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テーマ:歴史から学ぼう(38)
カテゴリ:歴史から学ぼう
非常に多いと思います。 その山本さんが海軍兵学校時代のクラス会(32期生)で 「おれたちのクラスで大将になるのは、堀ひとりだけだよ。 おそかれはやかれ皆、首になるよ」 と言ったことがあるそうです。 「海軍兵学校創立以来、未だ見ざる秀才」 そう謳われた人物-堀悌吉中将。 海軍良識派の提督の一人で、 クラスメイトだった山本さんとは、 山本さんが実兄に「吾、一人の友を得たり」 と書き送ったほどの親友(心友)だったそうです。 また海軍が輩出した名リーダーの一人、 山梨勝之進大将にいたっては 「堀君、君死ぬなよ。 君が死ぬとぼくの生きている価値が、 半分いや七割なくなるよ」 とまで言っていたといいます。 そんな堀さんが、太平洋戦争ではどんな役割を担っていたのか? 興味があるのは私だけではないと思います。 昭和16年12月8日-真珠湾攻撃-。 その時、彼の肩書きは… 浦賀船渠株式会社取締役社長、というものでした。 「あいつら、よくも、堀をクビにしやがった」 軍縮こそ日本の進むべき道。 海軍良識派の中でも、ラディカルな堀さんが 軍縮反対派の手によって 予備役に編入されたことを知った山本さんが 激怒の言葉を放ったのは昭和9年のこと。 クラスメイトの間に 「神さまの傑作のひとつ堀の頭脳」 という句さえ残っている堀さん。 対米英開戦どころか三国問題にさえ関与せぬまま 海軍を去っていたのでした…。 堀悌吉(1883.8.16~1959.5.12) 参考文献:海軍の逸材堀悌吉(宮野澄 光人社文庫)
最終更新日
2007年09月23日 22時50分07秒
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