2009/04/20(月)18:09
さよなら4輪駆動車
私は、車は環境問題があるから、買わない主義であった。
子どもが生まれた。
子どもの病気のとき、都会でも深夜タクシーつかまなないことがあった。
また、仕事上でも公然と乗車拒否が続いた。
そんなことから、運転免許証を身分証明書代わりに使っていた、私が車を購入した。
車種は、子どもとの遊びをも考えて、4輪駆動車を購入した。
特に思い出がある。
潮干狩りの途中、首都高の渋滞中に子どもがおしっこがしたいといって
難儀をしておしっこをさせたこと
長女がまだ一切のとき、信州の山の中で、脱輪して、まだ携帯がない時代
長女を抱っこしながら、付近の家の電話を借りにいってJAFを呼んだこと
雪の降った日、河原に出かけ、車輪が空転し、ぬかるみから脱出できなり、
ほん太に運転させて、私が全身で車を押して脱出したこと。
子どもたちが小さいときは、川原の土手を上がったり、下ったり
みんなの、歓声を聞きながら、運転したこと
夜、急に鼻血が出る長女を大学病院に連れていくために、ほん太も起こして車に乗せて
向かったこと
文字とおり、この小さな4輪駆動車とともに子育てがあった。
現在では、もう、車で子どもたちと一緒に遊びにいくことも少なくなった。
今回、これを手放すことになった。
前の車の4輪駆動車はと合わせて、約13万キロだ。
地球の半分近くの距離だ。
この間、長女は、音楽を模索し、その道を目指している。
そして、ほん太は、まだ模索するものを探している。
健康な身体、音楽を通じた感性を基礎として、
なにか、全力で掛けることができるものを見いだしてくれからと思っている。
・・・・・・
今日、担当者にお願いしたら、車のミニチュアをもってきてくれた。
ほん太にあげるつもりだ。