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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる

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2014.06.04
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1 鳥取砂丘に次ぐ鳥取県中部の北条砂丘(笠沙之御前)に漂着したハングル文字のゴミです。

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プロパンガスボンベまで漂着していた。

2.朝鮮半島からのゴミが鳥取県や丹後半島に流れ着くということは、対馬海流とリマン海流の作用によって鳥取県や丹後半島あたりに漂着するからである。日本列島と朝鮮半島との地形を見ても鳥取県あたりで日本海が広がっていてリマン海流が南に押す作用が理由であると思われる。

 この現象は2000年前でも同じであったと思われる。動力が人力だけの古代においては、この対馬海流とリマン海流の流れは非常に重要であった。

3.徐福は紀元前219年に最初の航海に出ている。その時は一斉に海に乗り出した。その結果、散りじりとなり日本全国に徐福の船が漂着した。徐福は北九州より朝鮮半島に渡り始皇帝に奏上して再度挑戦した。初回から九年後のことである。北九州に天照大御神の痕跡が残るのはそのためである。

初回は失敗したが徐福は対馬海流のことが解かり朝鮮半島の東側から出航することにした。二回目は3000人を引き連れて、辰韓にたどり着き、しばらくここに止まってから伯耆国に向けて次々と出航していった。徐福一行は伯耆国に結集し蒜山高原に居を構え周辺の山々から仙薬、薬草、鉱物を採取していった。

 

 






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Last updated  2016.01.06 11:04:06
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☆ 「である」調と「です、ます」調について
 真実は一つなので学説の羅列はしていません。真実だと思われるものを「である」調で断定して書いています。読みづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。

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サイの尾・猿田彦

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