2006/06/24(土)10:22
5月30日 河西回廊、敦煌へ
5月30日(火)
今日の夕方6時の列車で敦煌へ移動する。
駅は、民族大移動さながらの人ごみだ。
列車待ちの間、いまさら井上靖の「敦煌」を読む。
中学の頃読んでなんとも思わなかったのだが、改めて読むと壮大な歴史ロマンだ。
趙行徳を西域に導いた強い力みたいなものに、僕も出会うのだろうか。
列車は軟臥という、日本の寝台列車のコンパートメントみたいな席を取る。
結構快適。
家族二組(父・母・3歳くらいの息子、母・5歳くらいの娘)と同じコンパートメントになる。
早速、片言の英語と筆談でコミュニケーション。
子供たちもなついてくれる。
二段ベッドの上から転げ落ちそうになるところを何回か助ける。
列車はしばらく市内を走ると、すぐ田舎の農村風景になり、畑の中をひたすら走っていく。
これから24時間の列車の旅がはじまる。
5月31日(水)
朝起きたら風景ががらりと変わっていた。
山にはもはや緑はなく、岩山が連なっている。そのふもとに広々と麦畑が広がる。
朝食は、ひもじく葡萄パンを食っていたら、家族連れのみなさんが卵やフルーツをめぐんでくれた。
朝食が終わる頃には、枯れた川や荒地が見え始め、砂漠が近づいてくる様相を呈してくる。
母と娘は張液で下車して、コンパートメントが急にしずかになる。
車掌の女の子と仲良くなる。まだ10代くらいの若い子だ。ウルムチ出身らしい。
英語ではなしかけると、「うわー、外人や。。。どうしよ、通じるかなあ」という表情する点は福井の高校生と変わらない。
昼前には回りは完全に砂漠になり、午後3時ごろには雪をかぶった祁連山脈が見え出す。
砂漠を走り、しばらくすると緑が見えてくる。オアシスだ。
ポプラ並木、りんごの木、麦畑、土作りの家。
この砂漠、オアシス、砂漠、オアシスの繰り返しだ。
嘉峪関をすぎたところで、万里の長城を横切る。
この地域が、万里の頂上の西の果てで、レンガ色の塀が、雪を頂いた山脈にむかってただひたすら伸びている。
夢中でシャッターを切った。
夜9時半に柳園(敦煌の最寄駅)着。
タクシーの客引きをかわして、敦煌行きのミニバスに乗り込む。
ミニバスは夜道を時速100キロ以上でぶっとばし、ぼろいバンががんがんゆれる。
ついでにとなりのイスラムの坊さんがやたらくさかった。
いい感じでfunkyな中国ロックが流れる。
そうこう2時間ばかり走って、やっと敦煌の明かりが見えてきた。
宿は西域賓館に。
一泊30元(450円)のドミトリー。でも、誰もいない。寂しすぎる。。。4人部屋独占。
学生時代以来の水シャワーの洗礼を受ける。