カテゴリ:美術・博物・展示
今日も暑い日になった。部屋から一歩も外へ出ないで、一日中、テレビを見たり、切手9方陣を考えたりしながら過ごした。
テレビは、「モンサンミッシェル」、「西ノ島」、「光る君へ」、「神護寺と空海」、「動物園デザイナー」など、録画したものを色々見た。 今日は、昨日見た「難波宮展」について紹介する。難波宮は、飛鳥時代、大化の改新の実施のために光徳天皇によって建てられた都で、645年のことである。場所は、現在の大阪城の南側一帯。中国の宮殿を真似た堂々たる宮殿であったらしい。これを第一次難波宮という。光徳天皇が死ぬと、都は藤原京に戻された。そして686年、宮殿は全焼してしまった。 726年、聖武天皇の世になって、難波宮は再建された。これを第二次難波宮という。しかし、政治の舞台はもっばら平城京におかれ、難波宮は、長く使われることはなくなり、やがて歴史の舞台から忘れられていった。 難波宮が存在したという仮説を立て、宮跡の発掘、保存運動に奔走したのは山根徳太郎という人だった。彼の地道な発掘と説得によって、1954年にやっと調査委員会が設立され、大規模は発掘調査が始まった。当地は、国や府の合同庁舎や公団住宅の建設予定地になっていたが、発掘のために中止となった。もし、山根氏がいなかったら、現在の難波宮跡公園は、ビルの立ち並ぶ市街地になっていて、難波宮の存在は未来永劫、歴史の闇に埋もれたままであったことだろう。 図は、展覧会のチラシより。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.06 09:44:50
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