本との関係記

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2008/01/08
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カテゴリ:その他

楢山孝介名義で掌編小説と詩をそれぞれ「きらら」「詩と思想」に投稿。

きららTOP(4コマ漫画雑誌とは別物)


小学館「きらら」携帯メール小説大賞入選履歴

第37回 『山下グレコ』佳作
第39回 『最後の海』月間賞 佐藤正午選
第41回 『鳥男』月間賞 盛田隆二選 およびグランプリ
第42回 『指の綾子』佳作

グランプリ発表ページ(2008年6月20日まで)
 
月間賞バックナンバー

佳作はそれぞれ公開終了


土曜美術社出版販売「詩と思想」読者投稿欄入選履歴

2007年1・2月合併号『金色の秋』『同じ道を歩いている』入選
3月号 『鴨、戻る』佳作
4月号 『銃声響くのどかな公園』入選
5月号 『少年ガリレオ』入選
6月号 『眉月』佳作
7月号 『春先の放埒』入選
9月号 『埋雪』入選
10月号 『蛍光灯を取り替えるまで』入選『作品番号00457』佳作
12月号 『風雷』佳作
2008年1・2月合併号『言葉は海から』佳作

佳作は選評のみ掲載。

土曜美術社出版販売WEBサイト



その他特になにもなし。






Last updated  2012/04/02 10:14:40 AM
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2007/01/03
カテゴリ:その他
読者投稿作品掲載欄に、楢山孝介名義で『金色の秋』『同じ道を歩いている』の二編が掲載されました。






Last updated  2007/01/04 01:56:42 AM
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2006/10/20
カテゴリ:その他
小学館発行の文芸誌『きらら』が主催している、きらら携帯メール小説大賞第29回月間賞で『兵士と老人』が佳作になりました(楢山孝介名義)。
入選作は雑誌掲載、佳作はWEB掲載ということで、きららのサイトで読むことが出来ます。


きらら携帯メール小説月間賞 第29回月間賞発表

きららTOP






Last updated  2012/04/18 05:39:39 PM
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2006/08/29
カテゴリ:その他
読者投稿作品欄に、楢山孝介名義で『死滅回遊魚』という詩が載りました。
詩誌としてはメジャーな方なので、かなり大型の書店なら、置いてあるかもしれません。






Last updated  2012/04/14 10:27:31 AM
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2006/04/25
カテゴリ:その他
知り合い……(というわけでもないんだけれど何というか)の書いたお話が某所でやたらと盛り上がっている。

前編
後編
簡易版
最後に糞が出てくるあたり、「我慢出来なかったんだ」感が。

本はじゃんじゃん読んでます。お気に入り作家に長嶋有追加。






Last updated  2012/04/16 03:18:02 PM
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2005/12/31
カテゴリ:カテゴリ未分類
 いつからだったか詳しい時期は思い出せない。プロの書評にしろ、素人の感想にしろ、あまり読まなくなった。今では相互リンクしている方のを時々覗くくらい。本を読まなくなったわけではない。自分が読んでいく本の選び方に、人からの影響がなくなったからか。ページを整理した時に、昔自分が書いたものを読んで、その本がどのような本だったかさっぱり思い出せなくて愕然としたからか。
 何度か感想書こうとしたけれど、どうも、これは自分の書きたいことじゃないな、という想いが強くて書けなかった。
 下のメモは更新しなくなってから読んだ、主に小説。読んだ順。いわばメイン・ストリートで、新書など脇道にそれながら読んだものは省く。というかそちら側は何を読んできたかきちんと調べると一苦労なので。

中上健次「日輪の翼」
大江健三郎「宙返り」
壇一雄「火宅の人」
大江健三郎「大いなる緑の木」
日野啓三「自選エッセイ集 魂の光景」
スティーブ・エリクソン「アムニジアスコープ」
玄侑宗久「祝福」
色川武大「ぼうふら漂遊記」
野呂邦暢「草のつるぎ・一滴の夏」
大江健三郎「懐かしい年への手紙」
メルヴィル「白鯨」

 長編中心とはいえ、少なすぎる気がするから、書き漏らしはきっとある。
 ちなみにベスト3は「宙返り」「大いなる緑の木」「懐かしい年への手紙」。
 昔から大江健三郎を読んでは離れ、読んでは離れしてたのは、読んだ直後に、あまりに影響を受けすぎて自分の文章が変わってしまい、少し時を置いてそれを読むと、強い嫌悪感を感じたからだ、と気付いた。
 現在は大きな小説読みに一段落つけて、各国の民話を渉猟している。作家性のない文章が心地よい。






Last updated  2005/12/31 02:22:55 PM
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2005/08/26
カテゴリ:カテゴリ未分類
「ひと月ほど、とりあえず読んだ本について何かしら書き続けてみよう」と書いた覚えがあるが、今忘れた。
 こちらのブログの更新は頻繁。

谷川俊太郎「詩を贈ろうとすることは」(集英社 1991年)
谷川俊太郎「真っ白でいるよりも」(集英社 1995年)
谷川俊太郎「シャガールと木の葉」(集英社 2005年)
谷川俊太郎「世間知ラズ」(思潮社 1993年)
遠藤秀紀「パンダの死体はよみがえる」(ちくま新書 2005年)
玄侑宗久「私だけの仏教 あなただけの仏教入門」(講談社+α文庫 2003年)
花村萬月「父の文章教室」(集英社新書 2004年)

 最近(90年代以降)の本ばかりというのも珍しく。






Last updated  2012/04/14 05:09:21 PM
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2005/08/15
『夜の果ての旅』は下巻に入ってからペースダウン。それでも残り半分を切った。何か書くのは読み終えてからにしよう。
 小説を読まないとなれば他の本は速く読む。読んだ順番は覚えていない。

「オーケストラの職人たち」岩城宏之(文春文庫 2005年)
 漫画『のだめカンタービレ』を読み、「N響アワー」を見るようになって、クラシックに多少興味が出てきた流れ。楽器運送に携わる人びと、ちらし配り、写譜屋さん、調律師など、裏方の人たちについて書かれている。職人的に楽器を弾く人たちのことだと思って読み始めたのだけれど、まあどのみち全く知らない事柄なので新鮮。

「夜のミッキーマウス」谷川俊太郎(新潮社 2003年)
 一部で有名な名作『なんでもおまんこ』収録詩集。他にも『百三歳になったアトム』『よげん』など、なかなか密度が濃い。『なんでもおまんこ』はここで読める。

「空に小鳥がいなくなった日」谷川俊太郎(株式会社サンリオ 1990年 原版は1974年)
 こちらはあまり好きになれなかった。『つもり』一篇にのみ付箋。年代順に追うつもりだったけれど断念してバラバラに読んでいる。

「62のソネット」谷川俊太郎(講談社+α文庫 2001年 原版は1953年 創元社から)
 谷川俊太郎第二詩集。選集などで読む時、ここから選ばれた、ソネット形式の詩はあまり好きになれなかった。だけどこうして一冊読み通すと、別の感慨も湧く。新版の序文で「私自身は経験によって変化してきているが、変化しない感受性の核のようなものもまた私のうちにひそんでいて、それがこの若書きの詩集を、私にとっていまなお身近なものにしている」と記しているように、若書きには、未熟さ、青臭さもあるけれど、若くなくなってからは二度と手に入れることの出来ないものが込められている。そういうものは好き。(それだけの人は好きじゃないが)。

 ちなみに詩のブログを始めてみた。何か核になるものがないと続かないので、身近で根源的で重要なあるテーマを第一に掲げている。そればかりというのもまた難しくなるので、他のテーマでも書いているけれど。うん、このような僕ら

「ラテン・アメリカの小太陽」飯島耕一(青土社 1984年)
 題名に惹かれて。飯島耕一の詩って好きだったけどうだったけと思いながら。ラテン・アメリカを舞台にした一連の詩は正直うまく掴めなかった。詩人アラゴンについて書かれた『美少年を追う ――ルイ・アラゴンの死』は好き。「老アラゴンが/美少年を追って/サンジェルマンをうろついていたとか /昔の仲間がみな死んだら/そんな気分になる/かもしれない」

「和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか」佐野真(講談社現代新書 2005年)
 ソフトバンクスホークス松坂世代の雄、和田毅の130キロ台のストレートは何故打ちにくいか、というのが主眼の割に、「彼の投げる切れのいいストレートは、おそらく回転数が速いはずである」と、肝心のところが何故か憶測。和田の頭の良さや努力家なことはよく分かるが、著者の能力には疑問を抱く。巻末に和田の卒業論文「投球動作における下肢の節電図解析」が載っているのでなおさら。
 ホークスは好きではないけれど、同世代として松坂世代の全選手を応援しています(朝青龍なども)。

「超短篇アンソロジー」本間祐(ちくま文庫 2002年)
 500文字の心臓というサイトを見つけたのがきっかけ。元々好きなジャンルなのだけれど、こうして集められたのを見ると、好き嫌いが別れるというか、自分の好みに合うのは一部でしかなかったりする。自分で編んでみたいんだろね、きっと。でも好みに合ったのはそれぞれ大好き。サイトの方にも自作を投稿してみた。

「ルーマニア・マンホール生活者たちの記録」早坂隆(現代書館 2003年)
 1989年、革命で倒されたルーマニア独裁者チャウシェスクは、国力増大=人口の増加とし、国民に子どもを多く産むことを義務づけ、中絶を非合法化した。その結果産まれた多数の子どもたちは、養われず、孤児となり、この本で書かれているように、マンホールの中で暮らしているものも多くいる。物乞い・盗み・かっぱらい・売春などで生計を立てている嫌われ者の彼らに、ルーマニアに住みついて著者は取材した。彼らを決して「可哀想」一辺倒の見方ではなく、「こいつら」「奴ら」など、遠慮のない書き方をしているのに却って好感を持った。彼らの中でのさらなるロマ(ジプシー)差別、エイズ問題、出産問題、シンナー吸引問題、等々。2002年週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞作。読み応えあり。欲を言えば、マンホールの中の空間的繋がりが、うまく想像出来ないことか。

「禅的生活」玄侑宗久(ちくま新書 2003年)
 カトリック教徒の作家(フラナリー・オコナーや森内俊雄など)、仏教徒の作家(玄侑宗久)などの書く小説は好きだけれど、宗教そのものについてはよく分からない。なので、満遍なく宗教関係の本は読むんだけど、どうしても宗教心は湧いてこない。別にいいんだけど。中でも仏教の本は分かりづらい。その点これはまあまあ面白かったけれど、それも仏教についてというより、他のところだった気が。続いて玄侑宗久「私だけの仏教」を読んでいるけれど、これは全然頭に入らない。

「清崎敏郎句集」清崎敏郎(春陽堂俳句文庫 1993年)
「ふぐりまで日焼け日焼けて島の子は」が印象的な俳人。このシリーズは収録句集が少なくて物足りない。「波音の一擲したる春の闇」「剥製の認可の下りし仔鶴の死」うーん、少し弱いか。

「悲しみの子どもたち――罪と病を背負って」岡田尊司(集英社新書 2005年)
 珍しく今年出た本が多い。医療少年院にいる少年少女(法律上の呼び方はどちらも「少年」だが)らの、決して特別なケースではないものらについて誠実に書かれた本。「ああ、私もここに書かれているような子どもたちのように、なっていた可能性は充分にあるのだ」と思いながら読んでいたせいか、どうも中身がうまく思い出せない。同情心は皆無、というせいかもしれない。


 まだあるような気はするけれどとりあえず完。






Last updated  2012/04/03 02:00:32 AM
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2005/08/03
 先日、モブ・ノリオ『介護入門』を読んだ時、小説を読んだ気にならないとか、介護描写以外のつまらないところが多すぎるとか散々書いたような気がするけれど、老人介護のことについては、色々と考えさせられるところがあった。いずれ間違いなく他人事ではなくなるもの、普段は意識しないようにしているが、いつかは必ず向き合わねばならないことだから。


日本ほど老人を礼遇している国はない。「寝たきり老人」の激増は、やはり”人災なのだ。――日本各地の老人ホームでヘルパーの体験を重ね、英、米、スウェーデン、デンマーク、シンガポール等の高齢者施設に住み込んだ二九歳の著者は、こうした思いを深めていく。若い感性とあたたかい眼差しがあふれる、さわやかな体験報告。

カヴァー見返しの紹介文



 著者の若さに驚く。それでも出版は1991年だから、今では43歳かあ、その後どうしたのだろう、と検索したら、なんと政治家になっていた。貼ることは控えるが、本書の最後で、「結局、政治が変わらないと、福祉を良くすることは不可能だ」と言っていた通り、福祉社会の充実を目指して頑張っているらしい。こういう人もいるのだ。
「寝たきり」(本書では途中から「寝かせきり」と表記変更)になる原因は、寝かせたままにするから。病気だから、痴呆だからといって、まだ足腰の強い人まで寝かせたままにしては、身体も頭も弱り、いいことはない。欧米でリハビリセンターが充実しているのも、結局は寝かせたままより、出来ることはさせておくことが、ヘルパーの負担減に繋がるのだ。ヘルパー一人当たりの受け持ち人数が多く、ひたすらおむつ交換に追われる日本の老人病院の状態でこのまま行けば、行き詰まることは目に見えている。
 他国と日本では事情が違うことは分かっているので、一概に弾劾・早急な発展を望む、というような極端には走る気はない。14年前と今とではいくらか事情も変わっているのかもしれないし。
「お年寄りを大切にする」「老人の面倒は家族が見る」という、一見良いことに見える伝統が、福祉について考えることをおざなりにしていた、というのには頷ける。いつまでも大家族社会ではない。一人っ子の子供が将来、両親を介護する歳になった時、どこかに預ける財力も、自分で世話する時間も力もない時、福祉に頼るしかないわけだから、早くから考えておかなければならない。
 だけど出来ればもう少しこの問題のことは忘れていたいなんて逃げてしまいそうだけど。選挙の時には、福祉関係について考えている人に目を向けようか、などと思う。だけど政治のことを言い始めたら、問題は福祉だけじゃないわけで。そうするとまたそっちの方面の本も読まなくちゃいけないと、妙な平衡感覚を持ってしまう。
 しかしこれを書いたのが29歳だと思うと、何度も唸ってしまう。


岩波新書  1991年






Last updated  2005/08/04 02:22:59 AM
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2005/08/01
カテゴリ:海外小説感想
その1
その2

7/30、7/31
「死体まで、暑がっているのだ」

 上巻288ページまで。とうとう以前途中まで読んだところを越した。一日毎に書くというのはやはり保たず。舞台はアフリカの植民地に移った。暑い。読む方も暑い。昨日、小便撒き散らしながら飛ぶセミ共がうんざりする程いた道には、今日多数のセミの死体が墜ちていた。元気を出した分早く命が燃え尽きたらしい。注意して避けながら自転車を走らせていたが、一度セミの潰れる音がした。
 病院で、愛国的負傷者、戦場叙事詩を内に秘めたる者としての演技を学んだバルダミュ。彼の語ることを素にして作られた叙事詩の発表の場で、喝采を受けたのは、バルダミュではなく、包帯だらけのブランドル、彼の演技の師であった。その後偶然ロバンソンと出逢う。友人と一緒に、戦友の死をその母親に語り聞かせ、100フランをたかりに行こうとする時に。残念ながら戦友の母親は、悲しみのあまり自殺していた。ロバンソンにとって、自殺した女は代母であったという。その時はすぐに別れる。退院し、突如アフリカ行きを決意するバルダミュ。しかし船旅の中で、彼は船の連中に目の敵にされ、危うく殺されかけるが、「愛国者的演技」によって危機を回避。船からは脱出、その後植民地入り。商社の平社員として雇われた彼は、現地人との付き合い方を学んだ後、ジャングル奥地の出張所へ旅立つ。前任の者と交替するために。そこにいた、やや錯乱状態の前任者はロバンソンであった。あまりの暑さで頭がうまく働かないため、ロバンソンという名を聞いてもバルダミュはすぐには気付かない。ロバンソンは金だけ持って逃げ出す。やがてバルダミュも、商品と家とを燃やして、現地人に自分を運ばせ、マラリヤ熱に侵されながら、ジャングルから逃げ出す。辿り着いた町で介抱され、命を取り留めるが、そのままガリー船に漕ぎ手として売られるバルダミュ。そこで初めて彼は、ロバンソンに自分から会いたいと願い始める。船はアメリカに着く。夢と希望と女と知り合いの詰まっているはずのアメリカに飛び出したバルダミュ。しかし素寒貧に出来ることなど――。 
 と、ここまで。



ついにこのロバンソンという名前は、以前に出会った或る肉体、物腰、声音までも、僕の前に浮かび上がらせるのだった・・・・・・そしてすっかり眠り込む寸前に、この男の全体像が僕の寝台の前にすっくと立ち上がった、彼の思い出をつかんだのだ、確実にこの男とは言いきれなかったが、まちがいなくあのロバンソンの憶い出を。ほかならぬ、あのフランドルの、ノワルスール=シュル=ラ=リスの男、戦争から逃れるための穴をhつありしてさがしまわった、あの夜のふちで、僕が行動を共にした、そしてその後もう一度パリで・・・・・・一切がよみがえったのだ。幾年もが一挙に退散したのだ。よほど頭をやられていたのにちがいない、これほど苦労するなんて・・・・・・わかってしまった現在、彼の正体を突きとめた現在、僕は心底からふるえ上がらずにはおれなかった。奴のほうでは僕がわかっていたのか? ともかくこちらは奴の正体を会社にばらす気はなかった。
「ロバンソン! ロバンソン!」僕は、快活な調子で呼びかけた、まるで朗報を伝えでもするように。「おいったら! おい、ロバンソン!」・・・・・・なんの返事もない。
 胸を動悸させ、僕は起き上がった。そしてみぞおちに不意打ちを食らう身構えをした・・・・・・何も起こらなかった。そこで、いくらか大胆になり、手さぐりで室内のむこう端まで危険をおかしてみた、彼が横にあんるのを見定めておいたあたりまで。奴の姿は消えていた。



 よく読むと、このロバンソンが本当に、何度も出て来たロバンソンと同一人物なのか、確かなことは書かれていない。雰囲気は全てロバンソンのものではある。また後にはっきりしたことは明かされるだろう。
 常に一歩先にいるものとして登場するロバンソン。長くは一緒にいない。このような人、ロバンソン的な人物には、一生の間何度か出逢うものだ。それらを統合して、一人の人間に仕立て上げた人物がロバンソンであるとするなら、この先アメリカでも、バルダミュに先んじて何かをしているロバンソンに出逢うだろう。その後も、その後も、そうして最後は、やはり先にロバンソンが死んで、その後をバルダミュが追うのだろうか。それとも、ロバンソンの死によってようやく、バルダミュは彷徨を終えて、先導者のいない道を歩き出すのだろうか。或いは、死にそうもないロバンソンは永久に旅を続けて、先にバルダミュが倒れるのか。
 なんて先の予想は、あまり真剣に考えてはいない。すぐに書かなかったから、読みながら想っていたことは大方忘れてしまった。後から思い出せるものといえばとにかくロバンソン。そういえば植民地でも、アメリカのホテルでも、似た雰囲気の少年がバルダミュの近くにいるなあ、何でだろうなあ。暑さにやられて、想うこともそこまで。






Last updated  2005/08/02 12:21:18 AM
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