1061809 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遠方からの手紙

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

埼玉の小学生殺人事… New! 七詩さん

45年前の読者 New! AZURE702さん

『昨日がなければ明… New! ばあチャルさん

紫と語る夕顔 2. New! cozycoachさん

個人の発信の自由ま… New! FAM5220さん

ホルムズ海峡封鎖の… alex99さん

2019年8月に観た映画B KUMA0504さん

Comments

http://cialisvipsale.com/@ Re:あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない(09/17) bijsluiter cialis 10mgpredaj viagra kam…
小林先生@ Re:恐妻家と愛妻家のはざまで(07/18) 失礼ながらよくまとまっているせいか たい…
akkun @ Re:岡崎次郎はどこへ消えたのか(10/01) 向坂逸郎(?)って悪いヤツだ! そういう欲…
大津 真作@ Re:岡崎次郎はどこへ消えたのか(10/01) 実は岡崎次郎さんには、岡崎三郎さんとい…
Jun_U@ Re:アイザック・ドイッチャー 『非ユダヤ的ユダヤ人』(06/13) ドイッチャーの著作は若い頃から読んで共…
ゴマ@ Re:関曠野 『歴史の学び方について』 マルクスが宣う「人間の本質」とは何ぞや…
さすらい日乗@ 映画で見ました はじめまして、さすらい日乗をやっている…

Freepage List

Category

Archives

2019.09
2019.08
2019.07
2019.06
2019.05
2019.04
2019.03
2019.02
2019.01
2018.12

全3件 (3件中 1-3件目)

1

丸山真男について

2007.01.02
XML
カテゴリ:丸山真男について

 浩瀚堂さんという方が、宮台氏の亜インテリ論は丸山の誤読だと指摘している(参照) (参照)。宮台氏の亜インテリ論が丸山のそれとは違うという意味では、この指摘は正しいと思う。

 浩瀚堂さんも指摘しているが、丸山のいう 「亜インテリ」 とは 「小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、ないし自作農上層、学校教員、ことに小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層」 を指している。

 これを現在の社会に合わせて修正するなら、小地主を削除し、かわりに農協や漁協、町内会や自治会、PTAの役員などを付け加えれば、いいだろう。

 丸山自身の説明を引用すれば、彼らは 「自分の属する仕事場、あるいは商店、あるいは役場、農業会、学校等、地方的な小集団において指導的地位を占めている。日本の社会の家父長的な構成によって、こういう人たちこそは、そのグループのメンバー(中略)に対して家長的な権威をもって臨み、彼ら本来の 『大衆』 の思想と人格を統制している」 ということだ。

 つまり、簡単にいえば丸山は、多少の政治的関心を持つと同時に、比較的規模の小さい集団を率いることによって、その集団の構成員に対して、直接に人格的な影響力と支配を行使できる存在を 「亜インテリ」 と呼んだのだ。

 とすれば、これが宮台氏の言う 「論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者」とか、「東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず『煮え湯を飲まされる』存在」 とは、意味が違うのは明らかだろう。とくに、後者などは、単に同じ学者・研究者の中の相対的な区別に過ぎず、論点がまったくずれている。

 丸山の 「亜インテリ」 論の本来の意味は、単に彼らが本物のインテリではないということにあるのではない。むしろ、彼らが大学教授や文化人、ジャーナリストなどの丸山のいう本物のインテリ(都市の新中間層)と違い、直接自分の配下を持ち、彼らに対して影響力を行使できる 「小天皇的」 (丸山)存在であるということ。また、それによって現実の世論形成に対し、全体として大きな影響力を持っているというところにあったのだ。

 ところが、宮台氏は学者として一流か、それとも二流、三流かというふうに問題を設定している。これは、浩瀚堂さんが指摘したとおり、明らかに宮台氏の 「誤読」 である。

 上にあげたような階層が、戦後も草の根保守として、一貫して保守党の支配を支えてきたことは周知の事実だろう。しかし、すでに21世紀にはいっている現在、彼らははたして丸山が60年前に指摘したような 「小天皇的権威」 を持っているだろうか。その答は、むろん否である。

 農村は崩壊し、大資本の圧迫によってどこの地方でも商店街はさびれ、小工場は海外からの安い製品の流入によって倒産寸前である。地域における学校教師の権威も、ほとんどないに等しい。かつては地域を束ねてきた名門とか名家とかいわれる存在にしたって、昔のように、町や村のみんなに、選挙のときは XXXX に入れろ、などと命令する権威は持っていないだろう。

 その結果、起きたのが、昨今の選挙のたびに、あっちこっちと揺れ動く、都市を中心とした大量の浮動層(票)という現象であり、彼らをターゲットにした、小泉流劇場型政治の登場というわけだ。

 前に、戦前の日本(経済)社会の二重構造というのを指摘し、「丸山の亜インテリという範疇は、資本制社会に一般的に存在する 『旧中間層』 に戦前の日本社会の特殊性を加味したものだ」 といった。彼らは、戦前においてはたしかに経済的地位に比べて強い世論形成力=政治的影響力を持っていたかもしれない。

 しかし、いまやその地位は政治的にも経済的にもはるかに弱化している。したがって、本来の丸山の 「亜インテリ論」 は、多少の修正を施したところで、もはや通用しないし、意味を持たないのではないだろうか。

 以上のようなことは、明敏な社会観察者である宮台氏が知らぬわけはない。最後にやや邪推めいたことをつけ加えるが、そのことを踏まえたうえで、宮台氏は 「亜インテリ」 という用語の曖昧さを利用し、彼なりの戦略に基づいて故意にずらして使用しているのではないか、という気すらする。







Last updated  2009.05.19 04:32:04
コメント(0) | コメントを書く
2006.12.28
カテゴリ:丸山真男について

 前回に引用した文に続けて、丸山は次のように書いている。

第二のグループは、われわれがみんなそれに属するのですが (引用者 - この論文は1947年に東大で行われた講演を母体にしている)、インテリは日本においてはむろん明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的に表明したものは比較的少なく、多くはファシズムに適応し追随はしましたが、他方においては決して積極的なファシズム運動の主張者ないし推進者ではなかった。むしろ気分的には全体としてファシズム運動に対して嫌悪の感情をもち、消極的抵抗をさえ行っていたのではないかと思います。

 以上の記述について、出版の際に追加した補注では、「いわゆる 『消極的抵抗』 の過大評価に導きかねない」 として一定の留保を加えているかのようにも見えるが、「ナチ型のファシズムと対比する限りにおいて、本文の分析は必ずしも誤っていないと信ずる」 と書いており、基本的には変更されていないと思われる。

 戦争終結後に続々と 「戦争抵抗者」 が現れたことに、丸山より年少で純然たる戦中世代にあたる吉本隆明が、そんな者らが存在していたとはまったく知らなかった、と皮肉混じりに批評したのは有名だ。徳田・志賀のようないわゆる非転向者や、神山のような偽装転向者の他にも、知識人層の中には、一定の程度、戦争に批判的・懐疑的な者がいたのは確かだろう。

 しかし、戦後の 「近代文学」 の同人との座談会で、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない」 と言い放った小林秀雄や、戦争を賛美する詩を書いた高村光太郎、「近代の超克」 を主張し 「大東亜戦争の世界史的意義」 を説いた、西田哲学系統の多くの哲学者たち、彼らは皆ヨーロッパの文化にも精通した、当時の日本を代表する 「本物のインテリゲンチャ」 ではなかったのだろうか。

 そのように見れば、丸山のインテリ論の一面性は明らかだろう。彼は 「日本ファシズム」 を推進した知識人の存在を故意に無視しているのか、でなければファシズムに対する嫌悪という自己の心情と、インテリとしての自己の矜持のために、そのような存在が実際に見てても見えていなかったのか、のどちらかであろう。そこにあるのは、本物のインテリであるならば、ファシズムなんかにいかれるはずはないという、先験化された単なる心情に過ぎないように思える。

 社会学者の宮台真司氏が 「丸山真男問題」 なるものを指摘している。氏によれば、これは 「丸山の戦後啓蒙がなにゆえ今日この程度の影響力に甘んじるのか」 ということらしいが、私の考えでは丸山の啓蒙なるものは一貫して、戦後社会を表面的に覆っていた知的な上層部分と、上昇主義的に知に憧れ 「論壇雑誌」 などを定期的に購読する部分にしか受け入れられてこなかったのだ。

 彼らにとっては、東大法学部教授としての丸山は、なによりも知の位階制の頂点に位置する権威であった。今日、「丸山」 的なものが凋落してしまったとすれば、それは宮台の言うような 「東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず 『煮え湯を飲まされる』 存在」 である 「三流学者どものルサンチマン」 (『諸君』『正論』や 「新しい歴史教科書をつくる会」 に集うような学者は、まあ、確かに三流ではあるだろうが) などのせいではなく、単に丸山自身と、また丸山のような知識人を支持してきた社会層が、知的権威を失ったことの結果であるに過ぎないだろう。

 丸山は先に引用した箇所の先で、次のように言っている。

実際に社会を動かすところの世論はまさにこういう所 (丸山の言う亜インテリ層のこと ー 引用者) にあるのであって、決して新聞の社説や雑誌論文にあるのではないのであります。ジャーナリズムの論調が日本ではともすれば国民から遊離するのは何故であるかといえば、それがもっぱら第二範疇の中間層 (丸山の言う真のインテリ層のこと - 引用者) によって編集され、従ってその動向を過大視するからであります

 この言葉は、まさに丸山に代表される 「戦後民主主義」 や 「進歩的知識人」 の運命を自ら予言したかのように受け取れる。それはつまり、丸山自身が一兵卒として体験したあの戦争から、結局なにも学ばなかったことを意味しているのではないだろうか。







Last updated  2009.05.19 04:22:29
コメント(1) | コメントを書く
2006.12.27
カテゴリ:丸山真男について
 丸山真男の 「亜インテリ論」 というのは、たとえば次のような箇所を指している。

 「ファシズムというものはどこにおいても運動としては小ブルジョア層を地盤としております。ドイツやイタリーにおいては典型的な中間層の運動でありまして、---インテリゲンチャの大部分も、むろん例外はありますが、積極的なナチズム、ファシズムの支持者でありました。日本におけるファシズム運動も大ざっぱにいえば、中間層が社会的な担い手になっているということがいえます。しかしその場合に更に立ち入った分析が必要ではないかと思います。わが国の中間階級あるいは小市民階級という場合に、次の二つの類型を区別しなければならないのであります。
 第一は、たとえば、小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、ないし自作農上層、学校教員、ことに小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層、

 第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人ないしジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)および学生層 --- 学生層は非常に複雑でありまして第一と第二と両方に分かれますが、(以下略)

 わが国の場合ファシズムの社会的基盤となっているのはまさに前者であります。第二のグループを本来のインテリゲンチャというならば、第一のグループは擬似インテリゲンチャ、ないしは亜インテリゲンチャとでも呼ばれるべきもので、いわゆる国民の声を作るものはこの亜インテリ階級です」
(「現代政治の思想と行動」 日本ファシズムの思想と行動) 


 この亜インテリ論は、戦前の日本社会を対象としたものであるから、これを現代に適用しようとするならば、当然一定の修正を施なければならない。たとえば、上ではサラリーマンが本来のインテリ層に含まれているが、今日ではそのように思うものは1人もいないだろう。ようするに、かつてはサラリーマンそのものが珍しく、社会的地位も今日よりはるかに高かったということだ。

 丸山が対象とした戦前の社会と、今日の社会を比べた場合、大きく異なっているのは、農村に代表される前近代的(半封建的)な社会関係が一掃されたということ、またそのこととも関連するが高等教育が広く普及したということだろう。

 いわゆる講座派理論に典型的に表現されたように、戦前の日本社会は、農村の地主ー小作制に代表されるようなきわめて後進的な構造と、都市の高度に発達した産業=社会構造との二重構造になっていた。そして、農村の後進的な構造が、天皇制国家を支える社会的基礎であったということが指摘できる。

 ここで、丸山の亜インテリ論に戻ると、彼が言う 「亜インテリ」 という範疇が、ほぼそのような後進的な社会層の上層に該当することが分かるだろう。通常社会学でいう中間層は、独立した小生産者のように、資本主義の発達によってつねに没落の危険に曝されている 「旧中間層」 と、産業構造の変化によって生み出された都市生活者のような 「新中間層」 に分けられるが、この丸山の亜インテリという範疇は、資本制社会に一般的に存在する 「旧中間層」 に、戦前の日本社会の特殊性を加味したものだといってよい。

 「亜インテリ」 というような概念定義の不明瞭さはともかくとして、そのような社会層が存在したこと、そして彼らが勢力という意味では、いわゆる 「日本ファシズム」 の主要な担い手であったという丸山の指摘自体は、とりあえず首肯しうるだろう。







Last updated  2009.05.18 02:02:49
コメント(0) | コメントを書く

全3件 (3件中 1-3件目)

1


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.