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なおさん 時々 チャモのブログ

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2010.09.01
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8月30日に続き、2つ目の話は 父が7歳の時に体験した福岡大空襲の話です。

(本来であれば6月19日に書くのがタイムリーなのでしょうが、先々週に聞いた話が
 正確に記載できなくなりそうなので、あえて本日 書くことにしました)


昭和20年6月19日、私の実家は空襲により 全焼したそうです。

焼夷弾が 道をはさんだ向かいの敷地に落ちたらしく、ものすごい爆音だったそうです。

家が焼けた原因は焼夷弾が直接家に落ちたのではなく、裏手からの延焼によるものらしいです。


父ら家族は東公園(現在の福岡県庁付近)に避難して家族全員無事だったそうです。

川端や奈良屋方面では、防空壕や地下室に避難していた人々が 運悪く亡くなられたとも

聞いています。


その後、父ら家族は下長尾(現在の城南区)に疎開して 難を逃れたそうです。

しかし、リヤカーを引いて薬院新川のほとりを歩いていると川の中に おびただしい数の

焼夷弾が落ちており、その光景に愕然として 強い恐怖を覚えたそうです。


終戦となり 実家に戻ってきた時、家はもちろん全焼していましたが、家の前に祀っていた

「お地蔵様」は 奇跡的に難を逃れていたそうです。


これがその時のお地蔵様です。  現在も変わらず、実家を守って下さっています。
DSC01216.JPG
どんな気持ちで空襲を見ておられたのでしょうか。これからも大切にお参りしていきたいと思います。





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最終更新日  2010.09.01 18:44:13
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