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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる

2014.07.13
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ニニギ命が言った「笠砂の御前」とは北条砂丘全体であった。

1.

IMG_0005.jpg

海抜4mまで海が上昇した鳥取県中部の地形である。

News Reader - German    my flood map(洪水マップ) | about | privacy    Data provided by NASA に基づく。http://flood.firetree.net/ 

IMG_0018-1.jpg

現在の地図に海岸線をなぞってみた地形である。


2.この当時、天神川は今の河口ではなくて、東に迂回して東郷池に流込んでいた。また今の海岸線の砂は波によって高くなったものだから省略した。2200年の間に海岸線がボロボロになっているが、農業等の造成によるものと思われる。

これを見る限り、茶臼山を中心にした柄のある、大きな傘が出現する。西園・東園の高い砂丘が笠形になっていたのだろうと推測していたが、これほど大きな笠形が現れるとは想像していなかった。

「笠砂の御前」とは、鳥取県で2番目に大きい北条砂丘のほぼ全体を占める大きな御前であった。

「笠砂の御前」の左下が葦原中津国である。葦原中津国は外洋を通る船には「笠砂の御前」が垣になって見えない。この小さな湾に入るには、「笠砂の御前」を巻き通らければならない。

 

 







Last updated  2019.03.19 05:09:27

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☆ 「である」調と「です、ます」調について
 真実は一つなので学説の羅列はしていません。真実だと思われるものを「である」調で断定して書いています。読みづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。

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