2005/08/08(月)23:47
石塔調査のポイント 五輪塔の数えかた
小早川領にも、たくさんの五輪塔が残っています。
これまでの私たちの調査でも、竹原市で125基、三原市本郷町で86基、三原市大和町で90基の五輪塔を確認しています(調査はなお継続中です)。
五輪塔や宝篋印塔は、すべての部材を完備するものは少なく、多くは残欠か、寄せ集めです。
このため、石塔を数えるときは、石塔を構成する部材―たとえば五輪塔ならば、地輪・水輪・火輪・空風輪ごとに集計し、そのなかのもっとも多い部材を、その石塔の基数とします。
たとえ、すべての部材を完備していたとしても、個々の部材ごとに数えることが大切です(もちろん完備したものは、完備したものとして記録しておきます)。
このように計算することで、たとえ残欠しか残らなくても、また寄せ集めであっても、もともと存在していた基数を、ある程度は推測できます。
写真は、本郷町の船木に残る五輪塔群です。
ここには、地輪11基、水輪31基、火輪32基、空風輪は24基あり、火輪の数から、少なくとも32基の五輪塔を確認できます。
ただし、このなかには周辺から集めてきた五輪塔も多数あるといいますから、この場所に32基の五輪塔が立ち並んでいたわけではありません。
このように、五輪塔や宝篋印塔が立つ場所が、本来の造塔地ではないこともよくあることなのです。
しかし、移動したとしても、村内か、せいぜい数百メートル圏内の移動です。
そのことをふまえて、あらためてこの写真をみると、五輪塔はたくさんありますが、宝篋印塔は一基もありません。
残欠すらないのです。
このことから、この周辺を支配していた領主は、宝篋印塔を造塔できる領主(小早川一族)ではなく、その下のクラス、つまり家臣クラスだと考えられます。
このように、宝篋印塔や五輪塔の分布を調べることで、その土地と関わりの深い領主の階層をあきらかにすることも可能なのです。