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柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言を受け、女性・市民団体などからも辞任を求める声が広がってきた(毎日新聞 - 01月30日 12:40)
ひどいやつだなと思いつつ大臣の発言の原文をさがすも,出てこない.「発言」を誰かが録音したものをテレビのニュースで聴いたときにはこのとおりの表現はなかった.いろいろさがしてみたけどこのひとが「女性は子供を産む機械」と言った記録はない.「(女性は)産む機械」という表現をした新聞もある.本人は「産む機械」と言ったのに報道が解釈して「女性は」をつけ加えたのでしょうか? 一番近そうなのがinfoseekニュースが掲載した夕刊フジの記事の一節で, この中で、出生率の低下に言及した柳沢厚労相は、 「15~50歳の女性の数は決まっている。産む 機械、装置の数は決まっているから、あとは1人 頭で頑張ってもらうしかない」などと話した。 とあります. 確かに上の発言で「数は決まっている」のは「15~50歳の女性」であり,「産む機械、装置」なんだから, 「15~50歳の女性」=「産む機械、装置」 という推論が成り立つのかもしれませんけどね,比喩ですよ.「女性は産む機械だ」というのとは意味が全く違う. 機械といっても存在といってもシステムといっても単位といっても同じだと思うけれど,何かそれぞれの方に一番抵抗の少ないことばを選んでもらうことにして,ここではXとしておくと, (1) 個々の「子供を産めるX」が産む子供の数(a)と (2) 子供を産めるXの数(x) の積(a × x)で生まれてくる子供の総数(y)が決まる.(2)のxが固定している以上,yを増やすには(1)のaを増やすしかない. 抽象的なレベルで大臣のこの議論は正しい.そしてこういう問題状況を工場かなんかをモデルに考えると理解しやすい人が聴衆にいるんでしょうね.計画的に何かを増やそうとするとこういう発想になる. ド・ラ・メトリが「人間機械論」を発表したときもいろいろ非難があったと聴きますが,認知心理学なんてものは人間を情報処理装置と見なすことで成り立っている.少なくとも人間の機能のある側面を情報処理的なモデルでとらえるのが認知心理学だったり認知科学だったりするわけだ.わたしも決定理論の授業の中で確率判断のキャリブレーションという概念を説明するときに「人間を確率判断装置と考えてその精度を検査することをいう」みたいな言い方はする.装置といっても機械といっても同じことだから,「人間は確率を判断する機械」だと言ったとか,「人間を機械扱いして,なんだ」という批判は受けることになるのかもしれない. 柳沢大臣も「女性」だけを取り出さずにはっきりと「人間は子供を産む機械だ」と言っておけばよかったのかな.今は女性だけしか産めませんが我が国の技術力をもってすればいずれ男性も産めるようになります,その日が来るまで大変ご迷惑さまではございますが女性の皆さんに頑張っていただいて... とか. バーナード・クリックが「政治の弁証」で説いたように,政治が本来は弁論の芸術であり,暴力に対する対案であるなら,政治家はもうちょっと言葉の使い方の訓練を受けたほうがいいのではないかとは思う.しかし柳沢厚労相をひきずり下ろそうとしている他の政治家にもこれは言えること.言葉尻をとらえて政争の道具に使う暇があったら,実際に子供を産めるXの数が増えたり,個々の「子供を産めるX」が産む子供の数が増えるような具体的な方法を考えたり,子供の数が増えなくても成り立つような社会のあり方を工夫することに時間を使ったほうがいいんじゃないでしょうか. この件に関する他のブログの発言へのリンク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.30 15:42:28
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