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昨日,胡麻さんが北鎌倉から藤沢まで歩いたと聴いて,久しぶりに加藤理氏の「〈古都〉鎌倉案内」を読み返してみました.
副題のとおり「いかにして鎌倉は死都から古都になったか」という内容なのだけれど,いまでこそ観光客のたくさん訪れる鎌倉も明治の初めまでは寂れた村だった.その鎌倉と軽井沢にはどちらも文士と関わりが深く観光客の多い場所というふうに共通点も多いのだけれど,とくに寂れていた村が外国人によって再発見されて保養地,別荘地,観光地,住宅地という変遷をたどる歴史の符合が面白い. もちろん軽井沢いえば記念礼拝堂もあるA.C.ショーさんが有名なわけですが,昔あった草軽鉄道なんかを思い出してここを草津の入り口と考えるともうひとり,ドイツ人お雇い医師ベルツの名前が思い浮かびます.この本によれば「衛生」や「保養」という今では当たり前の概念はベルツが広めたといいます.呼吸器系の病気に罹らないための療養所のための土地として彼が特に勧めたのが草津,そして結核療養に適した土地として勧めたのが鎌倉の七里ヶ浜. 〈古都〉鎌倉案内 さて1879年に大仏坂切り通しが改修されて人力車が通れるようになります.1887年には東海道線が国府津まで延び,藤沢から大仏坂を経由して鎌倉に入る道が開けました.横須賀線ができるのは1889年だから,胡麻さんが歩いたルートの梶原から藤沢の部分は,そのころ東京から(比較的楽に)鎌倉に入る唯一の道の一部だったわけですね. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.14 22:11:41
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