清盛祭(音戸町)百万石格式の大名行列。
4月23日呉市音戸町で安政5年に始まった百万石格式の大名行列『音戸清盛祭』が主宰され見に行ってきました。本州側の呉市警固屋と倉橋島の呉市音戸町との間にある海峡で、北側が警固屋7丁目と音戸町三軒屋ノ鼻、南側が警固屋町鼻崎と音戸町清盛塚、 ほぼ南北に伸びる海峡で、南北方向約1,000m、幅は北口で約200m南口の狭いところで約80m。工事はあと少しで完成しようとしていたが、日は沈み観音山の影に隠れた。そこで清盛は山の小岩の上に立ち金扇を広げ「かえせ、もどせ」と叫ぶと日は再び昇った。これで工事は完成した。沈む夕日を呼び戻し、1日で開削したとする清盛の日招き伝説もある。 『音戸の瀬戸(おんどのせと)』 清盛塚に『平相国清盛公』と書かれた幟が掲げられていた。平清盛は並の太政大臣ではないと言うことで朝廷から相国の官位が贈られました。他に相国を贈られた人物は足利義満と徳川家康だそうです。清盛塚近くでは神事が行われていた。神事が終わると「平清盛」にゆかりのある太鼓の演奏が披露された。太鼓の演奏が終わり、祭りの開催は何時なのかなと思いながら待っていると花火が打ち上げられ、祭りが始まった。大名行列の順序は72番まであり、撮り終えた写真の整理が出来次第順次投稿予定です。いつも応援して頂きありがとうございます。呉情報に飛びましたらランキングIN2位・OUT1位の「気ままな生活」も、ポチッと応援して下さいね。皆様の応援が励みになっています。 にほんブログ村