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雑感

2009.12.28
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カテゴリ:雑感

 ぼおっとしていたら、あっという間にクリスマスも終わり、今年もあますところあと数日ということになってしまった。早いものだ。早いといえば、このブログも書き始めてから三年が経過した。なにごとにも飽きっぽい人間としては、なかなかよく続いたものだ。

 なにしろ三年といえば、赤ん坊ならふんぎゃーと生まれてから、大人を真似した理屈を並べるようになったりするし、中学生なら入学から卒業までの期間にあたる。それはつまり英語であれば、ABCを覚えるところから関係代名詞などというものを習うまでの期間ということになる。はたして、この三年間に、子供のそういった成長に相当するだけのものが得られたのかは、残念ながらきわめて心もとない。

 先日、まだ冬であるにもかかわらず、例年なら春になってから飛んでくる黄砂が観測された。これが、中国の広がり続けている砂漠化や、地球規模の気候温暖化に関係があるのかは知らない。ただ、砂漠が沿岸部まで広がって、日本までの距離が短くなれば、黄砂現象の頻度も高くなるということは言えるのではあるまいか。

 黄砂の故郷としては、中国北部のゴビ砂漠、西部のタクラマカン砂漠、さらに中央部に位置する黄土高原の三ヶ所があるという。ゴビとタクラマカンの二つの砂漠はともかくとして、北から流れてきた黄河が東へと90度に屈曲しているあたり、その支流のひとつである渭水流域というのは、かつては唐の長安に代表される中国の最も栄えた地域であったし、その北には日中戦争の最中にエドガー・スノーやスメドレーが訪れた、「革命の聖地」 延安がある。

  従 軍 行

青 海 長 雲 暗 雪 山
孤 城 遥 望 玉 門 関
黄 沙 百 戦 穿 金 甲
不 破 楼 蘭 終 不 還

青海の長雲 雪山暗し
孤城遥かに望む 玉門関
黄沙百戦 金甲を穿つ
楼蘭を破らずんば 終に還らじ

        『唐詩選』 より


 作者は王昌齢という人。よくは知らないが、杜甫や李白とほぼ同時代の人らしい。ここで言う黄沙とは、日本に飛んでくる黄砂ではなく、黄土高原の奥地からさらに西域へと向かうあたりのだだっ広い乾燥地帯のこと。

 時代はかの玄宗皇帝の治世。東の唐と西のイスラムという巨大な世界帝国が、いまのキルギスにあるタラス河のほとりで激突し、唐が大敗したというころ。しかし、その結果として、中国の紙が西方に伝わったというのだから、この戦いもまったく無意味というわけではなかったということになる(のかな)。

 やがて、玄宗は美人の誉れ高き楊貴妃に夢中になって政治を省みなくなり、結果、有名な安禄山の乱が起こる。「奢る平家は久しからず」 といったところか。

 さて、前にふれた 「むかつく」 ことに、もうひとつつけくわえておこうかなと思う。それはなにかと言えば、誰でも知っている程度の当たり前のことを、「どうだ、おれはこんなことを知ってるんだ」 と言わんばかりに振り回す人。たとえば、「世間には危険がいっぱいだ」 とか、「差別と区別は違うよ」 とか、はたまた 「論と人は切り分けろ」 とか。

 まあ、どれもそれだけ採り上げれば間違っているわけではない。「差別」 と 「区別」 はたしかに違う。なんでもかんでもごっちゃにしては、話にならない。「是々非々」 だって、その意味を正しく理解しているのなら、間違ってはいない。しかし、こういうのは、1たす1は2であるとか、水は水素と酸素からできているというような、価値判断を含まぬ単純な 「事実命題」 とは違う。

 そういった 「事実命題」 なら、その人がどこまで理解しているか、ただの受け売りではないのかといったことは別として、誰が言おうとたしかに 「真理」 である。しかし、抽象的な概念で成り立っていて、「価値観」 や 「価値判断」 が含まれる命題というものはそうはいかない。

 せっかくの立派な言葉であっても、胡散臭い人が言えば、胡散臭く聞こえてしまう。だから 「論」 と 「人」 とはたしかに別ではあるが、だからといってまったく関係ないというわけでもない。誰も反対できない麗々しい言葉を掲げることと、それをその人がどこまで理解しているかや、どこまで本気なのかということとは、まったく別の問題である。

 「是々非々」 を掲げている人が、本当にそういう態度を貫いているかどうかは、別の話である。むろん、そういう人もいれば、そうでない人もいるだろう。自分は 「論」 と 「人」 を切り分けている、と言っている人が、本当にそうしているのかどうかも、これまた別の話である。

 人は看板ではなく、言動を含めた行動で判断される。「差別反対」 でも 「戦争反対」 でもなんでもいいが、世の中、「自称」 の看板がそのまま全部認められるのなら、ぴょんぴょん靴を発明したドクター中松は、エジソンに負けぬ大発明家である。

 中には、部落差別の原因は 「穢れ」 の思想にある、だから、葬儀での清めの塩は良くない、それを問題にしない者は、本気で差別と戦っているとはいえないというようなことを言う人もいる。へへぇ、清めの塩をなくしたら、現実の差別が少しでも減るのかね。

 むろん、問題ありと思う人は、断ればよい。それは人の自由というものだ。しかし、現実の差別をどうするかよりも、「迷信」 撲滅のほうが大事だなんて、それじゃまるで、封建的因習の撲滅を掲げてあちこちの寺や仏像を破壊してまわった、どこかの国の 「紅衛兵」 みたいだな、などと思ってしまった。

 だいたい、なんにかぎらず長い歴史を持つ社会的な制度やイデオロギーというものの場合、歴史的な起源=発生ということと、現代における存在の根拠というものは、かならずしも同じではない。歴史とは、まさに変化のことなのだから。







Last updated  2010.01.11 23:23:52
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2009.09.20
カテゴリ:雑感

  先週のことだが、なんの因果か 「結婚式」 なるものに参列するはめになってしまった。そういう類のものは正直言って苦手なのだが、諸般の事情により、どうしても出席しないわけにはいかなかったのだ。

 そういうわけで、ほぼ30年ぶりに九州から本州へと遠征したのだが、いやいや世の中というものは、大きく変わっていた。まことにテレビなどで遠くから見ているのと、実際にこの目で見てみるのとではまったく違うものだ。

 考えてみれば、足利尊氏などはわずか1年の間に、後醍醐政権を倒すための鎌倉から京都への進軍と、新田義貞に敗れたことによる九州への退却、さらには再度の京都いりをはたしている。それは、人の足と馬以外に交通手段のなかった700年近くも前のことだ。それどころか、江戸時代の大名たちは、一年おきに地元と江戸の間を行き来していたのだから、われながら、その腰の重たさにはあきれるほかにない。

 式場は横浜にあったのだが、駅の改札を出ると、目の前に広々とした 「大地」 が広がり、遠くにはビルも建っている。あれあれ、ここは三階ではなかったのか、と一瞬困惑したが、どうやら斜面を整地して、巨大なテラス状の人工大地を何段も建設し、そこに様々な建物を建てたということらしい。

 もともと、横浜は平地の少ない地域であるから、市街の膨張とともに必要に迫られて、傾斜地域を開発するために工夫された方式なのだろうが、「世界七不思議」 のひとつに数えられた、古代バビロニアの王 ネブカドネザルが建設したという 「空中庭園」 にも劣らぬその壮大さには驚いた。まことに田舎者はこれだから困ってしまう。

 式場は頂上に十字架と鐘楼をおいたゴシック風の建築で、中にはいると、窓には色とりどりのステンドグラスもはめられ、列席者用の簡素な木製の座席と机が、花嫁・花婿が通る通路を中心に左右対称に並ぶなど、本物の教会を忠実に模した造りになっている。ただし、式が執り行われる空間が、まるで劇場の舞台のように一段高くしつらえてあるのには、ちょっと首をかしげた。それでは、「神聖」 なる式が、なにやら下手な役者が演じる劇のように見えてしまうではないか。

 イエス様もマリア様も信じていない不信心者がこんなところに入り込んでもいいのかな、罰が当たりはしないかななどとも思ったのだが、招待されたのだからしかたがない、一日だけ 「クリスチャン」 のふりをすることにした。どうせ、花嫁・花婿も、それから列席者のほとんどもそうなのだろうから。

 扉には Le Chapelle d'Evangile と書かれており、おやおや、ひょっとして使徒が襲来すると、このあたりのビルがぐあーんと動き、大地がすーっと開いて、その底からシンジ君が乗るひょろりとした 「初号機」 が登場するのかななどと思ったが、よく考えればなんのことはない、「福音教会」 という意味である。

 式をとりおこなったのはヨーロッパ系の長身の男性で、その横には黒い服を着た修道女ふうの女性もならんでいる。その男性が本物の神父なのかどうかは知らないが、おかしかったのは、式の間、ずっといかにも 「外人」 ふうの妙な日本語をしゃべっていた 「神父」 様が、式典が終わったあと、壇上から降りてきてこちらに歩み寄ってき、小さな声で「おめでとうございます」 と、ごく普通のアクセントのなまりのまったくない流暢な日本語を話したことである。

 たぶん、式典では 「アナタハァ、カミニィ チカイマスカァ」 というような、日本人が普通にイメージする、いかにも 「外人」 といった感じでしゃべらないと、「外人」 様というありがたみが出ないということなのだろう。「ご苦労様です」 と、思わず心の中でつぶやいたのであった。

 式が終わると、建物の中をあっちこっちと引っ張りまわされたのだが、壁にどこかで見た覚えのある絵が何枚も飾ってある。青を基調にして、赤や黄色、緑で花嫁と花婿の姿や馬などの動物を描いた幻想的な画風で、覚えはあるのだが、誰の絵なのか、すぐには思い出せない。クレーでもないし、カンディンスキーでもないし、などと一生懸命頭をひねっていたのだが、何枚目かの絵に Chagall というサインがあって、ようやく思い出した。そう、ロシア出身のユダヤ人画家、シャガールであった。

 シャガールの絵には、たしかに若い男女のカップルを描いた絵が多い。結婚式場に飾る絵としては、なるほどなるほど、むべなるかなというところだ。帰ってきてから、家の近くのいつものBOOKOFFで、シャガールの画集を見つけた。絵と解説(竹本忠雄という人だが、よくは知らない)のほかに、ジャン・グルニエの文章が収録されている。グルニエとは、あのカミュのアルジェリア時代の恩師だった人である。

 シャガールの顔は、なにもかもが曲がっている。眉毛はアクサン・シルコンフレックスだし、唇はゆがんでいないまでもすんなりと半円形、鼻もかるく曲がって、目はまんまる、髪は半ば狂乱のていである。バルザックの時代であったなら観想家たちはこれを出発点に、さだめし人物の心的肖像画を書きあげたことであろう。

 彼らはこう言ったかもしれない。精神においては繊細、芸術においてはファンテジー、生にあっては放心、心情は直感、ようするに――内的ハーモニーによってもたらされ、それによって、人間が自己のうちにその確信と憩いを見いだしうるところの全価値がそこにはある、と。そう、環境がどうあろうとも、たとえばそれが、革命、戦争、喪のごとくに人を茫然自失せしめ、あるいは辛酸をきわめたものであろうとも。

『幻想と自然』 ジャン・グルニエ  


 さて、民主党を中心に社民党、国民新党とも連立した鳩山政権がいよいよ誕生した。聞くところによると、「改正」 教育基本法によって導入された教師免許更新制度や、障害者や高齢者の負担増をもたらした障害者自立支援法、「後期」 高齢者医療制度などについて、新政権はいずれも見直しや廃止の方針を明らかにしているらしい。

 こういった動きは、一見すると、法や制度の安定性と一貫性を損なう 「朝令暮改」 のように見えなくもない。しかし、そこで問われるべきなのは、むしろたった一度の選挙、それも、郵政民営化の是非のみを争点にした選挙で大量の議席を得たことをいいことに、野党や世論の反対意見にいっさい耳を貸さず、反対派の説得や妥協案の模索という民主政治における最低限の努力も放棄し、数の論理だけで押し切って、そのような問題の多い制度を次々と導入した、小泉・安倍政権の政治責任ということになるだろう。







Last updated  2009.09.20 22:17:52
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2008.11.27
カテゴリ:雑感

 Wikipediaに 「青木まりこ現象」 という項目がある。まだ書き掛けなのだそうで、とても短い記述であるから全文を下に引用する。

 青木まりこ現象(あおきまりこげんしょう)とは、書店(古書店、図書館などを含む)に長時間いると便意を催すという現象。

 椎名誠が編集長を勤める『本の雑誌』第40号(1985年)の読者投書欄に、「杉並区在住の29歳会社員・青木まりこ」というペンネームで投稿された体験談が発端となったため、こう命名された。

 原因については、「本のインクの匂いによる」という説や「書店に入るとトイレに行けないという心理的プレッシャーによる」という説、「好きな本を買えるんだという期待感による」という説など諸説あるが、まだ定説はない。


 下で紹介する笠原敏雄という方によれば、この現象については、『AERA』 の2003年11月号でも、吉岡秀子という人の 「『青木まりこ現象』不滅の掟」 という記事で取り上げられたらしい。

 言われてみると、こういう現象は確かにある。30年以上も前の高校生のころの話だが、当時福岡の中心街を抜けて、市の南部から西部にある高校までえっちらおっちらと毎日通っていた。直通のバスもあったのだが、本数は少なく、たいていはそこで乗り換えを余儀なくされていたのである。

 行きはもちろん道草を食う暇などないし、どこの店もまだ開いてはいないから、前のバスを降りたら、まっすぐ乗り換えの停留所まで急ぐのだが、帰りは時間があるので(帰宅部だったし)、よくそこで降りたあと、天神の繁華街をうろうろしていたのだった。

 当時、天神周辺は古い小さなビルやアーケード街のかわりに、大型商業ビルが次々と開業するなど、再開発が盛んだった時期であり、その北側に 「リーブル天神」 というビルのフロア全体を占める、広々としてありとあらゆる書籍が並んだ大型書店が進出した時期でもあった。

 それで、よく学校の帰りがけに寄り道をしたのだが、やはり書棚を眺めながら、あれこれ本を手に取っているうちに、途中で便意を催し、あわててトイレに駆け込んだ記憶が何度もある。

 そこで、この現象について、もっと詳しく説明したサイトがないかと探してみたら、そのものずばり 「青木まりこ現象」 というサイトを見つけた。筆者は笠原敏雄という方で、「前世を記憶する子どもたち」 「もの思う鳥たち―鳥類の知られざる人間性」 などの翻訳を手がけ、また 「幸福否定の構造」「なぜあの人は懲りないのか困らないのか ― 日常生活の精神病理学」 などの自著もあるらしい。

 どれも読んだことも手に取ったこともないので、詳しいことは分からないが、どうやら精神医学者か心理学者の方らしい。もっとも、氏のサイトでの超常現象に関する記述を読むと、やや、うーんと言いたくなるところもあるのだが、それは今は関係ないので不問にふすことにする。

 さて、笠原氏による 「青木まりこ現象」 の説明はこうである。

 このような実例からすると、“青木まりこ現象”を持つ人が、もし書籍を扱う仕事に就いても便意が起こらないとすれば、この現象は心因性のものであることがかなりの確度で推測できます。この点は、“青木まりこ現象”を持つ人を対象にしたアンケート調査などを通じて、実際に調べることができるでしょう。ついでながらふれておくと、仕事中に、絶えず(あるいは頻繁に)便意や尿意を催す人もいないわけではありませんが、それは、書籍や読書とは無関係の原因によるものです。 (中略)

 では、その症状の原因は何なのでしょうか。まず、結果を見るとはっきりしますが、本を探したいのに、そうした症状が出てしまうと、それが容易には許されないことになります。自分が望んでいる行動を妨げる形で症状が出ているからです。これこそが、この症状の目的なのです。これを理解するには、人間観を根本から変えるしかありません。それはともかく、その症状が心理的原因で出ることは、ごく簡単な“思考実験”で確かめることができます。次に、どのようにするのかを説明しましょう。 (以下省略)


 笠原氏の理論の紹介としては、中途半端になってしまったが、素人としては、下手に要約を試みてもあまり意味はないだろうし、詳細に批評する能力もないので、笠原氏についてはこれだけにしておく。もし興味がある方があれば、リンク先の記事を読んでみて貰いたい。

 ところで、大人になってからは、あまりそういう書店で便意を催したという記憶がない。なにしろ、高校生の頃は小遣いが限られていたから、文庫本一冊を買うのでも、あれにしようか、これにしようか、と、店内をうろうろしたり、ときには書棚の前で買おうか、買うまいかと、小一時間も逡巡することも珍しくはなかった。

 今でも、むろん新刊の、それもあまり売れそうにない単行本を買うとなると、結構値がはるが、少なくとも文庫本を買うのに、どうしようか、やめようかなどと、逡巡する必要はない。たぶんその違いが、自分の場合「青木まりこ現象」が昔ほど発現しなくなった原因の1つではないのかという気がする。

 ちなみに 「すばらしき愚民社会」 「帰ってきたもてない男」 などの著書で知られる小谷野敦氏は、そのブログ 「猫を償うに猫をもってせよ」- 書店の便意 の中でこんなふうに書いている。

 さまざまに、買いたい本があって、しかし全部買うわけに行かないから、どれを選ぼうかという心理的重圧が便意につながるのだと、私は考えている。その証拠に、碌な本が置いていない小さな書店や古書店では、便意を催さない。大きな書店や古書店、特に、普段いきつけでないところへ行くと、激しく催す。


 今のところ、私としては、「自分が望んでいる行動を妨げる」 ためという笠原氏の複雑で逆説的な理論よりも、むしろこの小谷野氏の単純な説明の方に説得力を感じるのだが、はたしてどんなものだろう。







Last updated  2008.11.27 09:26:54
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2008.06.26
カテゴリ:雑感

 昭和に流行った松坂慶子の 「愛の水中花」 という歌によれば、「これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛」 なのだそうで、そのくらい、「愛」 というものは多種多様であり、複雑なのであり、また奇奇怪怪なものなのである。

 そもそも 「愛」 というもののややこしさは、「愛」 には必ずと言っていいほど 「憎」 が伴うというところにある。なにしろ、昔から 「かわいさあまって憎さ百倍」 という諺もあるくらいで、相手から否定された 「愛」 は、実に容易に 「憎」 に転化しうるものである。「惜しみなく愛は奪う」 というのは、大正時代にある女性記者と情死した有島武郎が残したエッセイの題名だが、まことに 「愛」 とは、それほどに貪欲なものなのである。

 マザー・テレサの言葉に 「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」 というのがあるそうだが、この言葉もまた、人間にとって 「愛」 と 「憎」 とがけっして単純に対立するものではなく、どこかで結びついたものであり、切り離せないものであることを側面から証明しているように思える。

 いささか陳腐な台詞になるが、人はしばしば愛ゆえに苦悩し、愛ゆえに人を憎み、愛ゆえに罪を犯すものでもある。それは、「嵐が丘」 のヒースクリーフでも、「赤と黒」 のジュリアン・ソレルでも、情事の末に借金を重ね、追い詰められたあげくに毒を飲んだというマダム・ボヴァリーでも同じだろう。もっと俗な例をあげれば、お昼のワイドショーや、いわゆる 「どろどろドラマ」 でも明らかなことだ。

 だからこそ、お釈迦様は 「愛」 とは人間の煩悩の最たるものと言ったのであり、古代ギリシア哲学の一派であったストア派は、どんな情念によっても煩わされぬ 「アパティア」 を理想とし、エピクロス派もまた、世俗から身を引いた心の平静を意味する 「アタラクシア」 を理想としたのだろう。

 それだけではない。「愛」 には差別も伴ってもいる。「愛する者を守る」 とは、「愛する者」 を優先するということだ。家族を愛するということは、家族を他の者より優先することであり、国を愛するとは他国より自国を優先することであり、人間を愛するということは、人間を他の動物より優先するということだ。なにかを愛するということは、すでにそれを他のものから区別し、それを優先するということを意味する。人が 「愛」 を口にするとき、そこにはつねにその者にとっての優先順位が確固として定められている。

 人間には、神様のようにすべての者に等しく愛を注ぐことなどはできはしない。神様がかりに存在するとして、彼にそのような 「愛」 が可能だとすれば、それは神が彼にとってはちっぽけな個々の人間のあれやこれやの区別などまったく無意味なほど、人間よりもはるかに上位にいるからだろう。

 つまり、そのような一切の区別のない無差別の愛とは、いわば人間に対してはるか上空から注がれる超絶 「上から目線」 の愛なのであって、すでに対等な者としての人間と人間の間における愛とはまったく異なるものである。もし、そのような神と同じように人を愛することができる者がいるとすれば、それは個々の対象に対する無関心を表明しているのと同じなのであり、言い換えれば、彼にとっては、なんらかの 「大義」 への 「愛」 のために個を犠牲にすることなど屁でもないということにもなるだろう。「一視同仁」 の愛とは、つねにそういうものである。

 だから、人間にとっての 「愛」 とは、その本性からしてつねに利己的なものだ。それは、人間的な 「愛」 というものに伴う本質的な矛盾なのであって、むろんそれを完全に否定することも非難することもできない。子を愛する親が、他人の子より自分の子を優先するのは、けっしてつねに望ましいことではないが、極限的な状況において、人がそのような行動に出ることを非難することは、誰にもできない。そして、われわれはみな人間なのだから、そのような人間的で利己的な愛ではない 「愛」 などは想像もできない。

 だから、かのウィトゲンシュタインの名文句を借りれば、「愛」 とはまさに 「語りえぬもの」 の最たるものであり、そのようなものについては 「沈黙しなければならない」 ということになるだろう。

 とはいえ、それでもそのような 「語りえぬもの」 についても、なんとかしてなにごとかを語ろうと欲するのもまた、人間の本性というものである。だが、だとすれば、「愛」 について語ろうとする者には、せめておのれが 「語りえぬもの」 について語ろうとしているのであり、そのような 「語りえぬもの」 について語るということが持つ矛盾についての自覚ぐらいは、最低限必要なことではあるまいか。

 言葉というものには、あることを表すと同時に、あることを隠蔽するという働きがある。とりわけ、観念としての内実すら明瞭でない言葉を無自覚に多用することには、そのような空疎な言葉によって現実を隠蔽すると同時に、そのような言葉を発語する者自身を、夢の迷路の中へさまよわせるという催眠効果もある。それを一言で言うならば、「虚偽意識」 としてのイデオロギーの効果ということになるだろう。

 「惜しみなく愛は奪う」 の中で、有島はこう言っている。

 言葉は意味を表わすために案じ出された。しかしそれは当初の目的からだんだんに堕落した。心の要求が言葉をつくった。しかし今は物がそれを占有する。
 吃ることなしには私達は自分の心を語ることが出来ない。恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも流暢であるためしがない。心から心にかようためには、なんという不完全な乗り物に私達は乗らねばならぬのだろう。
 のみならず言葉は不従順な僕である。私達はしばしば言葉のために裏切られる。私達の発した言葉は私達が針ほどの誤謬を犯すや否や、すぐに刃をかえして私達に切ってかかる。私達は自分の言葉ゆえに人の前に高慢となり、卑屈となり、狡智となり、魯鈍となる。

 そもそも、人間の感情というものは、「愛」 だの 「憎」 だのといった観念によって構成されているわけではない。そのような観念は、抽象的な構成物にすぎないのであり、ぶっちゃけたことを言えば、意識の中に存在するのは、「愛」 も 「憎」 も、それからその他のいろいろなものもごちゃ混ぜになった、つねにただ一つの感情なのである。 






Last updated  2008.06.27 12:23:12
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2008.04.06
カテゴリ:雑感

 今日は一日曇っていて、前日よりやや気温が下がっていた。川べりの桜並木を歩いているうちに、「春は名のみの風の寒さや」 という言葉がふと頭に浮かんだ。音数がちょうど七七になっているので、誰かの短歌の下の句かとも思い、しばらく考えてみたが、上の句らしきものがまったく思い出せない。

 家に帰ってパソコンで調べてみたら、大正時代に作られた 「早春賦」(参照) という歌の出だしの一節だった。メロディにも聞き覚えがあった。歌詞は文語の詠嘆調で、まだ来ぬ春を待ち望むという抑えめのものだが、メロディのほうは軽やかでのびやかな三拍子である。

早春賦
作詞:吉丸 一昌
作曲:中田 章

1.春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず



 作曲者の中田章という人は、1886年7月8日生 - 1931年11月27日没。いっぽう、作詞者の吉丸一昌という人は、1873年9月15日 - 1916年3月7日没ということである。

 明治の音楽家といえば、当然、誰もが滝廉太郎を思い出す。彼は1879年8月24日 - 1903年6月29日没ということで、若死にではあるが、ほぼ同じ時代の人と言っていいだろう。「はーるのうらあらあのすーみだがわ」 で始まる滝の 「花」 は1900年発表、同じく 「荒城の月」 は1901年の発表、それに対して、吉丸・中田による 「早春賦」 は1913年の発表だそうで、歌としてはややあとになる。

 滝も中田も、東京美術学校とあわせた現在の東京芸大の前身である東京音楽学校を卒業している。どちらも明治20年に、それぞれ 「図画取調掛」 と 「音楽取調掛」 から美術学校と音楽学校に改称されたそうで、そこには 「文明開化」 の掛け声のもとで、西洋の文明をはるか離れたアジアの島国にまるごと移植しようとでもいうような、当時の文部官僚らの意気込みが感じられる。

 初代文部大臣であった薩摩出身の森有礼には、日本語を廃止して英語を採用しようとしたとかいう 「国語英語化論」 という逸話もあるが、彼が長州出身の若者に暗殺された背景には、そういった西洋文明の導入に対する、幕末以来の国学思想の流れをくむ者らの反発があったのだろう。

 日本は四季や風土の変化が豊かな国といわれており、たしかに古くからそのような感覚を詠う詩歌は発達した。しかし、そのような感覚や情感を、多くの人々がストレートに表現し共有できるようになったのには、西洋音楽の導入によるものが大きいだろう。

 「文部省唱歌」 が学校の教科書に載るようになったのが1910年ということだが、全国津々浦々に設立された学校で、それぞれに地元の風土や風景を表現した校歌が作られ、歌われるようになったことも、西洋音楽の大衆化に大きな役割を果たしたのだろう。

 この歌には、やがてくるであろう時代を予感させるようなものはなにもない。しかし、この歌が発表された5年後には、シベリア出兵の余波による米騒動が勃発し、不況があいつぎ社会が激しく動揺していくことになる。歌もまた、戦争中に歌われた 「軍歌」 のように、歌詞もメロディーも単調で空疎なものや、暗く陰鬱なものへと変貌していく。


 春おぼろ 群雲のごとき桜かな


追記: (4/7)

「早春賦」 の出だしと 「知床旅情」 の出だしがよく似ていることに、ふと気がついた。もちろん、順番は 「早春賦」 のほうが先である。これは、音楽関係者らの間ではずいぶん前から周知の事実だったらしいが、盗作と言えるかどうかは難しいそうだ。

たしかに、耳に心地よいメロディというものは、どこか似てくるものでもあるだろう。それに、現在というものは、つねに過去の影響のうえにあるものでもあるし。







Last updated  2008.04.07 23:37:49
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2008.03.12
カテゴリ:雑感
 先日、tak shonaiさんから 「二の矢を受けず」 という仏教の言葉を教えていただいた。引用の引用になるけれど、雑阿含経の第十七に、『箭経』と名づけられた短いお経があり、その中に次のような話があるのだそうだ。

 「仏教を知らぬ人達は、楽しい事に出逢うとそれに執着し、『もっと欲しい』 と “貪(むさぼ)り” の念をおこす。同様に、苦に出逢うと “瞋(いか)り” の感情にとらわれてしまう。そうして、いよいよ混迷していくのだ。

 けれども、仏教を学んだ人は、外界の刺激でいろいろな感覚は触発されるが、いたずらに感情を増幅させられることがない。それを、身受を受けても心受を受けずともいう。そこのところを、第一の矢は受けても第二の矢は受けないと表現したのだ」 ……と。*


 ところで、矢を受ける側ではなく、矢を放つ側のほうでいうと、連想するのは、ゲーテと並ぶドイツの文豪、シラーの戯曲 『ウィルヘルム・テル』(英語だとウィリアム・テル)の場面である。この戯曲は、ゲーテからイタリア土産に聞かされた、スイスの伝説を題材にしているのだそうだが、なんといっても有名なのは、村の広場に掲げられた代官の帽子を無視して素通りしようとしたテルが、代官に見咎められて、愛する息子の頭の上にリンゴを載せて射よ、と命じられる場面だろう。

 だれもが知っているように、テルは、父親の腕を信じて目隠しを拒否した息子の頭の上に置かれたリンゴをみごと射落としてみせるのだが、その直後、代官ゲスラーは、テルがベルトに二本目の矢を隠していたのを見つけて、難詰する。

ゲスラー:
    おまえ、ベルトに二の矢を隠しておるな。
    しかと見たぞ、その矢はなんのためじゃ。

テル:(困惑しながら)
    これは射手がみなやる慣わしです。

ゲスラー:
    いやいや、そんな答ではごまかされぬ。
   ほかに訳があるはずじゃ、分かっておるぞ。
    本当のことを素直に話してみよ。
    なにを言っても、お前の命を取りはせぬわ。
    その二の矢の目的はなんなのだ。

テル:
   では申し上げます、閣下。
    私の命は取らないとのお約束なので。
    本当のことをすべて申し上げます。
         [ベルトから矢を抜き、代官を睨みつける]
    もし、矢が間違って私の息子を射たならば、
   この二の矢であなたを射るつもりでした。
    誓いますが、そのときは絶対に射損じたりしなかったでしょう。


 さて、このテルと並び称される、東方の国の弓の名人とくれば、むろん那須与一である。こちらは 「平家物語」 第11巻に収められた、屋島の合戦で沖に浮かぶ平家の舟に立てられた扇の的を射た話だが、与一が扇を射たあとの二の矢で射たのは、彼の腕を褒め称えて踊りだした、とし五十ばかりの平家の老武者であったという。

 これは、与一自身の意思ではなく、源氏の大将である義経の命によるものだが、戦の最中にもかかわらず、敵の妙技をあっぱれあっぱれとばかりに誉めそやした平家の武者と、「そんなの関係なーい」 とばかりに、あっさりと射殺してしまった関東武者との気質の違いが、はっきりと浮き彫りにされた場面である。

 もっとも、このすぐ前には、奥州以来付き従ってきた佐藤兄弟の一人、継信を、戦の中で自分の身代わりに失って嘆き悲しむ義経の姿が描かれているので、義経としてはそうとうかっかとしていて、敵味方に関係なく、弓の妙技に興じる気持ちになど、なれなかったのかもしれない。






Last updated  2008.03.12 14:22:47
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2008.02.05
カテゴリ:雑感

 今年はうるう年である。ということは、2月29日生れのひとにとっては、4年に1回のめでたい誕生日がまもなくやってくるわけである。ところで、1年の12の月の中で、2月だけがなぜ28日とか29日みたいに極端に短く、他の月と対等に扱われていないのかというと、そこにはふかーい訳がある。

 なんでも、昔々、ローマ帝国の初代皇帝であり、かの英雄カエサルの甥っ子であり養子となったアウグストゥスを讃えて、彼の生れた8月にその名前が付けられたときに、8月が30日しかないのはまずかろうということで、2月から取ってきたのがその理由のひとつなのだそうだ。

 おまけにユリウス・カエサルとアウグストゥスの名前がそれぞれ7月と8月についたもので、本来の7月以降の名前が2月ずつ後ろへずらされるというおかしなことになってしまった。きっと、当時の一般庶民の皆様は、ずいぶんと迷惑したことだろう。

 もっとも、これはどちらも本人が命じたことではなく、元老院だとか有力な市民だとかが率先してやったことらしい。つまり、いつの世にも、権力者や有力者に媚を売ったり、先回りして手を打ったりして取り入ろうとするような小利口な連中はいるということだ。

 さて、世の中にはよく、「そんなことを言っている暇があったら、現実を見ろ!」 なんてことを言う人がいる。たしかに、世の中には 「現実」 を見ていない人というのもいるわけで、こういう言い方もときには有用であり、それなりに意味がないわけではない。だが、その人が言っている 「現実」 とは、いったいなんなのだろう。

 たとえば、世界の中では、日々どこかでリンゴやナシが木から落ち、ミミズやカエルが道端でひからび、イヌやネコが毎晩のように草むらで恋をささやいているわけだが、「現実を見ろ!」 と仰っている方は、なにもそのような 「現実」 に目を向けろ、と言っているわけではあるまい。

 つまり、その場合にその人が言っている 「現実」 とは、なによりもその人にとって重要であり、その人が重要であると考えている 「現実」 のことなのである。したがって、そこで彼が指摘する現実とは、すでに彼の意識と思考によって、あらかじめ選択され解釈された 「現実」 ということになる。

 うーん、なんだか迷路にはまりそう。

 それはともかく、人はしばしば本当の困難から逃れるために、なんやかんやの 「現実」 に逃避したりするものである。たとえば、夫婦や親子の間になにかややこしい問題があるときに、「オレには大切な仕事があるのだ!」 などと言って会社に出かけるお父さんは、まさに 「仕事」 という 「現実」 に逃げ込むことで、本当の問題から目を背けているのだろう。

 失恋の痛手だとかを忘れるために、勉学とか仕事とかに打ち込むなどというのも、これに少し似ているかもしれない。ただし、この場合はそれはそれで役に立つものだろうが。

 同じようなことは、いろんな社会的運動とかについても言える。運動がなんらかの壁にぶつかり、わいわいがやがやの議論になったときに、一部の人らから必ず出てくるのが、「議論より行動だ!」 という言葉である。

 しかし、たいていの場合、そのような言葉は、現実に抱えている問題について 「考える」 という、本当の困難から目を背けるための口実にすぎない。そして、言うまでもなく、そのような問題は、伝説のダチョウが砂場に頭を突っ込んで身を隠そうというのと同じように、スケジュールと化した 「活動」 や、定型化した 「思考」 に逃げ込こんだところで存在しなくなるわけでもない。

 「現実」 というものは、むろん重要であり大切なものである。だが、困ったことに、「現実に目を向けろ!」 だとか 「議論より行動だ!」 などと言っている人らが、本当に現実を直視し、現実を理解しているとは必ずしも限らないものである。それに、そもそもどんなに正しそうな言葉でも、ただ振り回すだけなら、誰にでもできる簡単なことでもある。






Last updated  2009.07.02 19:57:15
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2008.01.31
カテゴリ:雑感

 一月も今日で終わりで、今年も残すところ、あと11ヶ月ということになってしまった。そこで、ちょっと思い立って、今月に買い集めた本を調べてみた。


  ゲド戦記 影との戦い    ル=グウィン   岩波同時代ライブラリー
  錬金術と無意識の心理学   C.G.ユング     講談社+α新書
  科学論入門            佐々木 力     岩波新書 
  信長と天皇              今谷 明       講談社現代新書 
  梶井基次郎全集                      ちくま文庫
  トクヴィル              小山 勉      ちくま学芸文庫 
  木橋                  永山 則夫     河出文庫 
  定本 奇人研究Z         奇人研究学会   ちくま文庫
  由熙 ナビ・タリョン          李 良枝       講談社文芸文庫 
  渋江抽斎               森 鴎外         中公文庫 
  気流の鳴る音            真木 悠介     ちくま文庫
  ドラコニア奇譚集         澁澤龍彦      河出文庫 
  夢の宇宙誌           澁澤龍彦      河出文庫 
  ヨーロッパ文化と日本文化  ルイス・フロイス   岩波文庫
  日本の歴史をよみなおす   網野善彦      ちくま学芸文庫


 たぶんもうちょっとあるような気もする。ただし、白状すると、このうちちゃんと最後まで読んだのは、一番下の一冊だけであり、残りは全部机の上に重ねたままである。ううっ、悲しい。

 なんとか、まとまった時間が欲しいものである。だったら、やくざなブログ記事なんか書くなって。まさにそのとおりであって、そう言われると、まことに返す言葉がない。

 で、これだけの本を買うのにいくらかかったかというと、たった3,150円である。というのも、最後の2冊を除いて、すべて近くのブックオフで、一冊105円で買った本だからである。

 ちなみに、以上の本をすべて定価で買ったとすれば12,366円である。したがって、差し引き9,216円儲かったことになる。ただし、古本の中には今はもっと高い値がついているのもあるだろう。むろん、儲けといってもあくまでも想像上の話ではあるが。

 さて、ずらりと並べた書名を眺めてみると、われながらその統一性のなさにあきれてしまう。まさに、濫読・雑学のきわみである。しかし、こういう特定の分野などにこだわらない手当たり次第の読書にも、それなりの効果はあるものである。

 それは、いわゆる 「トンデモ」 説とか 「トンデモ」 本の類に、引っかからずにすむようになるということである。また、「トンデモ」 本の類でも、日頃からいくらか読んでおけば、自分で自分に免疫をつけておくということにもなる。

 ところで一ヶ月の間に10冊以上の本を買って、そのうち実際に読んだのはたった1冊にすぎないとすれば、どう考えても月に10冊を超える未読の本が溜まっていくことになる。

 これは、細い下水管に大量の汚水がどどっと注ぎ込んで、あふれ出すのと同じ理屈である。実際に、わが家の書棚からは、すでに書物が収まりきらずにあふれ出しているのであり、溜まっている古い本からいくら読んでいっても追っつかない状況である。

 ほんとうは、未読の本をちゃんと消化してから、次の本を買うべきなのだろう。すでにもう、残りの人生を過ごすのに十分なくらいの未読の本が溜まっていて、なかには高校時代に買ったまま、30年以上もの間、すやすやと眠っているままの文庫本とかもあるくらいなのだ。

 だが、仕事の合間の息抜きといったら、散歩をかねたブックオフ巡りぐらいしかなく、そこで、面白そうな本を見つけたらついつい買い込んでしまうのだ。なにしろ、古本との出会いは、まさに 「一期一会」 とも言うべきものであるから。

 とにかく、1冊105円といえば、缶コーヒー1本よりも安いのだから、これという本を見つけたら買わない手はない。

 というわけで、わが家には未読の本が次々と溜まってゆくのであるが、これは、すべてそのような安値で本を売っているブックオフの責任なのであって、けっして私の責任ではないのである。







Last updated  2008.02.01 05:01:36
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2008.01.16
カテゴリ:雑感

 なんだか、ずいぶんおっかないタイトルであるが、この場合の 「政治的」 というのは、政党だとか政治家だとかが関係するような、厳密な意味での 「政治」 ではなく、家庭の中での夫婦の争いや、学校、会社、同好会、その他いろんな組織や団体で、ごく普通に起こるもめごととか、勢力争いだとかを含めた広い意味で使っている。

 さて、なんでもよいが、なにか問題が発生し、抜き差しならぬ 「対立」 が生じた場合に、いっけん局外の第三者という立場から、「どっちもどっちだよ」 みたいな発言をする人をよく見かける。

 なるほど、「対立」 がにっちもさっちも行かず、しかもなんらかの 「解決」 を緊急に要するような場合には、そういう第三者的な立場からの裁定というのも、確かに必要ではある。

 世の中の裁判所というものはそういう目的のためにあるのだし、企業どうしの契約などでは、紛争が生じた場合の解決方法などについて、仲裁人の選定だとか仲裁の進め方だとか、いろんなことが事細かに定められているものだ。

 いうまでもないことだが、裁判所がそういう権限を有していることは法律で決まっていて、その権限には基本的に誰もが服さざるを得ない。また、仲裁人による和解や仲裁のような場合には、当事者どうしがまず仲裁人の選定について、あいつはいやだとか、こいつがいいとか、ぐちゃぐちゃ言いながら、最終的に合意することが必要である。

 たとえば、喧嘩の真っ最中に、いきなり第三者が現れて、「待った、待った、その喧嘩、おれが買った」 などと、かっこつけて割って入ったところ、両方から邪魔者扱いにされて、袋叩きにあってしまったなんて話もよく聞く。もっとも、その結果、もとの喧嘩が収まって、両人が仲良くなったのなら、それはそれで、仲裁に入った者としては本望なのかもしれない。

 要するに、なにが言いたいのかと言うと、仲裁者としての権限を行使するには、まず両方の当事者から、その資格と裁定のためのルールについて、同意を得ることが必要なのだということだ。

 そうでもないのに、いきなり第三者が現れて、当事者の同意も得ずに、なにか勝手な 「発言」 をはじめれば、それはもうすでに 「局外中立」 でも 「公正な第三者」 のものでもない。

 発言者は、その行為によって、すでにじゅうぶんに問題に巻き込まれた 「当事者」 になっているのであって、その発言はメタな立場にある 「公正な第三者」 によるものではなく、その人自身の一方的な意見と、一定の立場の表明にしか過ぎなくなってしまう。

 ましてや、当事者のスタンスを無視して、実効性も乏しいルールを勝手にこしらえたうえに、問題の具体的内容や時系列的過程も配慮せず、当事者の承認もなしに持ち出してきて一方の当事者のみを裁くことは、すでに 「公正中立」 な立場とはとうてい言えまい。

 それでも、あえてなにか言いたいというならば、「公正中立な第三者」 としての立場など表明せずに、最初からよく考えて、自分の旗幟を鮮明にしたうえで発言したほうがよっぽどよい。たいした根拠もないのに、「存在」 も 「不存在」 も証明不可能な類の推測を持ち出して、あとでぽろりと馬脚を現してしまうぐらいなら、そのほうが本人の信用にとっても、はるかによいことだ。

 メタな立場にあるかに見える 「公正中立な第三者」 という、いっけん 「非政治的」 な旗印は、当人の意思がどうであれ、多くの場合、どちらを支持するかを明瞭にした旗印よりも、はるかに 「政治的」 に機能するものなのだ。


(追記は削除しました)







Last updated  2008.01.18 11:39:56
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2008.01.13
カテゴリ:雑感
 豊臣氏が滅亡したのは、今から400年ほど前に起きた、冬の陣と夏の陣の二度にわたる大阪の役によってである。この役については、秀吉の息子 秀頼が方広寺に納めた鐘に刻まれた 「国家安康」、「君臣豊楽」 の銘に、家康側が難癖をつけたとか、冬の陣での約束を破って、家康側が城の外堀だけでなく、内堀まで埋めようとしたとか、いろんな話がある。

 幕府を開いて、すでに天下を統一した家康にとって、大阪という重要な場所に天下の堅城を構えて、いまなお家康の権威を無視し続ける、秀頼と淀君の存在がうっとおしかったのは間違いない。しかし、この時点で、はたして家康に豊臣氏を完全に滅亡させようという意思があったとは、必ずしも断言できないようだ。

 しかし、豊臣方と徳川方の間に不穏な空気が立ち込め始めると、大阪城には、夢よもう一度とばかりに、一旗あげることを目論んだ牢人らが続々と詰め掛け、無謀にも家康と一戦を交えようという雰囲気が醸成されてゆく。そんな中で、衝突すればとても勝ち目などなく、結局は豊臣の滅亡にいたることを気遣っていた、大阪方の中の和平論者らは、次々と城から排除されていくことになる。

 この事件の場合は、たしかに淀君自身がとても誇り高い女性であったようだから、このような経過はしかたなかったのかもしれない。何万もの牢人を全国から集めて召抱えたのも、自分たちが意図してやったことであるから、豊臣の滅亡という最終的な結末も、いわば 「自業自得」 のようなものなのかもしれない。


 いつの世も、争いが始まると、待ってましたとばかりに、どこからか頼みもしない援軍がぞろぞろと集まってくるものである。彼らは、争いのなかで手柄をたて、名を挙げるのが目的であるから、争いが沈静化してしまっては面白くない。であるから、こういう人々は、たいていの場合、争いをおさめることよりも、争いを煽り立てることのほうに関心を持つものである。

 その結果、当の本人が、たとえ内心では、これはやばいかな、このまま行ったらまずいかな、などと思っていても、せっかく集まってくれた援軍の手前、弱気なことを言うわけにはいかなくなってくる。つまり、引くに引けなくなってくるのである。手を叩いて、「がーんば!」 などと励ましてくれる大勢の支援者の手前、あっさりと自分の非を認めてしまっては、大将の沽券にも関わるというものである。

 世の中のもめごとというものは、たいていの場合、そういう 「無責任な援軍」 のおかげで、かえってややこしくなったりする。その結果、早めにわびをいれておけば大事にならずに済んだことまで、大変なことになって、かえって不利な結末を迎え、面目を失ってしまったりするのである。

 当事者をそっちのけにして、支援者ばかりが盛り上がり、その結果、肝心要の当事者が置いてきぼりを食らうというようなことも、昔からあちこちの運動で見かけることであるが、それと同じように、なにかもめごとが起きたときも、基本的に周囲の人間は黙って見ていたほうがよい。少なくとも、無責任に争いを煽り立てるようなことはしないほうがよろしい。






Last updated  2008.01.13 16:15:26
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