今日が、マートン教授の連続講義最終回でした。
そして、これが、僕にとってのハーバード・ビジネス・スクールで受ける最後の授業になりました。
昨日の講義では、マートン教授が関わった超有名ヘッジファンドLong-term Capital Management社(以下「LTCM」)の設立から滅びに至るまでを描いたケースを読み、LTCMでトレーダーをやっていたエリック・ローゼンフィールド氏を迎えての授業。
「LTCMは怪しげなデリバティブを使いまくって、無茶なリスクを取って自滅した」
とか
「傲慢な学者たちの数学モデルの限界が露呈」
など、マスコミや評論家からはセンセーショナルな取り上げられ方をされがちなLTCMですが、
本当に現場で起こっていたことはなんだったのか、何がLTCM崩壊の真の要因だったのか、ローゼンフィールド氏が解説をしてくれました。
なかなか難解なお話で、恥ずかしながらそんなにきっちり理解したわけではないのですが、理解の限りで書いてみると、こういうことのようです。
- 1998年8月17日
ロシアがなぜか自国通貨建ての債券でデフォルト(普通は他国通貨建てのものを先にデフォルトするのに)。その後債券市場が荒れ模様を見せ始める。
- 1998年8月21日
突如、アメリカやイギリスの国債のスワップ・スプレッドが、LTCMの読みと逆方向に大きく動く。同じ日に、LTCMがリスク・アーブをかけていたTellabs社によるCiena Corp社の買収が破談に。この二つの「運の悪い」動きで、LTCMは5.5億ドルの巨額の損失を計上。
- 1998年9月
8月は単なる「極度の運の悪さ」が続いただけだったが、9月に入ると「マーケット全体がまるでLTCMを陥れるかのように動き始める。」
LTCMと取引をしていたカウンターパーティーが取引を手仕舞いはじめる。
「我々は、みんなが品物を投げ売る中、腐っていく在庫を抱えて、なすすべがない野菜の卸売業者のようだった」
LTCMが取っているポジションがだんだん明らかになっていくと、LTCMが潰れる方向に賭けてトレードをするひとたちも出てきます。
マートン教授いわく、「あの時期は、画面を見ると、取っているポジションが全て真っ赤だった(※ブルームバーグなどの端末では、値段が下がると赤字で表示されます)。ショートだろうが、ロングだろうが、関係なく画面は真っ赤。あの光景はもう思い出したくない。」
こういった状況では、平時にはcorrelationが低いと想定されていたすべてのポジションのcorrelationが限りなく1に近くなり、分散投資効果もへったくれもなくなってしまう。
運の悪さに端を発したものの、一旦マーケットの「神」に「滅びる」と魅入られた者は、その「神の見えざる手」に抗うすべなく、「自分を陥れるかのように動く」市場の連鎖反応が加速する中、なすすべなく沈んでいくしかなかったということなのでしょうか。
やはり、マートン教授にとって、破綻した会社の話をするのは辛いらしく、やや感情的な感じで、昨日の授業は終了したのでした。
明けて、今日。
生徒からの様々な質問に、マートン教授が忌憚なく答えるというなんとも贅沢なセッション。
その中でいくつかの心に残ったメッセージを書いておきます。
「私は、君たちに、単なる金融工学の公式を教えたんじゃない。私が本当に教えたかったのは、金融のツールを使って、これから君たちが直面する複雑な問題をどういうアプローチで解くか、という考え方だ。
『連続時間型ファイナンス』や、『Dynamic Replicating Portfolio』、『Institutionではなくfunctionという切り口で世界を見る』といった堅牢な思考方法は、shelf-lifeが長く、いろんな局面で応用することができ、きっと君たちが将来向き合うであろう問題を考えるのに役に立つだろう。」
「ときどき、学生が私のところにきて、『金融の世界では、重要な発見はされつくしてしまった。』と嘆いたりする。
全くそんなことはない。
金融の世界は、まだまだイノベーションの余地がある、とてもエキサイティングな分野だ。
これから金融界に入っていく人たちは、祝福されるべき人々だ。」
また、マートン教授のデリバティブに対する考え方も披瀝されます。
教授は、まだ市場は完全に効率的ではなく、様々なリスクが、そのリスクを取るべきではない人々によって保有されている、という風に考えているようです(筆者注: 以前書いた造り酒屋のクレジットリスクの話を思い出してください)。
LTCMは、そういうリスクを取るのにもっと”comparative advantage”がある人々にとってもらうための、仲介業務を行うという役割も持っていた、とのこと。
だから、デリバティブは、単なるギャンブルの道具ではなく、リスクの仲介をするためのツールとして使おうとしていた、ということなのでしょう。
そして、マートン教授が強調していたのは、
「人間は決して愚かではない」ということ。
金融市場で危機が起こると、メディアなどから、「無茶なリスクを取りすぎた愚かな行動」などと批判されがちです。
もちろん、それはもっともな指摘ではあります。
車の世界に例えると、ABSブレーキが導入されても、事故は減らなかったりします。
なぜなら人はいいブレーキがでたらもっとスピードを出そうとするから。
デリバティブについても、そういう側面もあり、それが金融市場の危機の発生につながっている面は否定できません。
おそらく、LTCMのパートナーたちは、「ABSブレーキが入ったのをいいことに、高速道路を今までより速く走った」のかもしれませんし、起こりうる危機に対する理解は不十分で、実際に危機の際に起こったマーケットの動きは、彼らの想定やモデルには織り込まれていなかったのでしょう。
でも、危機の現場にいたファンド・マネージャーやトレーダーたちがバカだったわけでは決してなく、彼らが一生懸命知恵を振り絞って、より市場を効率的にするためのイノベーションを起こそうという試みをしていたという側面があることは理解してほしい、ということを強調していました。
世の中にうごめく様々なリスクを、そのリスクを一番取るのに適しているところに移そう、という試み自体は、世の中的に価値がある動きだと思いますし、
だからこそ、マートン教授も、ファンドをひとつ潰すという強烈な試練を乗り切り、その教訓を生かしながら、更なる金融イノベーションの研究を進めているんだと思います。
授業の後にマートン教授の著書「Continuous-Time Finance」にサインを頂きました。
教授が筆を取ってさらさらと書いた言葉は:
"Fellow trader in the exciting world of finance
Robert C. Merton
April 29, 2008"
「Fellow trader」ってどういう意味なんだろうとしばし考えたのですが、
「一緒に働く(債券や株式の)トレーダー」と直訳するのではなく、
「戦友」っていう意味なのかなあ、とふと思いました。
つまり、
"このエキサイティングな金融の世界で共に戦う(君の)戦友
ロバート・C・マートン
2008年4月29日"
人間は時に失敗するけれども、まだまだ改善やイノベーションの余地がある金融市場で、共に知恵を振り絞って戦っていこうじゃないか、というマートン教授からのメッセージに、思わず胸が熱くなりました。
本当に金融の世界は複雑です。
マートン教授のような天才でも、時にはリスクを見誤って大損をこくこともある。
それでも、「人間の知」のポテンシャルを信じて、より人間社会に貢献する金融技術を目指して研究を進めるマートン教授の前向きで建設的な姿勢は、尊敬に値すると僕は思います。
そして、この「建設的な楽観主義」は、金融に限らず、僕のハーバードでの生活を総括する言葉なんだと思います。
僕が、ハーバード・ビジネス・スクールで学んだ最大のもの、それを少しでもクリアな言葉に結晶させようと試みるならば、それは、
絶望的なまでに複雑な問題を抱える世界の姿を2年前の自分よりもより精緻に見つめることのできる視座、
その複雑さをかみしめ、問題に正面から向き合おうとする許容度、
そして、それでも、僕たちはきっと問題の改善に向かって前進していけるだろうと信じられる人間の叡智への希望、なのかもしれません。