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カテゴリ:新聞記事
日経新聞朝刊の「私の履歴書」には時々興味深い筆者が登場します。正直、企業経営者のもので面白いと思ったものはほとんどありません。というか、最初の数回読んだら筆者、文章に興味を失い読まないだけなんですけどね(オイオイ
今回の筆者、役者の山崎努のものは最初から継続して読んでいます。読むのを時々忘れるので、さっき昨日と一昨日のは押入れから新聞を引っ張り出して読みました(笑 山崎努の演技についてどうこう書ける知識、能力はありませんが、彼の存在感の凄さだけはまぁ誰が観ても判る、感じるんではないかと思います。 そういえば、NHKのドラマ「正直不動産」にも彼は出演してましたな。山崎努が現場に現れたら共演者、ディレクター、プロデューサー、スタッフ全員が強い緊張感に晒されるような気がします。実際のところどうかは全くしらんけど・・・。 私は演劇にはほぼ全く興味ないですが、映画やTVドラマは好きです。黒澤明の映画もだいたいは観ていると思います。映画館で観たことは多分皆無ですので全てDVDかTV放送の録画です。映画「天国と地獄」での彼の演技は有名ですね。出世作になったような気がします。 数年前にNHK-BSで放送してたBS1スペシャル 「黒澤明の映画はこう作られた ~証言・秘蔵資料からよみがえる巨匠の制作現場~」 初回放送日: 2020年11月8日 https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/KZVZ7KGY3Y/ で彼はインタビューを受けてました。彼は「私はインタビューが非常に苦手、嫌いだから通常は受けないが、恩義のある黒澤監督のことだから仕方なく引き受けた・・・」みたいな事を冒頭に語っていました。HDDの録画リストをチェックしましたが、既に消去したようで見つからずでしたので記憶のみで書いています。 今日、この記事を書こう(メモっておこう)と思ったのは、今日の⑪で森繁久彌の「知床旅情」のことが書いてあったからです。関連部分のみ以下にコピペします。 --------------- コピペ開始 ------------------ (前略) 2作目の『地の涯に生きるもの』では森繁久彌さんの即興の能力にびっくり。 あの名曲「知床旅情」はこの映画の宴会シーンで森繁さんが即興で作詞作曲したものである。撮影中に久松静児監督が突然、「ここでひとつ歌が欲しいな。繁さん、何か歌え」と言った。場面は、知床の漁師の息子(僕の役)の出征を祝う宴。森繁さんは土地の匂いのする歌をイメージしたのだろう、セットのちゃぶ台に紙片を置き、「……知床の」「……岬に」とエンピツで書きつけ、口ずさむ。昼食休憩があり、そして出来上がったのがあの曲。森繁節で見事に歌った。 だからあれはもともと、我が子を戦場に送る惜別の曲だったのである。あの場に居合わせた人ももうほとんどいなくなったと思うので、生き証人として記しておく。 (後略) ---------------- コピペ終了 ------------------- 「知床旅情」に関するwikipediaの記述から以下に一部コピペします。 ---------------- コピペ開始 ------------------- 「しれとこ旅情」(しれとこりょじょう)は、森繁久彌が作詞・作曲を手がけた「オホーツクの舟歌」に、森繁久彌自身が、新たに歌詞を添詞をした楽曲。初出時の題は『しれとこ旅情』。後に「知床旅情」の表記にされた。1960年発表。 解説 知床を舞台にしたご当地ソング。知床とは、北海道北東部に位置する知床半島一帯をさす。知床国立公園があり、2005年7月17日には世界遺産に登録された。 楽曲制作者の森繁久彌は俳優業のほかに歌手、今で云う「シンガーソングライター」として自作自演をしNHK紅白歌合戦への出場歴もある。森繁久彌が1960年に戸川幸夫『オホーツク老人』を原作とするの映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島の羅臼村(現羅臼町)に長期滞在した際に制作され、その最終日に羅臼の人々の前で先に自作していた「オホーツクの舟歌」の曲に、当地への思いを込めて新たな「歌詞」を載せて「さらば羅臼よ」という曲名で帰途前に地元民に披露された歌曲である。 以下、省略 ----------------- コピペ終了 -------------------- 山崎努の記憶とwikipediaの記述ではかなりの相違があるようですね。wiki.の記述にあるように曲自体は「先に自作していた「オホーツクの舟歌」の曲に・・・」なのかもしれませんけど。 以下の画像は黒澤明監督「天国と地獄」の山崎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/08/16 12:19:52 AM
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