、ロシアへの帰属を望む住民の多いグルジア領内の南オセアチア問題をめぐって、両国軍による衝突の危機が高まっている(注:すでに戦闘は始まっている。死者も2日間で1500人を超えたそうだ)。

 厳戒態勢がしかれている中、72年のミュンヘン大会で起きた、武装ゲリラによる選手村襲撃のような惨劇が起きることはまずないだろうが、すでにオリンピックは国際政治の中にしっかりと組み込まれている。ヒトラーのもとで開催された、36年のベルリン大会は、まさにその先駆であり予感であったと言うべきだろうか。

 オリンピックの準備のために、北京では伝統的な街並みが破壊され、多くの住民が強制的な立ち退きを余儀なくされたということも聞く。しかし、そういったことへの不満は、中国国内ではいまのところ少数であり、多くの国民は、64年の東京と88年のソウルに続く、アジアで三番目の夏季オリンピックということで、日本と韓国に続く経済的 「離陸」 のきっかけとして、また国家と民族の威信を発揚させる場として、熱い眼差しで見つめているようだ。

 とはいえ、国内全土に中継されるオリンピックに付随して映し出される、未来都市か異国の都市のごとくにモダナイズされた北京の風景は、それに見入る多くの国民の潜在的な意識に、いったいどのような影響を及ぼすだろうか。その答えは、今すぐには出ないだろうが、おそらくけっして小さなものではないだろう。

 ところで、先日日本テレビ系列の 「世界まる見え」 という番組で、将来の金メダル候補を育てるために、10歳にも満たない幼い子らを集めて特訓をやっている中国の体操学校の様子が放送されていた。

 その様子は、まさに漫画のタイガーマスクに出てきた、レスラー要請所である 「虎の穴」 を髣髴とさせるものだった。番組製作者は、幼い子らの奮闘を描き、彼らを応援しているつもりのようだったが、その子らの細い肩には、貧困からの脱出を夢見る家族や親族の期待が重くのしかかっているのだ。

 それは、けっして 「お涙ちょうだい」 の美談などではあるまい。そもそも、中国のスポーツ界や体操界の指導者らの目に、そのような子供らが、将来のオリンピックで金メダルを獲るための 「道具」 として以上のものに映っているのかも疑問と言わざるをえない。

 話はかわるが、先日、悪名高き人材派遣会社 「グッドウィル」 が廃業を発表した。昨年には、不正が発覚した同じグループの 「コムスン」 が介護事業の譲渡を行っている。

 気になって調べてみたが、グッドウィル・グループの総帥だった折口雅博という男は、少年時代に父親が経営するサッカリン工場がその発ガン性による規制のために倒産し、以後、両親の離婚や父親の病気による貧困など、非常な辛酸をなめたらしい。

 埼玉県の有名進学校である熊谷高等学校に合格したものの、経済的な理由で進学を諦め、陸上自衛隊の少年工科学校(陸上自衛隊生徒隊)を経て、防衛大学校に進んだということだ(参照)

 彼は防大卒業後、任官を拒否して実業界に入り、「グッドウィル」 での成功によって安倍元首相らとの親交を深めて、一時は経団連の理事を務め、なんと、2005年には紺綬褒章を受章したとのことだ。40代の若さにして、いわば栄誉と栄達の極みに達したと言えるが、その凋落もまた早かった。

 そのような、金儲けのために生き急いでいるがごとき彼の行動の背景には、おそらく少年時代の貧困と屈辱という体験があるのだろう。だとすれば、これもまた、なんだか悲しい話である。







Last updated  2008.08.09 18:13:08
コメント(1) | コメントを書く
2008.07.13
カテゴリ:国際

 一昨日、北朝鮮の観光地である金剛山で起きた韓国人女性の射殺事件に関連して、北朝鮮側は、「韓国政府の金剛山観光暫定中断措置については、『われわれに対する挑戦で耐えられない冒涜』とし『南側がきちんと謝罪し、再発防止対策を出すまで、南側観光客は受け入れない』と明らかにした。」 そうである。

 北朝鮮政府は、韓国側が要求した事件に関する共同での現場調査も拒否したそうだが、さすがに二代続きの 「偉大なる将軍様」 が率いる革命国家に相応しい、いつもながらの超強気な発言である。金剛山は南北朝鮮の軍事境界線に近いところでもあるが、射殺された女性はおそらく早朝に海岸を散歩しているうちに、知らず知らず立ち入り禁止区域に入り込んでしまったのだろう。

 これまたいつものことだが、事件についての北朝鮮の発表はきわめて不可解である。韓国政府が北朝鮮側から伝えられたとして発表した内容によれば、犠牲者である 「パクさんは観光客統制区域を越えて北朝鮮軍警戒地域に入り、哨兵が立ち止まることを要求したにもかかわらず逃走したという。そのため(北朝鮮側が)発砲した」 そうだ。

 観光を計画した事業者も、「パクさんは観光客統制区域に設置されたフェンスを乗り越えて1キロほど北朝鮮側に入った。そのため停止命令を複数回出したがこれに応じず逃走したことから、哨兵が発砲した」 (参照)という北朝鮮からの説明を伝えている。

 おそらく発砲した兵士にとってみれば、日頃上官から受けている命令どおりの行動を取ったにすぎないのだろう。たぶん、彼も金剛山に韓国人観光客が来訪していることぐらいは知っていただろうし、犠牲者である女性の服装から、そういう判断をした可能性もある。ただし、韓国人観光客が立ち入り禁止区域内に侵入した場合の対応まで、日頃から指示されていたかどうかまでは分からない。ただの推測にすぎないが、そのような場合の具体的な対応についてまでは、指示を受けていなかったということも考えられる。

 本音を探れば、北朝鮮側も事件の発生には頭を痛めているはずである。金剛山観光事業は南北対話路線の象徴であるし、これによる北朝鮮の外貨収入は年間10億ドル近いという話もあり、これは現在の北朝鮮にとってはけっして無視できない額のはずだ。南北関係が一気に緊張し、観光事業を含めた経済関係が途絶することも望んではいないだろう。また先月始まったばかりの、アメリカによる 「テロ支援国家」 指定解除の動きへの影響も懸念しているに違いない。

 いかなる国家においても、兵士とは命令と規則によって拘束された存在であり、そのとおりに行動することがつねに求められている。規則に従わなかった兵士が罰を受けるのは万国共通だが、そのような処罰は、独裁傾向の強い国家であればあるほど、一般に苛酷になる。北朝鮮のような国家であれば、わずかな違反でも銃殺刑に処せられる可能性もある。であれば、この場合、発砲した兵士を責めることはできないだろう。

 おそらく、発砲した瞬間の兵士の脳裏には、その結果がもたらす南北関係への影響などは少しも思い浮かばなかったに違いない。いや、そもそもかの国においては、国際関係についてのまともな教育など行われてはいないだろうし、そのような知識も一般国民の間にはきわめて乏しいだろうから、そのような配慮を兵士に求めることなどは、土台無理なことでもあろう。

 兵士と国民に対して、国家の命令に対する絶対的服従を常日頃から求めている 「革命国家」 の政府としては、命令どおりの行動を取った兵士はなにより賞賛すべきなのであり、いささかも非難するわけにはいかない。今回の兵士の行動について、政府がわずかでも遺憾の意を表したりすれば、一般の国民や兵士らの間に、国家の命令に唯々諾々と従うことへの疑念を呼び起こすことにもなりかねない。ましてや、かの国は 「偉大なる将軍様」 が率いる世界に冠たる革命国家なのである。そんな面目丸つぶれのようなことを、自国の国民の前でやるわけにはいかないのももっともである。

 かつて、ドイツが東西に分かれ、東ドイツ内のベルリンが頑強な壁で隔てられていた時代にも、壁をこえることは命がけのことだった。昨年、旧東ドイツの国家保安省が残した大量の文書の中から、西側に逃げようとするものは子供であっても 「止めるか殺す」 よう求める明確な命令を記載した文書が見つかったというニュースがあった。作成者は分かっていないが、「たとえ越境者が女性や子供を連れていたとしても、武器の使用をためらってはならない。反逆者がよく使ってきた手だ」 と記載されていたとのことである。

 ベルリンの壁での最後の犠牲者は、当時20歳だったクリス・グェフロイという青年だったそうだ。この事件が起きたのは1989年2月6日のことだが、ゴルバチョフの 「ペレストロイカ」 を受けて、東ドイツ国内での民主化運動も一気に加速した。9月には同じ東側であったハンガリーによるオーストリアとの国境開放を受けて、大量の市民が西側へ流出する騒ぎとなり、11月には東ドイツ政府による国境開放が発表され、翌年にはついにドイツ統一が実現した。

 むろん、今回の事件はこのような例とはまったく異なっている。そもそも日本による植民地支配から、ソビエトによる占領と現在の 「社会主義」 国家成立へと、民主主義というものを一度も経験したことのない北朝鮮のような国家では、国家に対する公然たる抗議の運動が近い将来に生じる可能性はきわめて低いと言わざるを得ない。しかし、融通の利かぬ 「独裁政治」 というもののジレンマに悩まされているのは、いまやかの国の 「将軍様」 自身のようにも思える。







Last updated  2008.07.13 15:35:37
コメント(7) | コメントを書く
2008.07.07
カテゴリ:国際

 前回の記念すべき250本目の記事から、ずいぶんと間があいてしまった。仕事に追いまくられて、まとまった時間がとれなかったのだ。寝ている時間と飯の時間を除いて、一日中キーボードを打っていたので、しまいには腕がはれ上がりずきずきしてきた。それでも痛み止めを飲んで仕事を続けて、なんとか時間どおりにすべて仕上げたのだから、なかなかたいしたものである。とりあえずは、自分をほめてあげたい。

 その合間に梅雨もあけてしまい、いよいよ本格的な夏になってしまった。いやはや暑い暑い。お天道様は連日エンジン全開。おかげで、夕方ともなると、あちこちで、小さな子供らがぎゃあぎゃあと泣き喚いている。まったく、たいへんな事態である。

 先日、かつてはソビエト連邦の16番目の共和国と言われたこともあるモンゴルで、選挙をめぐって5人の死者を出す大騒ぎが起きた。現場にいた日本人の報道記者も騒ぎに巻き込まれて、重傷を負ったそうだ。

 モンゴルのエンフバヤル現大統領は、まだ二期目に入ったばかりだが、彼の出身母体である人民革命党は 「社会主義」 国家であった人民共和国時代の独裁政党であり、ソビエト解体から始まった 「社会主義陣営」 崩壊の余波を受けた一党独裁の放棄後も、一貫して大統領を出し続けている。つまりは、わが国の自民党のようなものと見ればいいのだろうか。

 いっぽう、南部アフリカのジンバブエでは、3月末に行われた大統領選で現職候補を上回る票を得ていた野党候補が、その後の政権側による露骨な弾圧で決選投票への出馬を断念し、その結果、1980年のジンバブエ成立以来のムガベ長期政権が維持されるという、なんとも珍妙なことになっている。ジンバブエの大統領の任期は5年だそうだから、新たな任期が終了するときには、すでに84歳のムガベ氏は89歳になるというわけだ。これまた、いやはやという話である。

 今から半世紀近く前、フランスの植民地だったアルジェリアの独立闘争に参加したフランツ・ファノンは、白血病による死の直前の残されたわずかな時間を惜しむようにして書き上げた 『地に呪われたる者』 を、次のような文で結んだ。

 ここ数世紀ものあいだ,ヨーロッパは他の人間の前進を阻み,これをおのれの目的とおのれの栄光とに隷属させた。数世紀来,いわゆる「精神の冒険」の名において,ヨーロッパは人類の大半を窒息させてきたのだ。…… 

 ヨーロッパの真似はしまいと心に決めようではないか,われわれの筋肉と頭脳とを,新たな方向に向かって緊張させようではないか。全的人間を作り出すべくつとめようではないか――ヨーロッパは,その全的人間を勝利させることがついにできなかったのだ。

 同志たちよ,われわれには第三のヨーロッパを作るほかになすべきことがないのか。〈西欧〉は〈精神〉のひとつの冒険たらんとした。〈精神〉の名において ――西欧精神という意味だ――ヨーロッパはその罪業を正当化し,人類の五分の四を隷属化したのも正しいことにしてしまった。…… 

 だがこの場合に、能率を語らぬこと、仕事の強化を語らぬこと、その速度を語らぬことが重要だ。

 いや、〈自然〉への復帰が問題ではない。問題はきわめて具体的であり、人間を片輪にする方向へ引きずってゆかぬこと、頭脳を摩滅し混乱させるリズムを押しつけぬことだ。追いつけという口実のもとに人間をせきたててはならない、人間を自分自身から、自分の内心から引き離し、人間を破壊し、殺してはならない。


 1960年は 「アフリカの年」 と呼ばれている。第二次大戦前にはリベリアなど数ヶ国を除いて、アフリカのほとんどの地域が西欧の植民地であったが、現在は53の独立国が存在しており、国連の中では最大勢力となっている。しかし、アフリカがいまなお多くの問題を抱えていることは、いまさら指摘するまでもないだろう。西欧の侵略によって暴力的に世界史の中へ引きずり込まれたこの地域は、植民地支配の傷を抱えたまま、いまもなお血を流し続けている。

 かつての独立の闘士は、いまや権力と富にしがみつくただの亡者になりはててしまった。「革命」 という理念を掲げた多くの国家や党派は、ただ現実の困難の前に座礁しただけでなく、道義的な正当性すらも失ってしまった。いや、むしろ、「理念」 などという安っぽいメッキがはげて、もともとの地金が露出したといったほうが正確なのかもしれない。

 いったん国家が成立し、国家と国家の間に境界が引かれれば、民衆の上に立って独裁的な権力を握った者らは、権力の維持と拡大のみを自己目的化して、民衆の具体的な幸福よりも、隣接する諸国家との争いや、国内の対立勢力の弾圧や抑圧に血道をあげるようになる。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」 という有名な格言から逃れえる指導者や体制など、どこにも存在しはしない。

 「能率を語らぬこと、仕事の強化を語らぬこと、その速度を語らぬこと」
 「追いつけという口実のもとに人間をせきたててはならない」

 たぶん、このような言葉は、36歳で死んだファノンが残したけっして多くはない言葉の中でも、いまなお重要な聞くべき価値があるものだろう。

 ところで、今日は七夕である。七夕とは、言うまでもなく天の川をはさんだ織姫と彦星の年に一回だけ許された待ち望んだ逢瀬の日なのだが、織姫ことベガと彦星ことアルタイルの間の距離は、約15光年なのだそうだ。一方の星から光で合図を送り、その返事を受け取るのに、ほぼ30年かかるということになる。なんとも、壮大な遠距離恋愛ではないか。

 おお、そういえば今日から北海道では 「洞爺湖サミット」 なるものも始まったのだった。







Last updated  2008.07.08 11:18:13
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.29
カテゴリ:国際

 もうすぐ五月である。すでに桜は散り、ツツジがちらほらと咲いている。団地の中の芝生には、細長い1本の茎をひょろひょろと伸ばし、そのうえに豆の花にちょっと似た、紫色のごくごく小さい花をぽつぽつといくつかつけた草があっちこっちに群生している。

 今までに見た覚えのない花だったのでネットで調べてみたが、なんの花か、よく分からない。あちらこちらにいっせいに咲いたことから考えると、どこからか、風に乗って小さな種が大量に飛んできたのかもしれない。まさか、黄砂に混じって、中国からやってきたわけではないだろうが。

 最近になってやっと気付いたのだが、「みどりの日」 がいつのまにか 「昭和の日」 になっていた。「憲法記念日」 と 「こどもの日」 の間の5月4日が休日になっていたことはむろん前から知っていたが、それが 「みどりの日」 をそこに移したためだとはまったく知らなかった。面目ない話である。

 2.26事件で刑死した北一輝は、昭和天皇のことを 「くらげの研究者」 などと陰で呼んでいたそうだが、昭和天皇の専門はたしか粘菌の分類だったはずである。粘菌の研究者といえば、紀州の変人、南方熊楠が有名であり、熊楠は天皇に軍艦 「長門」 の上で粘菌についての講義をしたことがあるのだそうだ。

 事前に予想されていたことではあったが、長野での聖火リレーは大騒ぎだった。なんでも聖火リレーが行われるようになったのは、ヒトラーの第三帝国下で行われたベルリン大会が最初なのだそうだ。のちに、このときのコースをなぞるようにして、ドイツ軍が全ヨーロッパを席巻したということで、このリレーはそのための下調べだった、という説を唱えている人もいるようだが、本当のところは分からない。

 ただ、聖火の行く先々で五星紅旗を振り回す中国人の姿は、外部から見るといささか異様に映ってしまう。アジアでは日本と韓国に続くオリンピック開催ということで、その成功にかける熱意も分かるし、チベット問題に関連した、いろいろな抗議や妨害行動に神経を尖らせているのも分かる。だが、自分たちのそのような行動が世界の目にどのように映るかまでは、いささか頭がまわっていないように見える。

 現在の中国は、拒否権を有する国連安全保障理事会の常任理事国であり、様々な意味において、誰も否定できないまぎれもない大国である。そして、海外からもそのような目で見られている。だが、その一方で、都市の近代化は進み、一部の市民こそ裕福になったものの、まだまだ地方や農村には貧しい人々も多い。百年近くもの間、日本や西欧諸国による政治的経済的な侵略を受けていた記憶も、まだまだ消えてはいないだろう。

 たぶん、中国人自身にとっても、世界で唯一途切れたことのない長い歴史と文明を有し、いまや世界有数の大国の一つになっているという強烈な自負心と、それでもまだまだ全体としては、世界の先進諸国には追いついていないという意識、さらには過去に侵略を受け、国が長く混乱したという歴史感情とが複雑に絡み合って、世界に対する、なにやら屈折した奇妙な感情が生じているように思える。

 そういった感情が、チベット問題をめぐって沸き起こった、北京オリンピックに対する開会式のボイコットだとか聖火リレーへの妨害だとかで、どうやら一種の 「被害感情」 を増幅させ、一部の過激な行動を生んでいるようだ。しかし、このような行動は、ここかしこでくすぶっている、かつての 「黄禍論」 ともよく似た 「中国脅威論」 をさらに拡大させるおそれすらある。

 自分自身についての主観的な評価というものが、必ずしも正しいものではないことは言うまでもない。だが、それと同様に、外部からの評価というものも、必ずしも正しいものではない。外部による評価というものも、それぞれの主観による以上、これも当然ではあるが、とりわけ、中国のように巨大かつ多様であり、しかも内部からの情報がいまだに大きく制限されている国の場合はなおさらである。

 おそらく、多くの在外中国人たちは、自分たちの国家と民族に対する強い誇りに加えて、国外に出ることでいやでも感じざるを得ない、外部から受ける 「大国」 としての自国の評価と、けしてそうとばかりは言えないその実情を知る者としての自己評価との落差にも苦しんでいるのだろう。







Last updated  2008.04.29 20:55:54
コメント(4) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全18件 (18件中 1-10件目)

1 2 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.