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カテゴリ:♯すこやかな成長をねがって♭
朝日新聞の6月16日,17日の体罰を語るに次の記事がある。 「負けるのは指導者のせい。走る前から選手を追いつめていた。 『走れんかったら怒られる』と選手は縮こまる。 それから殴るのをやめて,練習も選手に任せました。 長所を見つけては褒めることを心がけました。 するとのびのび楽しそうに,自分から練習するです。 体罰に教育的効果なんてありません。 生徒は殴られたことだけを覚えています。 殴った方もいい気分だったことは一度もありません。」 「選手にとってミスは成功より頭に残っているものだ。 そこで指導者が頭ごなしにしかっても進歩がない。 選手がミスを肯定的にとらえ,前向きにさせることこそが コーチの仕事だ。失敗した時こそ,選手は伸びる好機なんだ。 体罰に頼るのではなく,選手の失敗を肯定しながら指導することが, 近道だ。」
子どもたちには,上記の指導者のような気持ちでありたい。 子どもは叱られる親のために生きるのではない。 子ども自身の人生のために生きなければならない。
ところで,今日の夕食の際,昼間の勉強会の話の内容を話した。 「これまで労働者を守っている労働法が,労働者を守らなく なりつつあるということだ。 採用期間が3年とか,会社が簡単に労働者を 首にできるようになるかもしれない。」 と説明してやった。すると 「労働者って何」と○ちゃんが質問する。 「会社で働いて給料もらう人」と母親が答える。 「交響楽団の人は労働者じゃないよね。」とさらに○ちゃんが質問する。 「給料もらうから,労働者」とまた母親が答える。 私は 「これからは,勉強ができるより,生きる力が必要だ。 どんなことがあっても,生きる力だ。 だから運動をすることは大事だよ。 年金もなくなるかも知れないよ。」 とさらに説明した。 「年金がなくなるなら,孫が必要になるね。」 と○ちゃんが答えた。 一瞬意味がわからなかったが,直に笑った。 「孫が年金の代わりね。」
ますます,息苦しい社会になるのかなあ。 明日に生きる子どもたちに, 何をしたらよいのだろうか。 何ができるのだろうか。
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