「野武士集団」とよばれた西鉄選手の中でも、気力あふれるプレーや豪快な性格で、もっともサムライぶりを発揮した選手である。
豊田泰光 豊田泰光 とよだやすみつ 1935~ プロ野球の西鉄ライオンズ(現、西武)の黄金時代をささえた中心打者。豪快かつ勝負強いバッティングでファンを魅了した。茨城県久慈郡大子町生まれ。1952年(昭和27)、水戸商業の4番、遊撃手として甲子園(→ 高校野球)に出場。53年、西鉄に入団し、打率2割8分1厘、27本塁打で新人王にかがやく。このときの27本塁打という数字は、86年に西武の清原和博(現、巨人)にやぶられるまで高卒ルーキーの最多記録だった。56年には打率3割2分5厘で首位打者を獲得、日本シリーズでは最優秀選手にもえらばれている。三原脩監督のもと、勝負強いバッティングと豪快なプレーで、中西太、大下弘、稲尾和久らとともに3年連続日本一を達成し、西鉄の黄金時代をきずいた。「野武士集団」とよばれた西鉄選手の中でも、気力あふれるプレーや豪快な性格で、もっともサムライぶりを発揮した選手である。1963年に国鉄スワローズ(現、ヤクルト)に移籍。66年、一塁手に転向し、69年に現役を引退。その後、近鉄バファローズなどでコーチをつとめ、現在は野球解説者として活躍している。現役時代の通算成績は打率2割7分7厘、263本塁打、888打点。