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秋田県の小中学校に勤務する
日本語支援者が一堂に会し行われた研修会へ行ってきました 能代から 秋田まで 高速バス のしろ日本語教室ボランティアの4人が行きのバスの中で勢ぞろいです 4人の担当する子どもたちを普段の学習や生活について (学校は違っても 教室やイベントなどでよく知っている) ああだこうだ言いながら話しながら行きました 普段 教室内ではなかなかゆっくり話すこともできないので バスの中での会話はもう研修会が始まっているかのような充実ぶり Sちゃんが今 九九の学習に入り 計算はできるけど 日本語で「ににんがし」とかが憶えられなくて。。。と誰かが言えば Nの時は 母国である程度九九を学習してたし 歳も10歳だったから その違いはあるけど こんなふうにしてたよとすぐに事例が出てきたり 最近 学校で眠そうにしてる姿をよく見るの。。。と誰かが言えば お母さんがどうやらお店を始めたという情報があったりとか 研修会が始まる前から とても充実していました で、肝心の研修会にて。。。。。 秋田県内の日本語支援者が小学校と中学校で別れて 4・5人のグループになり グループごとにその問題点が話し合われ、その後 話合った内容を発表し 全体で共有し合う、という形でした その研修会にて知った (いや、実をいうと いろんなところから情報は入ってくるのだけど) 私の支援環境と大きく違っているなぁと感じた他学校の問題は・・・・・・ ・日本語支援者は取り出しの日本語学習時間の必要性を感じているが 学校は不要と考えているがどうしたらいいか ・定住ではない子どもに対して 何を教えたらいいのか ・来日して ある程度日本語を学習したのにもかかわらず 帰国することになり しばらく日本を離れていたが 再来日することとなり 再び日本語支援が必要になる子どもも多い ・サポートが必要な子どもの親へ連絡することを禁じられているため 普段の忘れ物や準備品、さらには行事の連絡などが不十分になる ・学級担任との連携がうまくできず困っている。。。などなどなど 正直なところ 私の支援環境では考えられないことで 困っている支援者も多いということに驚きました 研修では 問題を解決するための手段を教え合うことはできても 実際の解決は その支援者の所属する学校や教育委員会でなければ できないことばかりです 私はF町の日本語支援者として4年目になりましたが この町が外国にルーツを持つ子どもも町の将来を担う大事な大事なF町の子どもの一人として 学校生活が送れるよう充分に対応・配慮されていること しかも それは10年以上も前からで 昨年教育長が替わられたのですが 前教育長時代の良いところをしっかりと引きついでいることが素晴らしいと思っています F町には小学校が一つしかないことも幸いしていると考えられます 大概は 小学校は複数あり それぞれの学校において 日本語支援がなされていたとしても 学校の先生たちは校長も含めて異動するので 例え 支援者がその学校で どんなに最善のサポートや学習をしたとしても 記録にも記憶にも残らないという意味でその場限りとなってしまいます 編入はどの学年に入るかとか 今後の日本語の学習をどうするか、ということについて 長い経験と専門的知識をもつ日本語支援者・コーディネーターが 理解ある教育委員会とその都度話しあえるF町の体制があるので 研修会で出されたような問題点は ほとんどあがってこないのだと思います 北川先生が F町F小の非常勤講師として10年以上の実績があること 10年前 中国からやってきたYくんは 日本語の学習を重ね 今や成人式を迎え立派に働いていることもF町ではみなが知っている事実です 日本語レベル・言語環境を考慮した適切な学年に入り 教科学習と日本語学習とをマッチングさせながら 最終的には日本での自立(高校進学・就職)をしている この地域の子どもたちがその成果を証明しています 私は とても恵まれた環境で 支援できているのだなと思っています とはいえ。。。。 日々の指導の中には いろいろあるもんです(笑) その話はまた次回 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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