723778 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

プロ野球情報館

プロ野球情報館

巨人とならぶ名門チーム

オリックス・ブルーウェーブ 

プロ野球、パシフィック・リーグ所属の球団。阪急ブレーブス時代の1960年代後半から70年代後半にかけて黄金時代をきずいた。オリックス・ブルーウェーブとなってからも2度のリーグ優勝(1995、96年)をはたし、96年(平成8)には日本一を経験している。

II 巨人とならぶ名門チーム

前身の阪急は1936年(昭和11)、大阪阪急野球協会として発足。日本初のプロ野球である日本職業野球連盟の結成に参加した。巨人などとならんで、もっとも歴史の古いプロ野球球団である。戦前は投手のローテーションを重視するなどの作戦で知られていたが、戦前、戦中の時代は優勝にはめぐまれなかった。

戦後はいちはやく立ちなおり、1947年には、球団のニックネームを「ブレーブス」とした。50年の2リーグ分裂の際は、パ・リーグに加盟。このとき、主力選手をセ・リーグの球団にひきぬかれ、戦力が大幅にダウンした。そのため、しばらくはBクラスに低迷することが多かった。

III 西本監督のもと初優勝

1963年に就任した西本幸雄監督のきびしい指導によって、しだいに力をたくわえ、67年に球団史上初のリーグ優勝をはたした。以来69年まで3年つづけてリーグ優勝、さらに71年、72年にも連覇を達成して阪急黄金時代をきずいた。投手陣では、通算254勝した梶本隆夫(かじもとたかお)、350勝投手の米田哲也、下手投げで284勝した山田久志など、打者ではホームランバッターの長池徳士、通算1065盗塁を記録した福本豊などの名選手が活躍した。

しかし、その時期は王貞治や長嶋茂雄らを擁する巨人の黄金時代とぶつかり、日本シリーズでは苦杯をなめつづけた。日本一になったのは、西本監督の後をついだ上田利治監督時代になってからである。1975年に、セ・リーグを制した広島東洋カープをやぶって初のシリーズ優勝をなしとげ、76年、77年には宿敵の巨人をやぶって3年連続して日本一の座についた。78年、84年にもリーグ優勝をしている。

IV 仰木監督がチームを再生

1989年(平成元)にオリックスに買収されて、球団名はオリックス・ブレーブスとなり、91年のシーズンからはニックネームも現在のブルーウェーブに変更された。94年に仰木彬(おおぎあきら)監督が就任してからは、チームに活気が出てきた。とくに、92年にドラフト4位で入団したイチローが、3年目の94年から大活躍、走攻守の3拍子そろったプレーでチームをひっぱり、その年は2位に浮上した。

シーズン前に地元神戸で阪神・淡路大震災がおきた1995年は「がんばろう! 神戸」を合言葉に、ファンと一丸になってリーグ優勝をはたす。オリックスとなってはじめての優勝だった。96年にも2年つづけてリーグ優勝、巨人をやぶって日本一にもかがやいた。その立役者イチローは、94~2000年に7年連続の首位打者になるなど記録ずくめの活躍をつづけ、日本のプロ野球界を代表する選手となっていたが、2000年シーズン終了後にアメリカ大リーグのシアトル・マリナーズに移籍、オリックスにとっては大きな痛手となった。

2001年シーズン終了後に仰木監督が退任し、元西武ライオンズ、福岡ダイエーの遊撃手、石毛宏典監督が後をついだが、就任1年目の02年シーズンにチームが39年ぶりに最下位に転落。翌03年シーズンも開幕から不振がつづいたため4月には打撃コーチのアメリカ人、レオン・リーが新監督に就任した。しかし、2年連続の最下位におわったため、10月、新監督に元西武ライオンズ監督の伊原春樹が就任している。


© Rakuten Group, Inc.