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プロ野球情報館

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横浜ベイスターズ

横浜ベイスターズ
I プロローグ

横浜ベイスターズ よこはまベイスターズ プロ野球、セントラル・リーグ所属の球団。1960年(昭和35)と98年(平成10)の2回日本一になった。

II 大洋ホエールズ時代

大洋ホエールズとしてセ・リーグに加盟したのは1949年(昭和24)の12月。親会社の大洋漁業(現、マルハ)は、社会人野球の名門チームだったが、2リーグ分裂による新チームの増加で、自チームの主力選手は、ほかの球団にひきぬかれていた。そのため、既存の球団のベテラン選手をよせあつめてスタートした。53年には同じセ・リーグの松竹ロビンスと合併して、大洋松竹ロビンスとなったが、55年にふたたび大洋ホエールズにもどった。

戦力的に他球団よりおとったため、長くBクラスに低迷、1954年、55年には、勝率が2割台という不名誉な記録をつくり、5位にも大きくはなされて最下位となった。しかし、その後は戦力の補強に力をいれて、56年には、東京六大学野球(→ 大学野球)で活躍した明治大学の秋山登と土井淳のバッテリーをスカウト。秋山は25勝で新人王になった。59年に入団した桑田武はその年、31ホーマーをはなち、本塁打王、新人王にかがやいた。戦力がそろってきたところで、60年に智将三原脩監督が就任、優勝をねらえるチームとなった。

1960年のシーズンは開幕から5月までは最下位だったが、6月からの快進撃で首位にたった。その後も「三原魔術」といわれた選手起用で接戦をものにしていき、巨人との優勝争いを制して、リーグ初優勝をはたした。日本シリーズでも、秋山の4連投で大毎オリオンズ(現、千葉ロッテ)を相手に4連勝、はじめての日本一になった。ところが、翌61年には最下位に転落。その後もBクラスにとどまることが多く、優勝争いにくわわることはほとんどなかった。

III 38年ぶりの日本一

1993年(平成5)、球団名を横浜ベイスターズに変更した。大矢明彦監督2年目の97年には佐々木主浩(2000年、シアトル・マリナーズに移籍)、鈴木尚典らの活躍で2位に躍進。翌98年には権藤博監督のもと38年ぶりにセ・リーグ優勝をはたし、つづく日本シリーズでも西武ライオンズを4勝2敗でくだして日本一にかがやいた。2001年からは名監督として知られる森祇晶が指揮をとり、Aクラスを確保したが、02年には最下位に転落、これをうけ森監督は任期途中で解任となった。03年シーズンからは山下大輔が監督に就任している。なお、02年よりマルハが球団経営から撤退、筆頭株主は東京放送(TBS)にかわっている。


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