ガーナ日記です。
ガーナ人学生オトュー氏の主催によるHBSの学生30名のツアー。
飛行機の遅延や盗難などのトラブル続きでしたが、なかなか濃ゆい旅で、楽しめました。
出発日は、大雪でボストンからNYまでのフライトが5時間遅れるという波乱の滑り出し。
NYからガーナ行きのフライトは、オトュー氏と某D航空職員のどなりあいの末、なんとか待ってもらえ、命からがら乗り込む。
機内に乗り込んだあと、飛行機の遅延に腹を立てた客(僕らのグループではありません)が乗務員と激しい口論になり、銃を持った機動隊が乗り込んできてその客を飛行機から引きずり下ろす一幕も(何も機動隊呼ばなくてもね。。。)
ガーナの首都アクラには無事到着したものの、5人くらいの荷物が届いていない。NYでの乗り換え時間が10分程度だったからまあ仕方がないけど。
なので、初日は観光日程を大幅にずらし、日用品の買出しに終始。
ガーナというとサブサハラでは勢いよく成長している国というイメージがあったのだが、思ったより貧しい、というのが第一印象。
町には高いビルはほとんどなく、首都の中でもちょっと裏道にいくと未舗装の道路になる。
同じ途上国でも南米や東南アジアとは全く印象が違います。
* * *
二日目は、ガーナの要人たちを表敬訪問。
大統領には会えなかったものの、公共セクター改革大臣という役職の方に会うことができた。デロイト・コンサルティングのアフリカ代表だった方で、6年前に大臣の職にヘッドハンティングされたそうだ。
話を聞いていると、経済政策はプライベート・セクター振興政策の話が多く、日本で言うと、通産大臣/経済企画庁長官みたいな役職のようです。
目下の取り組みとして、以下のようなことを挙げていました。
1) プライベートセクター振興(鉱業と農業にフォーカス。特に農業は一次産品だけではなく、加工産業を強化していきたいそう)
2) 海外からの投資の誘致
3) 政府の収税力の強化
4) 政府のリストラ(政府職員の給与は税収の70%に達するらしい。これでは何もできない)
5) 医療などの公共サービスの強化
コンサル出身の人らしく、簡潔明瞭な話し方が学生の間で好評でした。
次に訪れたのは、ガーナ初の私立大学のAshesi大学。
http://www.ashesi.org/
創設者の方に直接話を聞くことができた。
彼は、ガーナで教育を受けたあと、米国の大学に留学し、マイクロソフトでエンジニアで勤務。
その後UCバークレーのMBAに通っているときに、ガーナの発展を妨げているものは、強いリーダーの欠如だ、という考えに至り、リーダーを養成する質の高い教育機関を作ろうということで、この大学を立ち上げたとのことだ。
最初はアメリカの社会投資家から資金を調達し、1999年に30人の学生からスタートしたそう。
今は経営状態も軌道にのって、約300人の学生がいるそうだ。
一人で大学を立ち上げただけあって、かなりパワフルな人でした。
最後に、データバンクという、ガーナ初の証券会社を訪問。
これも、創始者のケリー氏(ケネディ・スクールの卒業生)が自らプレゼンをしてくださった。
ガーナの証券市場は1980年代後半から存在していたのだが、まともなリサーチを提供する会社がなく、取引はかなり薄かったそうです。
ケリー氏は、これをビジネスチャンスと思い、1990年に投資リサーチ会社として、データバンクを設立。
このリサーチ・レポートが欧州の投資家に大うけし、データバンクは1990年代に急成長を遂げる。
ブローカレッジ、投資銀行業務、プライベート・エクイティ業務にも参入。
競争相手が全くいないので、当然成長も速い(いまはやりのブルー・オーシャン・ストラテジーってやつですな)。
今ではガーナ証券取引所の取引シェア45%を占める証券会社だそうだ。
ガーナで確固たる地位を確立し、今後は2015年までに西アフリカを代表する証券会社になることを目指し、ナイジェリアやトーゴなどの近隣諸国への進出を図っているそうだ。
また、ガーナが豊かになるには、人々が貯蓄をすることが鍵で、「貯蓄」という概念をガーナに植えつけたい、とも話していた。人々が稼いだお金を消費してしまわず、貯蓄やガーナ企業の証券投資に回せば、より多くのお金が国内の産業に流れて、経済が成長していくだろう、とのことだそうだ。
プライベート・エクイティ投資も順調なようで、これまで10件程度の投資を行ったそう。
業種は農業、鉱業、林業、マイクロ・ファイナンスなど、多岐にわたるそう。
平均投資金額は$10万ドル(約1000万円)だというから、お手ごろなサイズだ。
将来アフリカ向けのソーシャル・ファンドを立ち上げてみたいんだよね、と話したところ、興味を示してくれ、詳細なディールの話を聞くことができた。
政府が安定した経済政策を打ち、上記の私立大学や証券会社などのパワフルなアントレプレナーたちが新しい産業を興していく、というサイクルが回っていけば、この国も面白くなるかもなあと思いました。
* * *
翌日、ガーナ西部のケープ・コーストに移動。
植民地時代に、黄金、象牙、奴隷(。。。)の取引で栄えた町だそうです。
写真は、当時のイギリス軍の要塞。
そのあと、数日間は、ガーナ内陸部の観光を行う。
ファイナンスのデリバティブを用いたヘッジのケースに登場したアシャンティ社(ガーナを代表する鉱業会社)を訪問し、金の鉱窟に案内してもらう。
30分くらい洞窟を歩いた先に、確かに金色に光る物質が洞窟の天井にこべりついてます。
一同感動。
そのほかの内陸部で撮った写真をいくつか載せます。
内陸部のある町のホテルで、メンバーの携帯電話が数台盗まれる事件がおき、ちょっとした騒ぎになる。
携帯機器は闇市場で高く売れるそうです。
途中から合流したガーナ人クラスメートのブライアンに盗難のことを話したところ、「これはガーナの威信に関わる問題だ!」ということで、財界の重鎮である彼の父親が、ホテルに直火焼きを入れた上、ネットワークを駆使して犯人と携帯電話の捜索に動くそうな。
ガーナのお金持ちはなんかすごいコネをもってそうだから、もしかすると、携帯電話ほんとに戻ってきちゃうかもしれません。
最終日は、ガーナの伝統演劇を楽しむ。
ガーナ大学の演劇科の学生による上演で、衣装のカラフルさが印象的でした。
* * *
ガーナの話はここで終わりなのですが、帰国の過程では、D航空にかなり痛めつけられました。
ガーナからニューヨークへ戻るフライトも、案の定大幅に遅れ、将棋倒し状態で、ニューヨークからボストンの接続便にも間に合わず。フライトを変えてもらおうとするも、いろんなデスクをたらいまわしにされた挙句、最後はなぜかお前の名前はシステムに入ってないという理不尽な難癖をつけられ、何の補償もなく追い返されました。
結局飛行機はあきらめて、深夜発のチャイナタウンバスをなんとかつかまえ、夜中の3時過ぎにボストンに戻ってきました。
さすが、「Snake on the Plane」(ちょっと前のB級映画)の舞台になった航空会社だけのことはあります。
まあ、墜落しなかっただけよいのかもしれません。
実はあさってにD航空のCOOがキャンパスに講演に来るらしく、ツアーのメンバーの連名で苦情のレターを渡そう、という話になっていますが、どうなることやら。
個人的には、倒産した航空会社に何かを要求しても時間の無駄だと思いますが(棘)、この辺の熱いアクティビストぶりが、HBSならではの特徴なのかもしれません。