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政治

2010.01.22
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カテゴリ:政治

 こちらのサイトによると、「三寒四温」 とは もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表すために使われていた言葉で、シベリア高気圧から吹き出す寒気がほぼ7日の周期で、強まったり弱まったりすることに由来するのだそうだ。

 そこにも書いてあるように、この言葉はたしかに最近では、むしろ低気圧と高気圧が交代しながらしだいに暖かくなっていく、春先の気候変化を表すことが多くなっているが、ここ数日の気候と気温の変動は、まさにこの言葉の本来の意味にぴったりのようだ。

 昨日はひじょうに暖かく、近くにある小さな橋の上から下をのぞくと、浅く透明な川の底に、まるまると太った鯉が潜水艦のようにゆったりと沈んでいるのが見えたりしたのだが、今日は一転して冷え込んだ。明日はもっと冷え込むらしい。

 冬はなんとなく人が死ぬ季節というイメージがある。今年も、かつての名投手小林繁をはじめとして、様々な人の訃報があいついだ。むろん、冬でなくとも人は死ぬのだし、有名人の訃報などなくとも、あちらこちらで人が死ぬことにはかわりない。古代人ならば、冬とは太陽が最も衰える季節であるから、生き物の力もまたそれに呼応して衰えるものと考えるところだろうか。

 世間は不景気のようで、こちらもほとんど仕事がない。つぶれかけた零細塾から転職して、やっとなんとか人並みに暮らせるようになったと思ったら、また前の状態に逆戻りのようだ。とりあえず、しばらくは毎日散歩でもして体力増強とダイエット、それに長年書棚の肥やし状態になっていた積読本の解消に専念しようと思うのだが、それがいつまでも続くようではちと困る。

 ところで、衆議院の党首討論と代表質問で、自民党の谷垣総裁は鳩山首相と千葉法相に対して、「指揮権」 発動について三度も尋ねたという (参照)。この場合の指揮権とは、公法のひとつである検察庁法に定められた、法務大臣の次のような権限をさす。

第十四条  法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。


 法務大臣の指揮権は、このように明確な法的根拠を持つ。であるなら、事件とその捜査をめぐる状況が、今後どのように進行するかも分からないのに、その行使そのものを最初から問題視するような谷垣総裁の質問は、きわめて筋のとおらぬおかしな話でしかない。

 法的にいえば、検察庁は法務省のもとにあり、したがってその最高責任者は法務大臣である。検察庁に所属する検察官は独任官庁と呼ばれ、全体としても、またひとりひとりとしても独立性が強いが、検察庁はあくまで行政機関のひとつであり、法務大臣とひいては総理大臣に責任を負う。そして、同時に大臣はまた検察官の行為に対して、最終的な責任を負う。

 そうであれば、大臣が検察に対して指揮権を持つのは当然なのであり、その行使自体を問題視して、あらかじめ法務大臣の手を縛ろうというのは、本末転倒な話と言わざるを得ない。それに、法で明確に定められた権限を行使することが、それ自体としてはなんの問題も含まないというのは、それこそ 「法治国家」 としては自明の話にすぎない。

 ただし、捜査への政治権力の不当な介入を防止するために、その行使は慎重でなければならない。だから、問題なのは指揮権の行使そのものではない。ただ、そこには正当な行使と不当な行使の区別があるということであり、その正当・不当については、政治家が責任を負うということだ。反対派は、当然その行使を非難するだろう。また、場合によっては、マスコミなどによって激しく批判されたりもするだろう。

 しかし、その結果は国民の声であるところの世論として現れるし、次の選挙にも反映されることになる。つまるところ、政府や政治家の行為の正当・不当について判断するのは、国民自身なのであり、それが保証されているのが民主主義というものなのだ。法定の手続きに従った合法性は、それだけでその正当性を担保するものではない。

 官僚ならば、とりあえず法に従っておけば、責任を問われることはない。足利事件で菅家さんを起訴した当時の検察官が、法的な責任を問われずにすんでいるのは、そういうことだ。しかし、政治家の責任はそういうものではない。合法であっても、不当な権力行使として責任を問われることはある。それを引き受ける覚悟があるのが、ようするにウェーバー言うところの、政治屋ではない本物の政治家ということになる。

 そもそも、法で認められた大臣の指揮権そのものを封じることは、たんなる行政官庁にすぎない検察を、誰に対しても責任を負わない 「聖域」 とすることである。それは、捜査権と起訴権という強大な権力を有する検察を、絶対的な権力とするにひとしい。しかしながら、誰かの言葉にもあるように、絶対的権力は絶対的に腐敗する。そこに例外はない。

 憲法上の三権のうち、司法権は最高裁を頂点とする裁判所がになっている。だが、裁判所は提訴された事件を扱うだけである。とりわけ刑事事件の場合、日本では検察官のみが起訴する権限を持っている。その意味で、検察官は行政権の一部でありながらも、司法権の重要な要素をも構成している。

 まして、有罪率のきわめて高い日本の司法では、検察官の実質的な権力はひじょうに強いといわねばならない。その意味において、検察を誰も手をつけられない不可侵の 「聖域」=「独立国家」 とすることは、それを 「民主主義」 の埒外、言い換えるなら主権者たる国民の手の届かぬところにおくことにほかならない。

 それにしても、かつて自党の議員が検察の捜査を受け、つぎつぎと逮捕・起訴されたときには、「検察ファッショ」 だのなんだのといって非難していた自民党の諸氏が、選挙に負けて野党に回ると、今度は一転して検察を持ち上げ、政府を攻撃するとは、これはなんとも無様なご都合主義以外のなにものでもない。

 政治と金の問題は、たしかに重要な問題である。しかし、その摘発と捜査が検察の恣意に任されるなら、これは政治と政局を動かす大きな武器となる。悪質な違法行為は論外だが、法と手続きの煩雑化はその完璧な順守を困難とさせるものでもあり、場合によっては、「一罰百戒」 を名目とした捜査機関による恣意的な摘発と捜査をも可能にする。それは、政治家に対する生殺与奪の権を検察に与えるに等しい。

 国会がほんとうにこの事件に関心を持ち、真相を究明したいと望んでいるのなら、検察という名の虎の威を借るキツネのようなことをするのではなく、開会直前に逮捕された石川議員を釈放させ、国会の場で宣誓のうえできちんと証言させるべきだろう。それが、少なくとも 「国権の最高機関」 たる議会を構成する者らの矜持ではないだろうか。検察の捜査は、被疑者の身柄を拘束せずとも可能なはずである。

 政府を攻撃するという目前の利益だけで検察の威を借るような、現在の自民党のご都合主義的な言動は、「統帥権干犯」 や 「国体明徴化」 などの名を借り、一部の軍人や民間右翼を利用して、ときの政府や対立する政党、政党人を攻撃し、自らの墓穴を掘ったかつての愚かな政治家らとそっくりである。もっとも、検察が軍のような実力部隊ではないということだけは、幸いというべきではあろうが。

 たしかに、55年体制以来、長年権力を独占してきた政党としては、野党慣れしていないという点はあるだろう。しかし、鳩山政権に対する 「社会主義」 などというピントのずれた非難や、先日発表された党の新綱領原案(要旨)なるものの、選挙前とかわらないイデオロギッシュな愚かさといい、その志のあまりの低さにはあきれるほかにない。

 だいたい、党の綱領というものは一時的な政治状況に左右されない、党の長期的な基本方針を定めた文書のはずだが、これを見ると、現在の自民党には、どうやら現在の対立状況しか目に入ってないようだ。ということは、ひょっとすると、このままずっと 「万年野党」 の地位に甘んじるつもりなのだろうか。







Last updated  2010.01.23 05:42:19
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2010.01.17
カテゴリ:政治

 「すさまじい」 とは、現代語では 「ものすごい」 とか 「恐怖を感じさせるほどである」 といった意味だが、古語では 「興ざめだ」 とか 「殺風景」、「寒々している」 といった意味で使われる。下に引くのは、『枕草子』 の第二十三段 「すさまじきもの」 の冒頭部分。

すさまじきもの  昼ほゆる犬、 春の網代。 三、四月の紅梅の衣。 牛死にたる牛飼。 乳児亡くなりたる産屋。 火おこさぬ炭櫃、地火炉。 博士のうちつづき女児生ませたる。 方違へに行きたるに あるじせぬ所。 まいて節分などは いとすさまじ。

 口語訳は省くが、このほかにも 「除目(ぢもく)に官得ぬ人の家」 などというくだりがあって、これなどは現代でも、内閣の組閣や改造のときに、入閣の知らせをまだかまだかと待っていながら、とうとう連絡をもらえなかった残念な議員さんなどにあてはまりそう。

 さて、報道によれば、小沢一郎民主党幹事長の政治資金をめぐる問題で、同氏の元秘書であった石川知裕議員をはじめ、昨年の西松建設献金事件で公判中の公設秘書、さらに石川議員の後任であったという元私設秘書の三名が、東京地検によって逮捕されたという。

 小沢一郎は、いうまでもなくかの角栄の秘蔵っ子である。「陸山会」 なる彼の後援会の名称も、むろん 「越山会」 という角栄氏の後援会の名前にならったものだろう。とすれば、彼が角栄氏から、政治資金の調達方法や錬金術の指南を受けたことは十分に考えられる。

 その点で、小沢氏に金銭面でダーティなイメージがつねにつきまとうのはしかたあるまい。実際、氏が金銭的にまったくクリーンな人だと考えている者は、おそらく一人もいないだろう。

 とはいえ、現時点での石川議員の逮捕容疑は、「政治資金収支報告書」 への記入漏れによる政治資金規正法違反という、ほとんど形式的な容疑にすぎない。東京地検は、その裏に企業からの不正献金による資金調達とその隠蔽という構図を描いていると思われるが、少なくとも現時点での逮捕容疑は、どう見てもたんなる形式犯にすぎない。

 このようなやりかたは、警察や検察がある事件で狙った容疑者を、通常なら逮捕を要しないような軽微な容疑で逮捕し身柄を確保したうえで、本当の狙いである別の事件について取り調べるという、いわゆる 「別件逮捕」 に限りなく近いように思われる。

 「別件逮捕」 の違法性・合法性という議論については省くが、伝えられているように、もしも、検察が不正献金事件という構図を描いているのなら、その件についての捜査を進め、証言や証拠を集めて容疑が固まった時点で容疑者として逮捕するというのが、少なくとも筋の通った捜査方法であろう。

 日本国憲法には、「両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない」(第50条)という規定がある。いわゆる議員の不逮捕特権というものだ。

 かつて12月に開かれていた通常国会は、国会法の改正によって、現在は1月中旬に開かれるものとなっている。今年の国会は明日18日に招集されるそうだが、その直前の逮捕は、どう見てもこの憲法による制約を免れるための 「駆け込み逮捕」 という感が強い。

 たとえ、議員に不逮捕特権があったとしても、容疑に十分な裏づけがあり、また逮捕に法で定められた正当性と必要性があるのなら、議会に対して逮捕許諾請求を行い、その決議を受けて逮捕することが可能なはずだ。

 実際、ロッキード事件での田中角栄をはじめ、近年では鈴木宗男議員の逮捕なども、会期中の逮捕許諾請求をへて行なわれている。したがって、これはきわめて異例な事態と言わざるを得ない。

 議会の決議には、当然多数の賛成が必要ではある。しかし、十分な裏づけがあるにもかかわらず、多数党がその力で強引に許諾請求を否決したなら、それは当然に世論の批判にさらされるだろう。だから、たとえ多数党の有力議員であっても、請求が否決されることはそうそうあるものではない(参照)

 そもそも、会期中であろうとなかろうと、選挙で選ばれた国会議員が民意の代表者であることにかわりはない。だとすれば、法的にはともかく、検察は議員の逮捕については抑制的でなければならない。別件逮捕に近い軽微な容疑での議員逮捕が安易に認められるならば、それは国家の一機関にすぎない検察を、民意の上に置くことにほかならない。

 健全なる民主主義を育てるのは、国民とその世論の役割なのであって、一国家機関が国民を代弁して行なうべきことではない。むろん、捜査機関の主観的な 「誠意」 まで疑おうとは思わない。しかし、東京地検特捜部といえども 「正義の味方」 などでは断じてないし(そもそも、そんなものはこの世には存在しない)、政治や政争とまったく無関係な超越的存在というわけでもないだろう。

 どんな組織やシステムにも、それ自体の固有の利害というものがある。司法行政をめぐっては、ちょうど取調べの可視化などの議論も起きていることころだ。まして、組織を構成しているのは、地縁、血縁、学閥、閨閥などなど、様々な俗世のしがらみに縛られた具体的な人間である。

 だからこそ、政治がらみの事件捜査では、中立公正さがとくに強く要求される。当然ながら、その中立公正さには、法によって強い権限を与えられた捜査機関が自己の固有の利害で動いてはならないということも含まれる。

 どのような制度的保証があろうと、捜査機関の中立公正さとは、社会的に要請されることであり、少なくとも捜査機関自身が自らを律し、適正な手続きに従うことで守られるものであって、先験的に保証されているわけではない。もちろん当人らが 「わたしたちは中立公正です」 といえば、それがそのままとおるという話でもない。

 国会開会までずいぶんと間があり、それまで待っていられないというのならともかく、開会直前の現職国会議員逮捕という東京地検の今回のやり方は、その点において、憲法と国会法の条文に反してこそいないものの、その精神には激しくもとるもののように思われる。

 故事に 「瓜田に靴をいれず、李下に冠を正さず」 という言葉もあるが、このようなやり方をしているようでは、その政治的意図や背景を推測されてもしかたあるまい。なんとも 「すさまじき」 話としかいいようがない。最後につけくわえておくが、これは、民主党を支持するかしないかとか、小沢氏を支持するかしないかといったレベルの問題なのではない。







Last updated  2010.01.18 02:49:09
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2009.08.28
カテゴリ:政治

  報道によれば、いまや民主党は300議席を超える勢いなのだそうだ。小泉旋風が吹いた前回の選挙では自民党が三分の二を超える議席を獲得したが、ちょうどそれと反対の現象がいま起ころうとしている。

 基礎票がある程度拮抗した条件下では、全体の1割にも満たぬ票が全国規模であっちからこっちへ動いただけで、まったく違った結果が生まれる。小選挙区制の導入は1994年の公職選挙法改正によるもので、実際の選挙としては1996年の第41回選挙以来五回目ということになるが、これで自民党も民主党も、どちらも小選挙区制の恐ろしさを身をもって体験したことになる。このことは、はたして今後の政局にどのような影響を及ぼすことになるだろうか。

 今回、自民党に大きな逆風が吹いている最大の理由は、いうまでもなく、小泉退陣後の安倍・福田と相次いだ政権の投げ出しであり、その後の政権の、あっちに行ったりこっちに行ったりと、まるで定まらなかった舵取りにある。これを一言で言うならば、与党としての自民党の 「責任力」 に対する不信ということになる。

 それにしても、前回の選挙で登場した 「小泉チルドレン」 に入れ替わるようにして、今回もまた多数の新人議員が登場することになる。これは 「鳩山チルドレン」 というべきか、それとも 「小沢チルドレン」 ということになるのか、まだよく分からないが、いささか危惧を感じるところではある。

 ただ、たった1回の風で得た大量議席に胡坐をかき、勘違いして好き勝手なことをしていると、次の選挙でひどい目にあうよというのが、前回の選挙以来のひとつの教訓ではあるだろう。それは忘れてもらいたくない。とはいえ、民主党内ではおそらく大量の新人議員の囲い込みをめぐって、熾烈な党内闘争が繰り広げられることになるかもしれない。もっとも、その大半はすでにどこかのグループのひもがついてはいるのだろうが。

 16年前に細川政権が誕生したときは、河野洋平が下野した党の総裁になり、その後の新進党結成をめぐる連立与党のごたごたの隙をつき、社会党の村山富市を担ぎ出すことで復権に成功した。しかし、今の自民党に、そのうち総理の座につけるという確実なあてもないままに、自分から進んで汚れ仕事を引き受けようというだけの覚悟のある人間がはたしているのだろうか。自民党がかかえている病根は、前回よりも確実に深いと言わざるを得ない。

 いずれにしろ、政治家の世代交代と政界の流動化が、一気に加速することだけは間違いあるまい。それがいい方向に行くか、おかしな方向にいくかは、もちろんあらかじめどうこう言える問題ではない。だが、あちらこちらで酒に酔って醜態をさらした政治家や、ピントのずれた時代錯誤なイデオロギーを振り回してばかりというような政治家には、今回の選挙で落ちたなら、次があるなどといわず、このさいすっぱりと足を洗ってもらいたい。それがなによりもこの国のためである。

 小選挙区制とは、いわば選挙区ごとに候補者が党の代表として争う選挙である。中選挙区ならば、大政党の場合、複数の候補者が立てるので、あの人よりもこの人という党内での選択も可能だが、小選挙区ではそうもいかない。だから、実際の選挙だけでなく、候補者選考の過程もひじょうに重要だということになる。したがって有権者にとっては、選挙前の党による候補者選考の過程に介入することも必要になるだろう。そうでなければ、国民はただ備え付けのメニューをあてがわれるだけのお客さんということになってしまう。

 本来ならば、候補者選考の過程には、地域地域での党員や党の支持者の意見だとか、有権者の動向などが反映されることが望ましいのだが、現状は必ずしもそうなっていない。そもそも、日本の政党は、ほとんどが近代政党としての組織の体をなしていないし、逆に組織された政党のほうには、非民主的な上意下達のうえに、内側に閉じこもり外に開こうとしない傾向がある。

 小泉旋風は劇薬のようなもので、その効き目におぼれたことが、その後の自民党の首をしめることになった。党の代表というものはむろん大事だが、その個人的人気という、いささかあやふやな即効性のみを期待して、これに頼ることは、法で禁止された危険な薬物に手を出すようなことであって、やっぱり誉められることではない。

 そもそも、幹部や将来を期待されていた(?)中堅議員を含めて、大量の前議員の落選が予想され、いったい誰が国会に戻ってこられるか分からないという状況では、選挙後の党の体制がどうなるかもさっぱり分からない。党内の小派閥などは消滅してしまうかもしれないし、そうでなくとも幹部クラスの落選によって、実質的に派閥として機能しなくなるようなところも生まれるだろう。

 言うまでもなく、麻生がこのまま党総裁の座にいすわり続けられるはずはない。だれが当選しようが、だれが落選しようが、歴史的な大敗によって、これまでの党内の幹部・中堅クラスの発言力が大きく減退し、当選回数による年功序列的な党内体制が動揺することも、間違いないだろう。

 政界の勢力図が大きく様変わりすれば、民主党にとっても自民党にとっても、党内の流動化が生じるのは必至である。とりわけ逆風を受ける側にとっては、選挙後の体制がどうなるかさっぱり見当がつかないというのも、これまた小選挙区制の恐ろしさということになるだろう。むろん、いまはみな自分のことで精一杯で、そんなことを考える余裕などないだろうが。







Last updated  2009.08.28 19:11:40
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2008.11.22
カテゴリ:政治

 先週あたりから九州もいよいよ寒さが増しており、日中の最高気温も十数度にしかならない。気がつくと、ついこないだまでは夕方6時を過ぎてもまだ明るかったのに、今や6時でもう真っ暗である。

 急激な寒さのおかげで、数日前には熱を出してしまった。夜になって体がぞくぞくしてきたので体温計で測ってみたところ、38.5℃もあった。こりゃ大変だ、と家人に訴えたところ、「そんなもん、たいしたことない」 と軽く一蹴されてしまった。それどころか、「あんた、私が熱を出したときになんかしてくれた?」 と、逆ネジを食らってしまった。とんだ薮蛇であった。

 ところで、巷では 「未曾有」 を 「みぞゆう」、「踏襲」 を「ふしゅう」 と読んだとかで、麻生首相による数々の読み間違い、言い間違いが話題のようである。言い間違いの心理についてはフロイトの説明が有名だが、『精神分析学入門』 には、昔、ある国の議会の議長が、議会の開会を宣言しようとして、つい 「閉会」 を宣言してしまったという話が引用されている。

 この話は 『日常生活における精神病理』 の中により詳しく書かれており、これによるとそもそものねたは、メーリンゲルという人の 「いかにして人は話しそこなうか」 という論文にあるのだそうだ。フロイトはこの人の論文から、次のように引用している。訳が古いのでちょっと読みにくいが、そこはご勘弁を。

 私どもは近頃オーストリア衆議院議長が議事を開いたときの様子を今もなお記憶している。
 「諸君! 一定数の諸君の出席がありますから議事を閉じます!」 と彼が言い、満場の哄笑にあってはじめて彼は気づいてその誤りを訂正したのである。この場合においては議長はあまり良い結果を期待しえない会議を早く閉じうる立場にいたいと希望したということに説明すべきであろうと思われる。(以下略)

 時代は19世紀末、音楽の都ウィーンを首都とし、名門ハプスブルク家が治めるかつての栄光あるオーストリア帝国も、東はロシア、北はドイツ、西はフランス、さらに南はイタリアにはさまれ、おまけに国内では皇帝陛下に反抗的な社会民主党の伸張著しく、帝国東部ではスラブ系諸民族のナショナリズムも高まっていた時代であるから、議長閣下が頭痛のあまり議会を早く閉じてしまいたかったというのも分からないではない。

 昔、塾に務めていたころの話だが、中学生相手の地理の授業中に、福岡県の特産として有名な果物は何か、という質問をしたところ、いきなり大声で 巨乳! と答えた生徒がいた。むろん、これは巨峰の誤りであり、本人は巨峰と言うつもりでの単純な言い間違いである。

 巨乳! という言葉が室内に響き渡った次の瞬間、もちろん教室中が爆笑の渦に巻き込まれ、当の本人もすぐにその言い間違いに気付いて真っ赤になってしまったのだが、これなどは日頃からエロエロな妄想で頭がパッツンパッツンしている、純情可憐な男子中学生ならではの言い間違いである。

 首相は母校の学習院大で開かれた 「日中青少年歌合戦」 のあいさつで、日中韓首脳会談について 「1年のうちにこれだけ 『はんざつ』 に両首脳が往来したのは過去に例がない」 と言ったそうだが、これなども、やはり無意識のうちに、ああ、面倒やな、煩わしいな、これじゃ好きなサンデーもマガジンも読めねえよ、という日頃の心理が働いて、原稿の中の 「頻繁」 という文字が目に入った瞬間、自動的に字面が似た 「煩雑」 に置き換えられ、そう言ってしまったのだろう。まさか、「ひんぱん」 と 「はんざつ」 の言葉の違いを知らなかったわけではあるまい。

 また、漢字が使われている熟語などは、その正しい読み方をきちんと確認せぬまま、間違って覚えていても、意味だけは用例や話の前後などから、それなりに理解しているということもありうる。「未曾有」 を 「みぞゆう」、「有無」 を 「ゆうむ」 と読んだなどという例は、たぶんそういうことだろう。

 いくらなんでも、還暦をとうに過ぎ、議員歴もすでにほぼ30年になろうという人が、そういう言葉そのものを知らなかったとは考えられない。それに 「未曾有の危機」 なんて言葉は、首相が好きだと公言している漫画でも、かわぐちかいじの 「沈黙の艦隊」 あたりならごく普通に出てきそうなものである。

 ただ、そういう覚え間違いは、たいていは若い時分の話であり、他人の話を聞いたり、会話をする中で次第しだいに訂正されていくものである。言い間違いや読み間違いをして、他人から指摘されたというような経験は、たぶん誰だってあるだろうが、そういう指摘を受ければ、恥をかかされたなどと怨みに思わずに、教えていただいたと思って感謝すればいいだけのことである。

 しかし、その種の間違いが、還暦過ぎてもまだこれほど多く残っているということは、この人はそもそも人の話や指摘にほとんど耳を貸さない人なのか、それともこれまでは、その種の言い間違いに対して、誤りを指摘する人がほとんどいなかったのかのどちらかということになるだろう。むろん、その両方ということもありうるが、彼の周囲には、アンデルセン描くところの 「王様は裸だ!」 と指摘するだけの勇気ある少年がいなかったということは、十分に考えられることだ。

 話を元に戻すと、どうやら首相自身、ああ、面倒だ、煩わしい、という心境のようだから、ここは与党の皆さん、党内で一致団結して首相をその椅子から引きずりおろして差し上げるのが、ご本人のためにもなるのではあるまいか。二転三転、朝令暮改を繰り返し、悪評紛々となった全家庭への一律給付金の発表以来、麻生氏への風当たりは強まる一方であり、政権への求心力はとうに失われている。このままでは、解散総選挙など夢のまた夢であろう。

 そもそも麻生氏が将来の総裁候補と呼ばれるようになったのは、小泉時代に 「麻・垣・康・三」 などというキャッチコピーで持ち上げられるようになったのがきっかけだが、そのうち二名はすでに過去の人となり、また一名もいまや気息奄々の状態である。

 小泉政権の終了からわずか二年ちょっとで、四人もいた将来の総裁候補のうち、残りは古賀派と和解して、宏池会の代表世話人とやらに納まった谷垣禎一氏ただ一人になってしまった。時の流れというものは早いものであり、まことに残酷なものである。


追記: 偉そうなことを言いながら、「西はロシア」、「東はフランス」 と東西を間違えてました。面目ありません。なお、当時の オーストリア=ハンガリー帝国 とフランスは、直接に国境を接してはいません。直接国境を接していたのはスイスですが、とりあえずオーストリアを四方から包囲していた大国の1つということで、名前をあげました。







Last updated  2008.11.24 00:27:04
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2008.11.16
カテゴリ:政治

 報道によれば、田母神前空幕長は自衛隊内部に向けた 『鵬友』 という冊子の中で、「身内の恥は隠すものという意識を持たないと、自衛隊の弱体化が加速することもまた事実ではないか。反日的日本人の思うつぼである」 と書いていたそうだ。

 これはまた、ずいぶんと呆れた話である。「反日的日本人」 とは、いったいどういう意味なのだろう。言うまでもなく、日本という国はすべての国民によって構成されているのであり、国民の外部に 「日本」 なる国があるわけではない。彼はいったいいかなる根拠に基づき、またいかなる権利によって、国民の一部に対して 「反日的」 などという愚劣な言葉を用い、レッテルを貼っているのだろうか。

 この言葉の意味は、明らかに戦前に頻繁に使われた 「非国民」 という言葉と同じである。憲法に従えば、自衛隊もまた 「国家機関」 のひとつとして、国民全体に責任を負う機関である。いかなる政治信条を有していようとも、すべての国民は、それぞれが国家を構成する国民の一部なのであり、国民の一部をその政治信条などによって、国家を構成する国民から勝手に排除するような権利など、誰も持ってはいない。

 憲法で保証されている思想や信条の自由、思想や信条による差別の禁止とは、そういう意味である。自衛隊のトップが自己の個人的な信条と異なるからといって、一部の国民を恣意的に敵視するような発言をしていたことは、それだけで立派に 「懲戒処分」 に相当すると言っていいだろう。

 自衛隊は、言うまでもなくこの国において最大かつ最強の武装組織である。したがって、そのような武装組織には、厳正な政治的中立が要請されなければならない。ところが、田母神氏は渡部昇一やアパグループのような、イデオロギー的にきわめて偏向した特殊なグループと交際していたのであり、これはそれだけで重大な問題である。武装組織の幹部がこのように公然とイデオロギー化し、「政治化」 していることこそが、今回の一連の騒動における最大の問題と言うべきだ。

 60年安保のときに、岸首相からデモ対策としての治安出動を要請されたさい、ときの赤城宗徳防衛庁長官(安倍内閣で自殺した松岡農水相の後任を務めた赤城徳彦議員の祖父)は、自衛隊を出動させれば益々デモはエスカレートするとして、その要請を拒否したという。そこには、少なくとも国民の目に対する意識というものがあった。今の田母神氏を始めとする一部の自衛隊幹部に欠けているのは、まさにそのような意識であり自覚だろう。

 田母神氏の先輩に当たる佐藤守という自称 「軍事評論家」 は、そのブログで同氏の言動について、「憲法解釈の制約などで十分な活動が出来ない自衛隊の現状に一石を投じる狙い」で行った、彼独自の「無血クーデター」ではなかったのか と書き、「昔だったら226だ!」 などという隊員OBの 「意気盛んな」 意見を紹介している(参照)。しかし、そこには国民との関係、国民に対する責任という意識が完全に欠落している。まったくあきれ果てたものだ。

 自衛隊の前身である警察予備隊が創設されたのは、朝鮮戦争が勃発した直後のことであり、当初は旧軍の関係者がその多くを占めていた。その中には、かつての旧軍の轍を踏んではならないということを肝に銘じていた人もいたはずである。

 だが、一般に 「過去」 というものは、そのリアルな記憶が忘れられるほど、美化されるものだ。年をとると皆口々に 「昔はよかった」 と言いたがるのはそのせいだが、今の彼らは、まさにそのような 「老人性健忘症」 に掛かっているように思える。

 自衛官の教育に関して、防衛省側からは 「歴史教育をしっかりやりたい」 という発言があり、これに対して、自民党の国防関係合同部会では、「政治将校をつくるのか」「憲法違反の恐れがある」 などという批判が出たそうだが(参照)、これまた頓珍漢な話である。政治将校(コミッサール)というのは、ロシア革命でトロツキーが赤軍を創設したさいに、革命政府への忠誠心が疑わしい帝政時代の将校を監視するために置いた役職のことだ。

 したがって、それは本来 「シビリアンコントロール」 と対立するものではない。通常の軍隊にそのような役職がないのは、たんに通常の国家においては、その必要がないからにすぎない。しかし、こうまでも、政府と憲法に対する一部の自衛隊幹部の忠誠心が怪しくなってきては、それもやむを得ないというものだろう。そもそも、自衛隊内において歴史的事実を無視したきわめてイデオロギッシュな 「政治教育」 をやっていたのは、ほかならぬ田母神氏らではないか。

 産経新聞の花岡信昭のような自称 「愛国者」 の中には、この田母神 「論文」 を擁護している者もいるようだ。しかし、その政治的立場の如何にかかわらず、この 「論文」 を評価している学者や研究者は一人もいない。彼が依拠しているのは、渡部昇一やユン・チアン、それに櫻井よしこなど、とうてい学術的な検証に耐えない、非専門家によるあやふやな 「資料」 ばかりである。

 スターリンが毛沢東率いる中国共産党の力をまったく信用していなかったのは、有名な話である。彼は、毛が装備においても兵力においても格段の差があった蒋介石に勝つとは、最後まで考えていなかった。だからこそ、旧満州を占領したさい、赤軍は満州内の工場施設など一切合財を自国へ強奪していったのであり、そのことが後の 「中ソ対立」 の伏線にもなっている。そのようなことを考えれば、ソビエトが指導するコミンテルンが、中国共産党の勝利のために様々な陰謀を画策したなどという話は、まったくありえない馬鹿話である。

 空自のトップが、このような現代史の常識もわきまえずに、馬鹿げたガセ情報に踊らされるような愚か者であることを見て、腹の中でいちばん嘲笑っているのは、おそらくは 「愛国者」 諸氏が日頃から蛇蝎の如くに嫌っている中国や朝鮮・韓国の識者や指導者たちだろう。世の中には 「情報戦」 などという言葉を得意げに振り回している連中がいるが、そのために必要なのは、なによりもまず情報の真偽を確かめ、誤った情報に踊らされないという能力のはずである。

 アメリカもまた、自衛隊の幹部がこのような愚かな人間であることを見て、口には出さずとも、おそらく腹の中では 「自衛隊なんてしょせんこんなレベルだ」、「日本の自立なんてただの夢物語さ」 などと笑っていることだろう。マッカーサーは帰国後の米国議会で、日本人を指して12歳の子供と言ったそうだが、「国辱」 とはこういうときにこそ使うべき言葉である。

 それにしても、そのトップが 「ルーズベルト陰謀論」 などという馬鹿げたお話の信奉者であることが暴露されて、いちばん迷惑しているのは、日常的に米軍に協力し、米軍と協同している彼の部下や同僚たちではないだろうか。まったくもって、愚かな上司を持つと部下が迷惑するという典型的な例である。







Last updated  2008.11.17 01:54:49
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2008.11.08
カテゴリ:政治

 前航空幕僚長の田母神俊雄氏が、アパ・グループの 『真の近現代史観』 なる懸賞論文(審査委員長はかの渡部昇一先生)に応募して、「最優秀藤誠志」 賞(賞金300万円、副賞が全国アパホテル巡りご招待券なのだそうだ)を受賞した件は、すでにあちこちで評判になっている。

 もっとも 『日本は侵略国家であったのか』 なるこの 「論文」 のおかげで、田母神氏は航空幕僚長を解任され、その結果、定年に引っかかって退職するはめになってしまった。そのうえ、浜田防衛大臣からは退職金6000万円の 「自主返納」 を求められているそうで、そうなっては、アパからもらった300万円の賞金と全国のアパホテル巡りだけでは、割りが合うまい。

 報道によれば、懸賞に応募した235人のうち94人が自衛官であり、しかも田母神氏が10年前に司令を務めていた、小松基地(石川県)の第6航空団からの応募が突出して多い(参照)

 同航空団ではアパの募集要領を見て、幹部教育の一環として幹部に提出を求めた課題論文のテーマを、アパの懸賞の課題と同じにしたのだそうだ。隊内で提出された論文のうち62本が懸賞にもそのまま応募論文として提出された結果、同航空団からの応募がとくに多くなったということらしい。

 しかし、アパグループの元谷外志雄代表は石川の出身で、「小松基地金沢友の会」 なる組織の会長を務めており、しかも田母神氏の10年来の友人なのだそうだ。これでは今回の懸賞と授賞そのものが、アパと田母神氏、それに小松基地によるできレースと疑われてもしかたがあるまい。

 だがそれにしても、この田母神 「論文」 なるもの、内容はずいぶんとお粗末である。日米開戦をはじめとして、戦前の事件はあれもこれも 「コミンテルン」 の陰謀ということになっている。しかし、それほどまでにコミンテルンが有能だったのなら、なぜスターリンはヒトラーの電撃戦の前に敗走を重ね、レニングラードとモスクワ、さらにはスターリングラードにまで迫られ、包囲されるという憂き目にあったのだろうか。さっぱり理解できない。

 たとえば、田母神氏は 「論文」 の中で、「しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない」 と言っている。これは、まるで、世界のすべての抑圧された人民大衆に決起を呼びかけるかのような、ずいぶんと過激な発言である。

 なんだか、「万物は争いより生じる」 といった古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(もっともこの場合の 「争い」 とは、実際の争いというよりも、対立や矛盾一般を意味するという説もあるようだが)や、「持続的な平和でさえも諸国民を腐敗させるであろう」 とか 「国民の自由は死ぬことを怖れたために滅びたのである」(法哲学)といったヘーゲルを連想させるが、田母神氏は、きっとどこかで聞きかじった言い回しを意味をよく考えもせずに使っただけなのだろう。

 さらに、田母神氏は 「日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実効支配が続いている」 と言っている。

 先の言葉とあわせると、これではまるで、アメリカから基地を返して貰いたければ、もう一度アメリカと戦う覚悟をしろと言っているように聞こえる。この 「論文」 は英訳されて広く世界に発信されるそうだが、そんなことをして本当に大丈夫なのだろうか。

 ところが、今度は 「但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている」 とくる。田母神氏は、日本の 「自立」 を主張しているようだが、であればなによりも、現状の 「対米従属」 から脱却することこそが、一番の課題ではないのだろうか。

 田母神氏によれば、「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない」 のだそうだ。だが、その 「古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国」 である日本が、わずか200年ちょっとの歴史しか持たないアメリカを 「親」 として、「良好な親子関係」 とやらを結ばなければならないというのだから、これは笑止としか言いようがない。

 そんなことでは、田母神氏によれば、欧米列強という 「白人国家の支配」 からの 「アジア解放」 と 「人種平等の世界」 実現のために戦ったという、靖国の 「英霊」 も泣くというものではないだろうか。ようするに、この人は、そもそも自分がなにを言っているのかすら分かっていないのだろう。

 矛盾はそれだけではない。論文の頭のほうでは 「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」 といいながら、結論は 「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」 となっている。

 「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」 ということは、少なくとも日本が 「侵略国家」であることを認めたことになる。だとすれば、これはどう考えても、「日本が侵略国家とは濡れ衣だ」 という結論とは両立しない。どうやら、この人は、初歩的な論理すら操れないようだ。

 自衛隊はいうまでもなく、大砲や戦車、ミサイル、航空機などを装備した 「軍隊」 である。そういう武装した組織のトップが、あまりに切れ者であるというのもいささか怖い気がするが、こうも愚かな人間だというのも、これはこれで問題だろう。

 トップの人間には全体を統括し管理する責任がある。とりわけ、軍のような武装組織では、現場が武器を保持しているだけに、その責任はきわめて大きい。そのトップがこれではちと心配になる。どの組織でも、トップが愚かであれば、実権はより下の中堅層に移り、しばしば下部による勝手な独走を許すことになる。それは、かつての旧陸軍でも見られたことではないだろうか。

 戦前の話だが、かつて 「皇道派」 と称された 「天皇親政」 と 「昭和維新」 を主張する陸軍の上層部は、大川周明や北一輝らの民間右翼と手を結んで、「国体明徴化運動」 を唱導し、美濃部達吉の天皇機関説を排撃するなど、多くの学者を大学から追放した。その結果、軍内部に種々の超国家主義思想が流入し、青年将校らによる様々な暗殺やクーデターなどの事件が頻発することとなった。

 彼ら 「皇道派」 は2.26事件をきっかけに、東条ら 「統制派」 との抗争に破れて、軍の一線からは退くことになる。しかし、政党政治の崩壊と軍国主義、そして戦争への道を掃き清めたのは、まさに彼らのように馬鹿げたイデオロギーを振り回すばかりで、自分がなにを言いなにをやっているのかも理解できていない、愚かな連中なのであった。

 田母神氏をはじめとする一部の自衛隊幹部と、渡部昇一やアパグループとの関係には、なにやら、そういうかつての軍部と民間右翼の連携を思わせるものがある。もっとも、今回の場合には、どちらも戦前の軍人や右翼思想家に比べればはるかに小物であり、まさにマルクス言うところの、繰り返された二度目の 「喜劇」 というべきではあろうが。

 結論を言えば、どう見ても、これはとうてい 「論文」 などという代物ではない。せいぜい、高校生の夏休みのレポート程度のものである。それで賞金300万円とは、平均的な日本人の年間所得の半分以上にはなるだろうから、なかなかいい商売である。もっとも、6000万円の退職金を取り上げられては収支が合うまいが。

 ちなみに、田母神という姓、なかなか珍しいのでちょっと調べてみたら、福島県郡山市に田村町田母神というところがあるのを見つけた。郵便番号は963-1243で、田母神小学校というのもある。田母神氏は、ひょっとしてここの出身なのだろうか。むろん、彼自身がということではなく、数代前のご先祖さんが、という可能性もあるが。


追記(11/14): 田母神氏の「歴史認識」があやしげな「著作」のあやふやな「証言」に基づいた妄言にすぎないことは、 下のようなサイトを参照すれば十分に明らかです。

盧溝橋事件 中国共産党陰謀説

「日本は侵略国家であったのか」を読む

また、保守的な立場にある秦郁彦氏ですら、この「論文」の低レベルぶりには呆れています。要するに話になりません。「愛国者」を気取る方々が、本当に国を憂えるというのであれば、とんでもな情報に踊らされるような愚かな人がこの国の「国防」のトップにいたという事実をこそ、まず憂えるべきでしょう。

「マンガ的な低レベルのやりとりで不快でした。肝心の国防について、『これでは国を守れないから困る』といった注文が出ているわけでもない。戦争を巡るコ ミンテルン陰謀説は、徳川埋蔵金があるとかないとかいったレベルの話です。懸賞論文で最優秀賞を取ったのが不思議でならない。『村山談話』への挑戦とも言われているが、論文には『む』の字もない。本人は『そんな談話あったかな』といった程度の認識でしかないのでしょう」

現代史家・秦さん「低レベルで不快」






Last updated  2008.11.14 16:45:10
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2008.11.06
カテゴリ:政治

 アメリカの大統領選挙は、民主党のオバマ候補が当選した。これが今後の日本や世界にとってどういう影響をもたらすかはわからないが、とにかくキング牧師らによる公民権運動からわずか40年で、明確に 「有色人種」 の血を引く大統領が誕生したということは、アメリカの歴史にとって画期的なことだと言っていいだろう。

 公民権運動が始まる前の、学校やバスの座席、出入りする公園や飲食店の類にいたるまで、黒人と白人とが別々に分けられていた時代を知る人らにとっては、おそらく隔世の感があるに違いない。心配されていた 「ブラッドリー効果」 は、たいした影響がなかったようだ。オバマ陣営と彼を支持する人たちには、そのような 「効果」 など吹き飛ばすだけの勢いがあったということなのだろう。

 とはいえ、先日、白人青年らのネオナチグループによる暗殺計画が発覚したように、黒人の血を引くという理由だけで、彼を敵視する人々はアメリカ国内に明確に存在する。選挙期間中も危惧されていたことであり、当たって欲しくはない予想だが、今後はさらに、彼に対するそのような攻撃を目論むグループが出てくることが心配される。

 日本では、選挙期間中、福井県の小浜市がオバマつながりで一躍脚光をあびたが、長崎の雲仙にも温泉で有名な小浜という町がある。こちらのほうも、きっとオバマ人気にあやかって客を集めたいところだろう。

 さて、以前に 「過剰なる自信についての戒め」 なる雑文を書いたが、世の中には、明らかに自己評価が高すぎるとしか思えない人というのが存在する。人間というものは複雑なものであり、また日々変化しているものでもあるから、その評価はもともと簡単ではないが、これが客観視が難しい自分のこととなるとさらに困難である。

 したがって、そういう評価というものは、つねに高すぎるか低すぎるかのどちらかということになるだろう。そもそも、なにがどうなったときが、誤差なしのぴったんこに正確な評価なのかということも判然とはしないのだから。

 ただ、人はいろいろな経験を重ね、失敗と成功を繰り返し、あるいは他人を鏡とすることで、過小評価と過大評価をたえず修正しながら、自己の客観的な評価に務めるものだということは言えるだろう。

 それに対し、自己評価が高すぎる人というのは、一貫して自己を過大に評価し続けている人のことだ。そのような人というのは、おおまかに言うと、つねに周囲からちやほやされてきたために、自己を客観視する機会に恵まれなかった人らと、決して最初から恵まれていたわけではなく、そこからの努力によって成果を収めたのであるが、そのような成功がかえって過剰な自信となり、慢心に陥っている人らの二種類に分けられるだろう。

 岸信介の孫で、総理の座を目前にして亡くなった安倍晋太郎の次男でもある安倍元首相は、明らかに前者のタイプである。それに対し、吉田茂の孫である麻生現総理の場合には、麻生グループの経営者として石炭不況を乗り切ったという 「実績」 もあるようだから、後者の要素も少しはあるのかもしれない。

 ただし典型的な後者のタイプというのは、一代で会社を育て上げ、財をなしたような人とかによく見られる。ダイエーの中内氏のように大きな成功をあげた人というのは、それがカリスマ的な権威となるため、周囲の人間としてはなかなか意見が言いにくいものである。これが嵩じると、他人の意見には耳を貸さないワンマン経営者が誕生するのである。

 いずれにしても、こういう 「自己評価」 の高い人というのには、他人から意見されたり、反対されることを嫌うものである。そのため、そういった意見をする独立心と自尊心を持った人らは、やがて一人去り二人去りと、その周囲から離れていくことになる。

 それに、そういう 「自己評価」 が高い人自身、どちらかというと自分と対等とか自分より上だと見た人よりも、自分より下と見た人との付き合いを好む傾向がある。それはむろん、そのほうが高すぎる自分の 「自己評価」 が損なわれる恐れがないからである。

 そういう 「自己評価」 の過大さというものは、たいていの場合、本人自身、どこかで気付いているものだし、利休に腹を切らせた、かの秀吉のように、どこかに劣等感が潜んでいる場合というのもあるだろう。

 実際、一部で 「お友だち内閣」 と揶揄された安倍内閣がそうだったし、現在の麻生内閣にも、その傾向はあるように見える。麻生首相はなんでもかんでも 「オレがオレが」 という人のようだが、そうなると自分より格上の人が近くにいたりすると、邪魔で邪魔でしょうがないということになる。

 少女マンガはよく知らないが、昔から学園ドラマなどでは、あるとき、あまり目立たず、どこといってとりえのない平凡な少女が、クラスの女王様から声をかけられ、交友が始まるといった話が演じられてきた。

 こういう話は、たいてい華やかな女王様から 「お友だち」 認定されたと思って有頂天になっていた少女が、あることがきっかけで、自分は対等な 「お友だち」 ではなく、女王様の地位を脅かすおそれのない、ただの無害な召使いとして扱われていたのに気付いて、ショックを受けるというような結末になる。

 こういうことが、現実の 「学園」 で実際にあるのかどうかはともかく、麻生氏と、鳩山弟を始めとする彼の取り巻きの間には、なんとなくそのような関係があるような気がするのだ。

 むろん、こういう関係も、ただの個人的な関係であればどうでもいいことだ。だが、これが組織の長となると、そうもいかない。そういった人間が組織の頂点に立てば、当然その周りには、彼より劣る、彼にとってその地位を脅かす恐れがないと目された人間ばかりが集まることになる。

 そういった組織が二代、三代と代を重ねれば、当然ながら組織はそれだけ劣化が進み、崩壊の一途をたどることになるだろう。維新以来の長州閥を始めとする、地縁血縁で結びついた様々な派閥によって壟断されていた、かつての大日本帝国陸軍がそうであったように。

 海の向こうでは、初の 「黒人系」 大統領の誕生でわいているが、こちら側では吉田、鳩山、岸という、互いに争いながら良くも悪くも戦後史に名を刻んだ宰相の孫らによる、「仲良し」 政治の真っ最中である。

 9月の自民党総裁選では、秋葉原での 「オタク」 人気を強調して、あたかも全国民的に人気があるかのようなプレゼンをした麻生氏が選挙に勝ったが、その後の世論調査では実際の支持率はそれほどでもないことが暴露された。これは、ようするに一部の 「オタク」 人気のみで全体を図ろうとした、サンプリングの誤りということである。

 就任当初、早い段階での選挙を考えていたらしい麻生氏は、景気対策を理由に選挙の引き伸ばしを図っている。しかし、ずるずると引き伸ばしたところで、麻生内閣の支持率が上がるとも思えない。実際、テレビにあの周囲を睥睨してだみ声でしゃべる、いかにも傲慢そうな顔が映るたびに、支持率は下がっていくばかりではないだろうか。

 選挙に勝てる総裁ということで麻生氏を選んだ自民党内からは、そろそろ 「話が違うじゃないか」 という声が聞こえてきそうである。


関連記事:麻生内閣が誕生した (2008.09.24)
      「無知の知」あるいは「無能の能」(2007.07.26)







Last updated  2008.11.07 03:26:15
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2008.09.24
カテゴリ:政治

 報道によると、麻生内閣がついに誕生したとのことである。初代の伊藤博文内閣から数えて内閣としては92代目、総理大臣としては59人目ということになる。地元福岡としては、戦前の広田弘毅内閣以来、70年ぶりの総理誕生ということで盛り上がっているらしい。「らしい」 というのは、半径2kmの範囲だけで暮らしている者としては、ちっともそのような盛り上がりが感じられないからである。

 発表された閣僚名簿によれば、8年前に急死した小渕恵三元総理の次女である小渕優子衆院議員が、34歳という戦後最年少の年齢で入閣をはたしたそうだ。少子化担当大臣ということで、消費者行政担当相の野田聖子とあわせて二人の女性大臣ということになるが、それなりの実績と主張を持つ野田に比べれば、こちらの入閣はいかにも、という感じである。

 ほかには中川昭一や鳩山邦夫など、ありゃありゃまたか、というような面々ばかりである。数々の失言で内閣の足を引っ張ってばかりいた鳩山弟は、福田康夫による内閣改造でせっかく首になったのに、また大臣に戻すとはいったいどういう了見なのだろう。いくらお友達だからといって、自分で自分の首を絞めるような人事をしてはまずいのではないだろうか。

 ちょうど一年前に書いた、不思議の国 「日本」 という記事への追記で、福田・麻生両氏による総裁選の結果について、次のように書いた。

 総裁選で、麻生氏が200票近い票を得たのは、予想以上の善戦であった。選挙当日、自民党本部前には若者を中心にした「麻生応援団」が登場したり、党員投票では、麻生氏のほうが福田氏をわずかながら上回っていたという報道もある。

 ただ、これは福田氏が旧来の自民党的なものを代表しているように見えるところからの福田氏への反発や、福田で選挙が戦えるのだろうかという不安感が一部に存在したことの結果のように思える。

 小泉流の「劇場型政治」に幻惑された者らは、「キャラが立った」麻生氏に、「夢よ、もう一度」とばかりに、小泉型政治家の登場の夢を託したのだろう。

 しかし、麻生太郎というキャラクターには、どうも小泉のような大衆性が欠けているようだし、政治的嗅覚もいまひとつのように思える。基盤となる自己の派閥の弱さもあるが、どこかマイナー感が抜けないところが麻生氏の決定的な弱点だろう。

 麻生が福田康夫に惨敗してからわずか1年しか経っていないが、この一年間でとくに麻生が政治的な実力をつけたとも、彼の株がとくに上がったとも思えない。この結果は、ただ、たんに福田が勝手にこけて、麻生に鉢が回ってきたというだけのことだ。

 というより、小泉退陣後の一年ごとに続いた、安倍、福田、そして今回の麻生の総理・総裁就任とは、戦争で言えば、大隊長が戦死し、さらにその次の隊長代理も、その次の代行も、と次々と戦死して、やむなくなんの経験も実力もない未熟者がただ順々にトップに押し出されてきたもののように見える。

 昨年、あれほど麻生に対する不信と反発を顕わにしていた連中は、いったいどういうわけで、今回は麻生支持に回ったのだろうか。現在の自民党は、どうやらまともな政見も見識も持たず、政権維持という目先のことしか考えぬ、ただの烏合の衆と化しているようだ。

 総裁選で二番手に付けたのは、予想どおり麻生よりも年上の与謝野馨だったが、このことはもはや、自民党には、次代を担うべき人材が完全に払底したということを象徴しているようにも思える。

 小池以下の三名は、今回総裁選に名乗りをあげたことで、「総裁候補」 として認知され、いずれ待っていさえすれば、自分にもそのうちに番が回ってくるぐらいに思っているのだろうか。だとすれば、それはあまりに甘い考えというものだろう。

 そもそも小池や石原を推した当選回数の少ない 「若手」 議員など、次の選挙ではどうなるかも分からない連中ばかりではないのだろうか。そのような議員の支持や票など、いくら集めたとしてもほとんど意味はあるまい。

 なんとも言えない、緊張感に欠けた茶番の選挙だった。小泉政治によって始まった自民党の解体と崩壊は、もはや止まるところを知らない最終段階へとはいったと言うべきなのだろう。いずれ、総選挙が行われることは確実だが、麻生内閣誕生で、現在の自民党に対する逆風がはたしてやむかどうかはきわめて不明である。それに、いずれにしても、それで参議院での与野党逆転という状況が変わるわけでもない。

 いうまでもないことだが、現在の衆参両院の 「ねじれ現象」 を解消する、もっとも手っ取り早い方法は、民主党が総選挙で勝利することだ。与党が 「ねじれ」 による政治の手詰まりを強調すればするほど、ならば総選挙で民主党に勝たせて、政権を取らせてみてはどうだ、という話にもなりかねまい。

 麻生自身は、ワンマン宰相と言われた祖父を気取っているのか、いかにも自信満々、おれはやるぞ、といった顔をしているが、とうてい長持ちするとは思えない。たとえ、総選挙をなんとか乗り切ったとしても、いずれ党内の不協和が噴き出すのも時間の問題だろう。

 とりあえずは、鳩山総務大臣に、また前のように 「友だちの友だちはアルカイダ」 だとか 「秘書時代にペンタゴンから飯をおごってもらった」 といった失言・迷言の類を期待したいところである。それにしても、この残暑はいったいいつまで続くのざんしょ。







Last updated  2008.11.07 02:18:27
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2008.04.11
カテゴリ:政治

 そろそろ満開の桜にも、薄い緑色の柔らかい若葉が混じり始めている。植物は一定の場所に動くことなく根を張りながらも、たえず成長を続けている。蕾がふくらむと花が咲き、枝はたえず細かく分かれ、指先からさらに細い触手をふきだしながら天空を目指して伸びていく。

 報道によると、福田首相は内閣支持率の低下に苦しんでいるそうだ。前内閣のときには、結構批判記事を書いたのだが、現内閣に代わってからはあまり書いていない。もともと、時局的なことはややこしいのであまり触れたくないということもあるが、福田首相の基本的な任務は、前首相であるあべっちの後始末であるという、いささか気の毒な立場にあったせいもある。

 ところで、福田内閣の支持率低迷を受けて、ふたたび前幹事長の麻生太郎が動き出したそうである。

「ポスト福田」 最有力の麻生氏、足場固め着々
2008.4.11 22:09

 福田康夫首相が内閣支持率の低迷にあえぐ中、「ポスト福田」 の最有力候補とされる自民党の麻生太郎前幹事長の周辺が騒がしくなってきた。昨秋の総裁選後、地方行脚に精を出してきた麻生氏だが、今年に入り、月刊誌で税制などの政策論を次々に発表するなど活動を活発化。安倍晋三前首相との 「A-Aライン」 を軸に議員交流を続けており、各派領袖はその挙動が気になって仕方ないようだ。麻生氏が描く政局展望とは…。 (大谷次郎) (以下略)

 過去の記録を調べてみると、1986年7月6日の第38回総選挙(衆参同日選挙)と1990年2月18日の第39回総選挙の間に、中曽根から竹下、宇野、海部へと政権が交代している。これは竹下の場合はリクルート疑惑、宇野の場合は 「指三本」 という女性スキャンダルのせいで、どちらも短命に終わったためである。

 福田首相は 「ガソリン税」 復活法案の再議決を明言しているが、選挙が近く、しかも郵政選挙での小泉人気だけで当選した独自の地盤を持たない議員らは、おそらくかなりの抵抗を示すだろう。もし、明言した法案の再議決ができなければ、福田内閣は総辞職せざるを得ないだろう。

 福田首相が解散を行わずにこのまま政権を投げ出して、麻生だか誰だかに交代すれば、上の中曽根内閣に始まる記録に並ぶことになる。つまり、選挙での洗礼を受けていない内閣が三代も続くことになる。

 すでに小泉政権下での郵政選挙から三年近くたっており、いずれにしても近いうちに選挙を行わなければならない。小泉内閣から安倍、福田へと二人も首相が交代しているのだが、いくらなんでも人気が低迷している現首相のもとでは、そうそう解散を行うわけにはいかないだろう。

 だが、かりに解散を行わず、このまま衆議院の任期いっぱい引っ張ったとしても、それまでに内閣支持率が劇的に回復するということも見込めない。どちらにしろ、現政権のもとでの選挙ということになれば、与党の大敗は避けられないだろう。

 だとすると、新首相へのご祝儀人気を当て込んで、新首相内閣を成立させてから解散総選挙に臨むという戦略は十分に考えられる。実際、宇野スキャンダルを受けて成立した海部内閣による解散総選挙では、社会党こそ議席を増やしたものの、宇野の女性スキャンダルなどにもかかわらず、自民党はその前の衆参同日選挙での伸びきった議席数より、わずかに減らすだけですんでいる。たぶん、にわかに騒がしくなった麻生の動きは、そのへんのことを見越してのことだろう。

 ちなみに、このときの総選挙の前の、宇野内閣のもとでの第15回参議院選挙(1989年)は、土井たか子率いる社会党がリクルート問題や消費税、宇野スキャンダルなどによって躍進し、「マドンナ旋風」 という言葉が生まれ、土井党首が 「山が動いた」 なる言葉を発した選挙である。その結果、参議院での与野党逆転が実現し、衆参のねじれ現象が起きたということでも今の状況と似ている。

 話は変わるが、森山直太朗の 「桜」 がヒットしたのは2003年であり、ややおくれて河口恭吾の 「桜」 がリリースされて翌年にヒットした。また、コブクロの 「桜」 は2005年の曲だそうだ。古いところだと、「同期の桜」 などという歌もある。

 柳の下にいつもいつもドジョウがいるわけでもないだろうとは思うのだが、はてさて、どんなものだろうか。







Last updated  2008.04.12 06:08:09
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2008.02.15
カテゴリ:政治

 報道によると、鳩山邦夫法務大臣がまたわけの分からぬことを言ったらしい。

 鳩山邦夫法相は13日、法務省内で開かれた検察長官会同で訓示し、違法な取り調べが問題となった鹿児島県議選の買収無罪事件について「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではないと考えている」と述べた。

 鳩山法相はその後、記者団に対し「定義がはっきりしない冤罪というものをこの事件まで適用すると、無罪事件は全部冤罪になってしまう。裁判の結果、無罪になったケースととらえたい」と説明。
 一方で「捜査、取り調べ上の問題があったことはよく分かる」とした上で、「検察官の士気を上げるために、十分反省した上で『積極的に前を向いてくれ』と言いたかった」と釈明した。



 ようするに、この人の発言の意味は、被告人の無実が証明された場合には、「冤罪」 であると言ってもかまわないが、たんに有罪であることが証明されなかったがために無罪となった場合には、本当に無実であるかどうか分からないから、「冤罪」 とは言うべきではないということのようである。

 だが、言うまでもないことだが、犯罪の立証責任は警察と、その捜査を受けた検察の側にあるのであって、被告人の側にはない。それは、たんなる法的手続きの問題ではなく、被告人と弁護人の側には、警察や検察のような組織も強制的な捜査権もないという現実的な理由によるものである。

 したがって、法相のこの発言は、強制的な捜査権もなければ、そのような組織による支援も受けられない被告人に対して、「冤罪」 と言ってほしければ、自分で証拠を集めて無実であることを立証してみろ! と言っているのと同じである。

 この人、いちおう東大法学部を出ているそうだが、いったいなにを学んだのだろうか。それとも、もうずいぶん昔のことだから、すっかり忘れてしまったのだろうか。とにもかくにも、摩訶不思議な人である。

 安倍内閣退陣のさいの最後っ屁のような例の放言以来、アルカイダ発言やらなんやらと、つぎつぎに繰り返される迷言・放言に、今やこの人がなにを言っても、誰も驚かぬという状況のようである。

 それはともかく、昨年末に続く今月初めの二度目の死刑執行のさいに思ったのだが、この人は例の 「ベルトコンベヤー」 発言で、お前はたんに死刑執行命令に署名するのがいやなだけなんだろう、みたいなことを言われたのを、相当気にしているのではないだろうか。

 内閣交代による、本人自身思ってもいなかったような法相残留以来、前任者を上回るペースで執行命令に署名していることには (昨年末に3名、今年2月に3名)、そのときに受けた批判に対して、オレはチキンなんかじゃないぞー、ということをことさらに誇示するという意識が働いているように思えてしかたがない。


追記:
 いちおう謝罪したらしい。もっとも、あまり謝罪になっているとも思えない。しかし、この人、次はなにを言い出すのだろう。楽しみだと言ったら、いささか不謹慎ではあるが。

 鳩山邦夫法相は14日午後の衆院予算委員会で、被告全員の無罪が確定した鹿児島の事件を 「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」 とした自身の発言について、「今後、冤罪という言葉は公式の場では一切使うまいと思う。被告の方々が不愉快な思いをしたとしたらおわびしなければならない」 と陳謝した。 社民党の保坂展人氏への答弁。

 法相発言を巡っては町村信孝官房長官も同日午前の記者会見で 「冤罪である、ないという議論よりも不適切な手法による捜査は是正しなければならないということを強調すべきだ」 と苦言を呈していた。                            (14日 23:31) 

NIKKEI NET:社会ニュース


 さすがに、官房長官はできが違うようである。 

 なお、日本国憲法では、次のように規定されている。

 第四十条

何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。






Last updated  2008.02.15 21:40:11
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